慎思録 / 巻之一
子弟輩爲學之道。須以論語孔子所敎爲法。是聖門之懿訓。萬世之模範也。葢聖人者百世之師。天下之標準也。其言乃萬世之信也。學者所可仰慕而循守者。豈復有以加於此乎。學者須必由是而學焉。是爲學問之成法。如讀書記誦。固是子弟當務之事。然不可爲第一義。苟篤行於孝弟謹信等事。而有餘力。則可以讀書講習博學審問爲勤。須講究義理開發聰明。自初學至成德。而爲學之法。須如此。若未能以孝弟忠信爲善力行立基本。徒以博覽記誦爲急務。是後世俗學口耳之習耳。非聖門敎人之道也。
新字:子弟輩為学之道。須以論語孔子所教為法。是聖門之懿訓。万世之模範也。葢聖人者百世之師。天下之標準也。其言乃万世之信也。学者所可仰慕而循守者。豈復有以加於此乎。学者須必由是而学焉。是為学問之成法。如読書記誦。固是子弟当務之事。然不可為第一義。苟篤行於孝弟謹信等事。而有余力。則可以読書講習博学審問為勤。須講究義理開発聰明。自初学至成徳。而為学之法。須如此。若未能以孝弟忠信為善力行立基本。徒以博覧記誦為急務。是後世俗学口耳之習耳。非聖門教人之道也。
書き下し
子弟の輩、学を為すの道は、須らく論語孔子の教ふる所を以て法と為すべし。是れ聖門の懿訓、万世の模範なり。蓋し聖人は百世の師、天下の標準なり。其の言は乃ち万世の信なり。学者の仰慕して循守すべき所の者、豈に復た以て此に加ふる有らんや。学者須らく必ず是に由りて学ぶべし。是れ学問の成法為り。読書記誦の如きは、固より是れ子弟当務の事なり。然れども第一義と為すべからず。苟も孝弟謹信等の事を篤行して、余力有れば、則ち以て読書講習、博学審問を勤めと為すべし。須らく義理を講究し聡明を開発すべし。初学より成徳に至るまで、学を為すの法、須らく此くの如くなるべし。若し未だ孝弟忠信を以て善を為し力行して基本を立つること能はずして、徒らに博覧記誦を以て急務と為さば、是れ後世俗学口耳の習のみ。聖門人を教ふるの道に非ざるなり。
現代語訳
若い人たちの学問の道は、『論語』で孔子が教えたことを手本としなければなりません。これは聖人の門のすぐれた教えであり、永遠の模範です。聖人は百代の師であり、天下の基準です。その言葉は永遠に信じられるものです。学ぶ者が仰ぎ慕って守るべきもので、これに付け加えるものがあるでしょうか。学ぶ者は必ずここから学ぶべきで、これが学問の定まった方法です。読書や暗誦はもちろん若者の務めですが、第一のこととしてはいけません。孝行や兄弟の和、慎みと誠実といったことを篤く実行して、なお余力があれば、読書と講習、広い学びと詳しい問いに励むべきです。そうして道理を究め、聡明さを開いていかなければなりません。初学から徳が成るまで、学問の方法はこうあるべきです。もし孝弟忠信によって善を行い、努めて実践して土台を立てることができないまま、ただ広く読み暗記することだけを急務とするなら、それは後世の俗学の、耳から入って口から出るだけの習いにすぎません。聖人の門が人を教えた道ではありません。
解説
この章句が説くこと
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『斉家論』上予不学なれば、四書五経にさへ仮名して読み来たれり。しかるに幸ひなるかな、今日まで入れ替はり聴衆もたえず、其の中に親しき門弟もあり。今々の門弟には、文学を好める人もあれど、したしき門弟は、文質彬々は所詮及びがたしと思ふより、某が言ふ所に同心し、且つ他をも誘ひ集むる事こそ殊勝なれ。寛保元年秋の頃門弟の中来たりて云ふ、武蔵国に薪木売り長五郎といふ孝心なる者あり、江戸表はこの沙汰にて、則ち其の趣き板行にあらはれしとて見せられけり。曰く、武蔵国多摩郡府中領押立村に、長五郎といふ小百姓あり。其の身貧しく、妻にもはなれ、八十八歳になる母を養ひ、其の外子供にもせがまれながら、母を大切にやしなひ、孝をつくせしゆへ、公の御恵みにもあづかりしとなり。
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論語・学而篇子夏曰く、「賢を賢として色に易え、父母に事えて能く其の力を竭くし、君に事えて能く其の身を致し、朋友と交わるに言いて信有らば、未だ学ばずと曰うと雖も、吾は必ず之を学びたりと謂わん。」
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『格言聯璧』學問類・士は學有りと雖も行を本と爲す戰は陣有りと雖も、而も勇を本と爲す。 喪は禮有りと雖も、而も哀を本と爲す。 士は學有りと雖も、而も行を本と爲す。 飄風は以て宮商を調ふべからず。巧婦は以て中饋を主るべからず。文章の士は以て國家を治むべからず。 經濟は學問より出づれば、經濟方めて本源有り。
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『斉家論』上此の長五郎、貧しき百姓薪売りの事なれば、学問の徳にて、孝行したりとも見えざれども、天下万民聞き知る程にはなれり。門弟中にも、是までは、文学なくては、学問の甲斐なきなどとおもひし者も、長五郎が事を聞き、いよいよ吾が言ふところに同心するこそ有りがたき。又去る年、門弟一書を持ち来たり見せられけり。題号は越後孝婦伝とあり。曰く、越後国三島郡出雲崎尼瀬の大工作太夫が女房は、姑に孝行なるもの也。夫作太夫も孝心なるものなれど、世のいとなみのやるせなくて、他国かせぎに出づるゆへ、女房ひとり、七十にあまる姑を介抱し、孝行をなし、是も御恵みにあづかりしよし、板行にあらはれ、普く天下にひろまるは、有りがたきにあらずや。元来仮名ものなれば、
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『酔古堂剣掃』集豪・胸中に三斗の墨無くんば士大夫胸中に三斗の墨無くんば、何を以てか管城を運らさん。然れども恐らくは醞釀して宿陳すれば、之を出だすに光澤無からんのみ。
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『慎思録』巻之四志士は日を愛しむ。蓋し百年の期は保ち難くして、時日の逝くことは過ぎ易く、万端の事は繁重にして、進修の功は成り難きを懼るるなり。而して人生最も日を愛しむべきの時、三有り。其の一は幼弱の時なり。記臆と精力と倶に盛んなり。故に博聞強記の功成り易し。一たび記誦すれば、則ち終身忘れず。此の時精励すれば、則ち一日の功、以て十日に当たるべし。此れ学者の当に日を愛しむべきの時なり。其の二は少壮の時なり。父母既に老いて、久しく侍養すること能はず。是を以て定省の功、一日も怠廃すべからず。此れ人子の当に日を愛しむべきの時なり。其の三は老境衰残の日なり。躬既に致仕すれば、則ち公事靡盬の勤労無し。此の時に方りて、須らく其の死期の迫近するを思ひて、日日娯楽し、優游して身を終ふべし。此れ老衰の当に日を愛しむべきの時なり。夫れ善く勤労し、善く娯楽するは、君子の一張一弛の事なり。一時を以て一日と為し、一日を以て十日と為し、一年を以て十年と為す。是れ日を愛しむなり。遜志斎曰く、善く其の身を愛しむ者は、能く百年をして千載と為さしむ、と。亦た此の意のみ。娯楽すること能はず勤労すること能はざれば、則ち日日空しく過ぎ、年年徒らに度り、怠惰にして虚生し、憂苦して身を終ふるのみ。山有枢の詩に曰く、山に漆有り隰に栗有り。子に酒食有り、何ぞ日に瑟を鼓して、且つ以て喜楽し、且つ以て日を永くせざる。宛として其れ死せば、他人室に入らん、と。此の詩は老に至るまで憂苦して楽しみを知らざる者の警戒と為すべし。