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都鄙問答 / 卷之一・播州ノ人學問ノ事ヲ問ノ段

ウルホスト云コトナリ、身ヲウルホスハ、心ヨリウルホスコトヲ知ルベシ、孟子ノ一書モ、心上ヨリ說來ル、心ヲ知ル時ハ、志强義理照シテ、以テ上達スベシ、此心ヲ知ズバ、昏味トクラク放ニシテ、學問ニ從ト云トモ、發明スル所アルベカラズ、醫書ニ、以手足痿痺爲不仁、仁者ハ、天地萬物ヲ以テ、一體ノ心トナス、己ニ非ト云コトナシ、天地萬物ヲ己トスレバ、至ザル所ナシ、若心ヲ知ラズバ、天地ト己ト別々ニシテ、氣已不貫、手足ノ痿痺病人ノ如シ、聖人ハ、我ガ心ヲ以テ天地萬物ヲ貫、凡テ師タルモノ、コノ心ヲ知ラズバ、何ヲ法トシテ敎、人ノ心ヲ正ンヤ、然ルヲ師家ニ立人、心ヲ知ラズト云、夫ハ汝ノ在所ナドニテ、書物ヲ能讀、文字ヲ知テ敎レバ、

新字:ウルホスト云コトナリ、身ヲウルホスハ、心ヨリウルホスコトヲ知ルベシ、孟子ノ一書モ、心上ヨリ説来ル、心ヲ知ル時ハ、志強義理照シテ、以テ上達スベシ、此心ヲ知ズバ、昏味トクラク放ニシテ、学問ニ従ト云トモ、発明スル所アルベカラズ、医書ニ、以手足痿痺為不仁、仁者ハ、天地万物ヲ以テ、一体ノ心トナス、己ニ非ト云コトナシ、天地万物ヲ己トスレバ、至ザル所ナシ、若心ヲ知ラズバ、天地ト己ト別々ニシテ、気已不貫、手足ノ痿痺病人ノ如シ、聖人ハ、我ガ心ヲ以テ天地万物ヲ貫、凡テ師タルモノ、コノ心ヲ知ラズバ、何ヲ法トシテ教、人ノ心ヲ正ンヤ、然ルヲ師家ニ立人、心ヲ知ラズト云、夫ハ汝ノ在所ナドニテ、書物ヲ能読、文字ヲ知テ教レバ、

書き下し

うるほすと云ことなり。身をうるほすは、心よりうるほすことを知るべし。孟子の一書も、心上より説来る。心を知る時は、志強義理照して、以て上達すべし。此心を知ずば、昏味とくらく放にして、学問に従と云とも、発明する所あるべからず。医書に、以手足痿痺為不仁。仁者は、天地万物を以て、一体の心となす。己に非と云ことなし。天地万物を己とすれば、至ざる所なし。若心を知らずば、天地と己と別々にして、気已に貫かず、手足の痿痺病人の如し。聖人は、我が心を以て天地万物を貫。凡て師たるもの、この心を知らずば、何を法として教、人の心を正んや。然るを師家に立人、心を知らずと云。夫は汝の在所などにて、書物を能読、文字を知て教れば、

現代語訳

「うるおすという意味です。身をうるおすには、心からうるおすことを知るべきです。『孟子』一書も心の上から説いています。心を知れば、志は強く道理は明らかになり、上へと進むことができます。この心を知らなければ、暗くぼんやりと散らかったままで、学問に従っているといっても、悟るところはないでしょう。医書に『手足の痿え痺れるを不仁と為す』とあります。仁者は天地万物を一体の心とし、自分でないものはないとします。天地万物を自分とすれば、行き届かない所はありません。もし心を知らなければ、天地と自分が別々になり、気が通わず、手足の痺れた病人のようになります。聖人は自分の心で天地万物を貫きます。師たる者がこの心を知らなければ、何を手本に教え、人の心を正すでしょうか。それなのに師匠の家を立てている人が心を知らないとあなたは言う。それはあなたの在所などで、書物をよく読み、文字を知って教えていれば、」

解説

「儒は濡なり」という語呂合わせから、学問は身をうるおすもの、それも心からうるおすものだと説きます。後半の「手足の痿痺(しびれ)を不仁と為す」は、北宋の程顥(明道)が医書の言葉を借りて仁を説いた有名な議論(『二程遺書』)に基づきます。仁とは天地万物と一体に感じる心であり、それがなければ、感覚の通わない手足のように他者の痛みが分からない。梅岩の「心を知る」は内省だけでなく、他者や世界とつながる感受性を指していることがよく分かる一節です。

この章句が説くこと

一体程明道

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