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童子問 / 卷上

問。先生既以仁爲聖門第一字。而又以忠信爲行仁之地。何哉。曰。有子曰。孝弟也者。其爲仁之本與。孔子曰。主忠信。夫孝弟者順德。忠信者實心。人若不忠信。則名雖爲孝。實非孝。名雖爲忠。實非忠。雖禮儀三百威儀三千。節文度數粲然可觀。皆虛文末節。要不足觀焉。如觀剪勝華樹。雖足悅目。本非眞。奚足以爲貴。故曰。不誠無物。忠信爲行仁之地。不亦宜乎。

新字:問。先生既以仁為聖門第一字。而又以忠信為行仁之地。何哉。曰。有子曰。孝弟也者。其為仁之本与。孔子曰。主忠信。夫孝弟者順徳。忠信者実心。人若不忠信。則名雖為孝。実非孝。名雖為忠。実非忠。雖礼儀三百威儀三千。節文度数粲然可観。皆虚文末節。要不足観焉。如観剪勝華樹。雖足悦目。本非真。奚足以為貴。故曰。不誠無物。忠信為行仁之地。不亦宜乎。

書き下し

問ふ、先生既に仁を以て聖門の第一字と為し、而して又忠信を以て仁を行ふの地と為すは、何ぞや。曰く、有子曰く、「孝弟なる者は、其れ仁を為すの本か」と。孔子曰く、「忠信を主とす」と。夫れ孝弟は順徳、忠信は実心なり。人若し忠信ならざれば、則ち名は孝と為すと雖も実は孝に非ず、名は忠と為すと雖も実は忠に非ず。礼儀三百・威儀三千、節文度数粲然として観るべしと雖も、皆虚文末節にして、要するに観るに足らず。剪勝の華樹を観るが如し。目を悦ばしむるに足ると雖も、本真に非ず。奚ぞ以て貴しと為すに足らん。故に曰く、「誠ならざれば物無し」と。忠信を仁を行ふの地と為す、亦宜ならずや。

現代語訳

問う。先生はすでに仁を聖門の第一の字とし、さらに忠信を仁を行う土台とされるのはなぜか。答える。有子は「孝弟こそ、仁を行う根本であろうか」と言った。孔子は「忠信を主とせよ」と言った。孝弟は従順の徳であり、忠信は真実の心である。人がもし忠信でなければ、名目は孝であっても実際は孝ではなく、名目は忠であっても実際は忠ではない。礼儀三百・威儀三千と、作法や規則がきらびやかで見るべきものがあっても、すべて中身のない飾りや末節であって、要するに見るに足りない。それは紙や絹で作った造花の木を眺めるようなものである。目を楽しませるには足りても、もともと本物ではない。どうして尊ぶに足りようか。だから(『中庸』に)「誠でなければ物はない」とある。忠信を仁を行う土台とするのは、もっともなことではないか。

解説

前章の「忠信を地と為す」を受け、なぜ忠信が仁の土台なのかを説いた章である。仁斎は忠信を「実心」、つまり真実の心と定義し、これがなければ孝も忠も名ばかりになると言う。どれほど礼法や作法が整っていても、真心が伴わなければ造花の木と同じで、見た目は美しくても生命がない。『中庸』の「誠ならざれば物無し」がその裏付けである。職場でも、立派な制度や丁寧な手順が、実のない形式になっていないかを点検したい。誠実さがあって初めて、どんな仕組みも生きてくる。

この章句が説くこと

忠信仁誠孝弟実心虚文

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