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大和俗訓 / 巻之四・心術下

一心に主なければ、事をつとむる時早過ぎてさわがしく、又おそ過ぎて怠となり、或は事に先だちてあやまち、或は事におくれて間にあはず。主あれば心つねに定りて、遲速なく、よきほどなる故、あやまち少なし。一徐孝節といふ人、幼少より物を殺すことをいましめ、蟻のあつまり居る處をも、ふみころさんことをおそれ、よぎて道をゆけり。其心善なりといふべし。此心をおしひろめて、まづ父母兄弟を愛し人倫に及ぼし、次に萬物に及ぼさば、仁愛の道ひろく行はるべし。善心をおしひろむる工夫、常にかくの如くすべし。夫生すことを好み、殺すことをにくむは、天の御心なり。天の物をあはれみ給へる御心をうけて、人の心とする所、卽仁なり。不仁の人は、人をめぐみ、物をあはれむに心なくして、殺すことを好む。かくの如く不仁ならば、他の才多しといへども、天道にそむき、人道にかけて、見るに足らず。

新字:一心に主なければ、事をつとむる時早過ぎてさわがしく、又おそ過ぎて怠となり、或は事に先だちてあやまち、或は事におくれて間にあはず。主あれば心つねに定りて、遅速なく、よきほどなる故、あやまち少なし。一徐孝節といふ人、幼少より物を殺すことをいましめ、蟻のあつまり居る処をも、ふみころさんことをおそれ、よぎて道をゆけり。其心善なりといふべし。此心をおしひろめて、まづ父母兄弟を愛し人倫に及ぼし、次に万物に及ぼさば、仁愛の道ひろく行はるべし。善心をおしひろむる工夫、常にかくの如くすべし。夫生すことを好み、殺すことをにくむは、天の御心なり。天の物をあはれみ給へる御心をうけて、人の心とする所、即仁なり。不仁の人は、人をめぐみ、物をあはれむに心なくして、殺すことを好む。かくの如く不仁ならば、他の才多しといへども、天道にそむき、人道にかけて、見るに足らず。

書き下し

一心に主なければ、事をつとむる時早過ぎてさわがしく、又おそ過ぎて怠となり、或は事に先だちてあやまち、或は事におくれて間にあはず。主あれば心つねに定りて、遅速なく、よきほどなる故、あやまち少なし。一徐孝節といふ人、幼少より物を殺すことをいましめ、蟻のあつまり居る処をも、ふみころさんことをおそれ、よぎて道をゆけり。其心善なりといふべし。此心をおしひろめて、まづ父母兄弟を愛し人倫に及ぼし、次に万物に及ぼさば、仁愛の道ひろく行はるべし。善心をおしひろむる工夫、常にかくの如くすべし。夫生すことを好み、殺すことをにくむは、天の御心なり。天の物をあはれみ給へる御心をうけて、人の心とする所、即仁なり。不仁の人は、人をめぐみ、物をあはれむに心なくして、殺すことを好む。かくの如く不仁ならば、他の才多しといへども、天道にそむき、人道にかけて、見るに足らず。

現代語訳

心に主がなければ、事をつとめるとき、早すぎて騒がしく、また遅すぎて怠りとなり、あるいは事に先立って誤り、あるいは事に遅れて間に合いません。主があれば心はいつも定まって、遅い早いがなく、ちょうどよいので、過ちが少ないのです。徐孝節という人は、幼いころから物を殺すことを戒め、蟻が集まっているところも、踏み殺すことを恐れて、よけて道を行きました。その心は善だと言うべきです。この心を推し広めて、まず父母兄弟を愛して人の道に及ぼし、次に万物に及ぼせば、仁愛の道が広く行われるでしょう。善心を推し広める工夫は、いつもこのようにすべきです。そもそも生かすことを好み、殺すことを憎むのは、天の御心です。天が物をあわれまれる御心を受けて、人の心とするところが、すなわち仁です。不仁の人は、人を恵み物をあわれむことに心がなく、殺すことを好みます。このように不仁であれば、ほかに才能が多くても、天道にそむき人道に欠けて、見るに足りません。

解説

二つの条がつながっています。前半は、心に主(しっかりした中心)があれば、事を急ぎすぎたり遅れたりしないという教えです。後半は、中国南北朝時代の徐孝節(頭注による)が蟻さえ踏まないよう道をよけた逸話から、小さな善心を家族へ、さらに万物へと推し広めることが仁だと説きます。生き物を大切にする心は天の心そのものだというのです。子どもが虫や動物をいたわる気持ちを大切に育てることが、人への思いやりの土台になるという、子育てにも通じる教えです。

この章句が説くこと

仁心慈愛生命子育て

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