囲炉夜話 / 第百三十二則・孝は百行の先に居り淫は萬惡の首なり
常存仁孝心,則天下凡不可為者,皆不忍為,所以孝居百行之先。 一起邪淫念,則生平極不欲為者,皆不難為,所以淫是萬惡之首。
新字:常存仁孝心,則天下凡不可為者,皆不忍為,所以孝居百行之先。 一起邪淫念,則生平極不欲為者,皆不難為,所以淫是万悪之首。
書き下し
常に仁孝の心を存すれば、則ち天下の凡そ爲すべからざる者、皆爲すに忍びず、所以に孝は百行の先に居る。 一たび邪淫の念を起こせば、則ち生平極めて爲すを欲せざる者も、皆爲すに難からず、所以に淫は是れ萬惡の首なり。
現代語訳
いつも仁と孝の心を持っていれば、天下のしてはならないことは、みなするに忍びなくなります。だから孝はあらゆる行いの最初に置かれるのです。ひとたびよこしまでみだらな思いを起こせば、ふだんは決してしたくないと思っていたことも、みな平気でできるようになります。だから淫はあらゆる悪の筆頭なのです。
解説
よく知られた、百善孝を先と為し、万悪淫を首と為す、という格言の理由を説き明かした則です。孝がすべての善の先に立つのは、仁孝の心があれば、してはならないことを自然とする気になれなくなるからだと言います。反対に淫が悪の筆頭とされるのは、ひとたび邪な欲が起こると、ふだん避けていたことにも平気で手を染めるようになるからだと言います。一つの心が、善の側にも悪の側にも、ほかの行いを連れていくという連鎖の見方が、前後の句を貫いています。当時の価値観による言い方ですが、要は、根本の一念がすべての行いを左右するということでしょう。今日でも、一つの欲に負けたことをきっかけに、ほかの一線も次々に越えてしまう例は少なくありません。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
孝仁邪念節制修身
関連する章句
-
『翁問答』下卷之本つねづねもの柔かにして、いかつにたけくうで立のたしなみなくても、孝忠の心だに真実なれば、必武篇つよき証拠は、むかし楊豊といへる人のむすめ、楊香とし十四の時、父にしたがひて山田を刈いける所へ虎ひとつ来りて、楊豊をくひ殺さんとせしを、楊香はしりかゝりて彼の虎の頸にいだきつきて、父の命を助けたり、此楊香は年十四になる女なれば、いかつたけく腕のたしなみなく、柔軟なる事勿論なり、しかれども虎を手打にしたるは、樊噲にもおとらぬ武篇なれば、いかつ腕立のたしなみはせんなくして、孝忠仁義のたしなみ簡要なる事をわきまへ知べし、されば楊香かくの如くの武勇は、只父を深く愛する一念の仁よりはたらく所なれば、孝行忠節の心だに真実なればだれ人も必武篇つよき理りあきらめ易し、是にて仁義の勇の端的をよく体認あるべし。
-
『大和俗訓』巻之一・為学上一およそ天は人の始なり、父母は人の本なり。人は天地を以て大父母とし、父母を以て小天地とす。天地父母其恩ひとし。故に天地につかへて仁を行ふ事、父母につかへて孝を行ふが如くすべし。ここを以て礼経にも、仁人の天につかふるは、親につかふるが如くし、疎なるべからず。親につかふる事、天につかふるが如くすべし。畏慎むべしといへり。おろそかなるは愛なきなり。おそれざるは敬なきなり。天地につかへ奉る父母につかうまつるも、同じく愛敬をいたして、疎ならず、あなどるべからず。天地によくつかふるは仁人なり。仁心をたもつ人なり。父母によくつかふるは孝子なり。孝養をよくつとむる子なり。天地につかへ父母につかふるの道同じ。しかれば、天地につかへ奉るは人間の大事にて、しばしも忘るべからず。
-
『慎思録』巻之一子弟家に居ては、則ち父母に順ひ、兄弟に宜しく、親戚に敦くす。外に在りては、則ち汎く衆を愛して、仁に親しむ。凡そ人倫に接するに、心を平らかにし気を和らげ、慈愛恭敬、忿を懲らし慾を窒ぎ、自ら反みて己を責め、忍ぶこと有り容るること有り、而して居常善を為すを以て楽しみと為す。此れ学者初学より終身に至るまで、日用当務の工夫、一生の事業為り。先づ須らく此に於て基本を立つべし。
-
『弁名』孝悌孝弟忠信は、孔門蓋し之を中庸と謂ふ。其の甚だしくは高からず、人皆行ふべきの事為るを以てなり。故に先王の道を学ぶは、必ず孝弟より始む。諸を辟ふれば、高きに登るは必ず卑きよりし、遠きに行くは必ず邇きよりするがごとし。孟子曰く、「堯舜の道は孝弟のみ」と。是れ之の謂なり。其の以て仁賢の徳に馴致すべきを謂ふなり。然りと雖も、後儒論説を喜ぶこと甚しく、遂に仁孝を以て之を一にす。非なり。孝は自ら孝、仁は自ら仁。君子は一を挙げて以て百を廃するを悪む。仮使一孝にして足らば、則ち江革・王祥既に聖人為らん。故に孔子曰く、「行ひて余力有れば、則ち以て文を学べ」と。孝弟有りと雖も、学ばずんば未だ郷人たるを免れざるを言ふなり。是れ又学者の当に知るべき所なり。然りと雖も、周官の師氏、既に至徳・敏徳を立てて、以て一切を尽くすに足れども、更に孝徳を立てて以て之を教ふ。見るべし、它の不善有りと雖も、苟も孝徳有らば、則ち先王の取る所なるを。先王の孝を重んずること是の若きかな。
-
『五常訓』巻之二・仁之上一天によく事ふる道を仁とし、よく事ふる人を仁人と云ふ。親によく事ふる道を孝とし、よく事ふる人を孝子と云ふ。仁人の天によく事ふるは仁なり。孝子の親によく事ふるは孝なり。礼記に、仁人の親に事ふるは、天に事ふるが如く、天に事ふるは、親に事ふるが如し。是故に、孝子は身を成すといへり。親に事ふるには、愛をおもくし、天に事ふるには、敬をおもくす。愛敬を尽して、天に事へ、親に事ふるは、其身の徳行の成就する道なれば、これを身を成すと云ふ。天は地を統ぶ。地は天の内にあり。故に天道をいへば、地道は其内にあり。天に事ふれば、地に事ふるも、其内にあり。
-
『五常訓』巻之二・仁之上いたりて不仁にして、又愚なりと云ふべし。人の子として、親に事へずして、親の用にたたず、かへりて親にそむき、不孝にして親を苦むるが如し。されば親によく事ふるを孝とし、親に背くを不孝とす。天地によく事ふるを仁とし、天地に背くを不仁とす。仁と孝とは一理なり。天地の恩と父母の恩とは同じ。父母に事ふる心を以て、天地に事ふるは仁なり。天地に事ふる心を以て、父母に事ふるは孝なり。又天理にそむきて人欲を行ふは、我が父母に不孝にして、他人の父母を親むが如し。かへすがへす、ただ人はあだなる世の迷を悟りて、大恩をうけて人と生れ、身をよせたる処の、いたりて貴き天地の道に朝暮したがひ、身を終るまで天道を畏れつつしみて、天に事へ奉るべき事にこそあれ。