弁名 / 孝悌
孝弟忠信。孔門蓋謂之中庸。以其爲不甚高人皆可行之事。故學先王之道。必由孝弟始。辟諸登高必自卑。行遠必自邇。孟子曰。堯舜之道。孝弟而已矣。是之謂也。謂其可以馴致仁賢之德也。雖然。後儒喜論說之甚。遂以仁孝一之。非也。孝自孝。仁自仁。君子惡擧一以廢百。假使一孝而足矣。則江革王祥既爲聖人焉。故孔子曰。行有餘力。則以學文。言雖有孝弟。不學未免爲鄕人也。是又學者所當知焉。雖然。周官師氏既立至德。敏德。足以盡一切。更立孝德以敎之。可見雖有它不善。苟有孝德。則先王所取也。先王之重孝若是夫。
新字:孝弟忠信。孔門蓋謂之中庸。以其為不甚高人皆可行之事。故学先王之道。必由孝弟始。辟諸登高必自卑。行遠必自邇。孟子曰。堯舜之道。孝弟而已矣。是之謂也。謂其可以馴致仁賢之徳也。雖然。後儒喜論説之甚。遂以仁孝一之。非也。孝自孝。仁自仁。君子悪挙一以廃百。仮使一孝而足矣。則江革王祥既為聖人焉。故孔子曰。行有余力。則以学文。言雖有孝弟。不学未免為郷人也。是又学者所当知焉。雖然。周官師氏既立至徳。敏徳。足以尽一切。更立孝徳以教之。可見雖有它不善。苟有孝徳。則先王所取也。先王之重孝若是夫。
書き下し
孝弟忠信は、孔門蓋し之を中庸と謂ふ。其の甚だしくは高からず、人皆行ふべきの事為るを以てなり。故に先王の道を学ぶは、必ず孝弟より始む。諸を辟ふれば、高きに登るは必ず卑きよりし、遠きに行くは必ず邇きよりするがごとし。孟子曰く、「堯舜の道は孝弟のみ」と。是れ之の謂なり。其の以て仁賢の徳に馴致すべきを謂ふなり。然りと雖も、後儒論説を喜ぶこと甚しく、遂に仁孝を以て之を一にす。非なり。孝は自ら孝、仁は自ら仁。君子は一を挙げて以て百を廃するを悪む。仮使一孝にして足らば、則ち江革・王祥既に聖人為らん。故に孔子曰く、「行ひて余力有れば、則ち以て文を学べ」と。孝弟有りと雖も、学ばずんば未だ郷人たるを免れざるを言ふなり。是れ又学者の当に知るべき所なり。然りと雖も、周官の師氏、既に至徳・敏徳を立てて、以て一切を尽くすに足れども、更に孝徳を立てて以て之を教ふ。見るべし、它の不善有りと雖も、苟も孝徳有らば、則ち先王の取る所なるを。先王の孝を重んずること是の若きかな。
現代語訳
孝悌忠信を、孔子の門下ではおそらく「中庸」と呼んだ。それほど高いことではなく、誰もが行えることだからである。だから先王の道を学ぶには、必ず孝悌から始める。たとえれば、高いところに登るには必ず低いところから、遠くへ行くには必ず近いところから始めるようなものである。孟子が「堯舜の道は孝悌だけだ」と言ったのは、このことである。孝悌からしだいに仁者や賢者の徳に至ることができると言ったのである。しかしながら、後世の儒者は議論を好むことはなはだしく、ついに仁と孝を一つにしてしまった。誤りである。孝は孝、仁は仁である。君子は一つを持ち上げて百を捨てることを嫌う。もし孝一つで足りるなら、江革や王祥(ともに孝行で名高い人物)はとうに聖人になっている。だから孔子は「行って余力があれば文を学べ」と言った。孝悌があっても、学ばなければ田舎の人のままであることを免れない、という意味である。これも学ぶ者が知っておくべきことである。とはいえ、『周礼』の師氏の職では、至徳と敏徳を立てて一切を尽くすに十分であるのに、さらに孝徳を立てて教えている。ほかに不善があっても、孝の徳があれば先王は取り立てたことがわかる。先王が孝を重んじたことはこのようであった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『弁名』仁学びて徳を成す者は、各々性を以て殊なりと雖も、其の学ぶ所の者は皆聖人の道なり。聖人の道は、要は民を安んずるに帰す。故に君子苟も仁に依らずんば、何を以て能く聖人の道に和順して以て其の徳を養成せんや。諸を人を啗はしむるに五穀を以てせざれば、亦た瘠せて死するのみなるに辟ふ。且つ君の斯の民をして学びて以て其の徳を成さしむるは、将に何に之を用ひんとする。亦た各々其の材に因りて以て之を官にし、以て諸を安民の職に供せんと欲するのみ。聖人の徳備はると雖も、君子の徳殊なると雖も、皆夫の仁を輔くる所以なり。
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『五常訓』巻之二・仁之上仁の性にしたがへば、五倫を愛する道自ら行はる。中庸に、性にしたがふを道と云ふ、是なり。仁は性なり。五倫を愛するは道なり。天地より生れつきたる仁の性にしたがひて、五倫の道を行ふが、天地につかへ奉る孝にて、人の道なり。是即仁なり。人の道とする所、さらに此外に有るべからず。次に禽獣草木を愛するも、亦仁の内の事なり。天地は万物の父母なれば、人倫を愛し、次に万物を愛するも、亦天地につかふる道なり。
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『徂徠先生答問書』卷中君子の道も是を土台といたし候事は、君子の道は仁にて候。仁は国天下の民を安じ候事にて、もと人の上たるものの道にて候。孝弟忠信中庸の徳行は、分に相応にたれにてもなり申候事にて、上たる人ばかりの道にては無御座候。孝は父母を養ひ安んずる道にて候。弟は兄弟を養ひ安んずる道にて候。忠は君につかへて君を安んじ養ふ道にて候。信は朋友を安んじ養ふ道にて候。されば何れも皆仁の小わりと可被思召候。たゞ人々の量の大小御座候故、大量の人ならでは仁をわが任といたし候事なりがたく候。量の大小にかゝはらず、たれにても仁の心をおこなひ候事は、孝弟忠信中庸の徳行と可被思召候。是により孝弟忠信を土台といたし、是よりのぼり候へば、君子の仁もよく相応いたし、齟齬いたし候所無御座候。若又孝弟忠信を土台といたさず候て、国天下を安んずるわざをのみ求め候はゞ、却て邪術にはせ候あやまりも出来可申事故、子思などの書を作り其ふせぎをいたされ候事にて御座候。たゞ量の大小に随ひ教の名目は別にて候得共、道は一箇の道にて更に別の道は無御座候。よく〳〵御工夫可被成候。以上。
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『童子問』卷中学問の要を問ふ。曰く、学問の要は、唯だ己に反求するに在り。中庸に曰く、射は君子に似たる有り。諸を正鵠に失へば、反りて諸を其の身に求むと。孟子曰く、仁者は射の如し。射る者は己を正しくして而る後に発す。発して中らざれば、己に勝つ者を怨まず、反りて諸を己に求むるのみと。所謂終身之を用ひて、尽くすこと能はざる者有るなり。又曰く、人を愛して親しまれずんば、其の仁に反れ。人を治めて治まらずんば、其の智に反れ。人を礼して答へられずんば、其の敬に反れ。行うて得ざる者有らば、皆反りて諸を己に求む。其の身正しくして、天下之に帰すと。故に曰く、学問の要は、唯だ反りて諸を己に求むるに在るのみと。聖人の天を怨まず人を尤めざるの境も、亦此より馴致す。実に学者の本務なり。大なるかな。
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『斉家論』上予不学なれば、四書五経にさへ仮名して読み来たれり。しかるに幸ひなるかな、今日まで入れ替はり聴衆もたえず、其の中に親しき門弟もあり。今々の門弟には、文学を好める人もあれど、したしき門弟は、文質彬々は所詮及びがたしと思ふより、某が言ふ所に同心し、且つ他をも誘ひ集むる事こそ殊勝なれ。寛保元年秋の頃門弟の中来たりて云ふ、武蔵国に薪木売り長五郎といふ孝心なる者あり、江戸表はこの沙汰にて、則ち其の趣き板行にあらはれしとて見せられけり。曰く、武蔵国多摩郡府中領押立村に、長五郎といふ小百姓あり。其の身貧しく、妻にもはなれ、八十八歳になる母を養ひ、其の外子供にもせがまれながら、母を大切にやしなひ、孝をつくせしゆへ、公の御恵みにもあづかりしとなり。
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『翁問答』上卷之本然る故に此宝を能く守れば、天子は永く四海の富を保ち、諸侯は永く一国の栄華を受け、卿太夫は其家を興し、士は其名を顕はし位を上り、庶人は財穀を積み貯へて其楽をたのしめり、此宝を棄てては人間の道立ず人間の道立ざる而已ならず、天地の道も立ず、天地の道立ざる而已ならず、太虚の神化も行はれず、太虚三才宇宙鬼神造化生死悉く此宝にて包括するなり、此宝を求め学ぶを儒者の学問と云なり、生れながらにして保合し玉ふを聖人と云ふ、学問に因て保合し能く守り行ふを賢人と云なり、孔子万世の暗を照さん為めに此宝を求め学ぶ鏡に孝経を造り給ふと雖秦の代よりこのかた二千余年の間、十分に学び得たる人稀なり今大明の代に至りて、能く知り能く守る人多し、大舜は此宝を保合し給ひて、庶人の中より天子の位に登り給ふ、文王は此宝を保合し給ひて天帝の左右にまします、董永は此宝を守りて、天の織女を妻となし、呉二は此宝を守りて、宿悪の天刑をまぬがれたり、古来霊験語り尽し難し能く信仰して受用すべき事なり。
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