慎思録 / 自叙
古之聖賢。說思之有功于問學。不可勝言。夫子以學與思相對說。而其功相等。何也。葢學貴自得。苟不愼思。則雖博學審問。不能融會貫通。而得之於己。故程子曰。爲學之道。必本於思。思則得之。不思則不得。然則思之功。其義大矣哉。余自十四五歲。頗知聖學之可尙。而好誦讀經傳。自幼至老。晨昏不廢。妄意有欲自得之志。且禀性拙鈍。而闇機務。是以無他事業念。啻以講學之事爲當務之急。故平生不喜作拙詞泥訓詁。而作無益曠學功焉。居間讀書之時。每有心生疑惑。則欲開通。而恭默思之。思之弗得弗措。精氣之極。似有鬼神敎之。於此乎毎有會心。則記之策。積歳而成編。雖僭妄之罪固不可逃。庶乎愚者千慮有一得。嗚呼老懶之至。不能修改舛訛。自以爲憾而已。然鄙陋之作。奚待後世之子雲乎。故非敢欲傳諸達識。將以備衰殘之廢忘。且以欲遺之後裔。而爲家訓云爾。
新字:古之聖賢。説思之有功于問学。不可勝言。夫子以学与思相対説。而其功相等。何也。葢学貴自得。苟不慎思。則雖博学審問。不能融会貫通。而得之於己。故程子曰。為学之道。必本於思。思則得之。不思則不得。然則思之功。其義大矣哉。余自十四五歳。頗知聖学之可尚。而好誦読経伝。自幼至老。晨昏不廃。妄意有欲自得之志。且禀性拙鈍。而闇機務。是以無他事業念。啻以講学之事為当務之急。故平生不喜作拙詞泥訓詁。而作無益曠学功焉。居間読書之時。毎有心生疑惑。則欲開通。而恭黙思之。思之弗得弗措。精気之極。似有鬼神教之。於此乎毎有会心。則記之策。積歳而成編。雖僭妄之罪固不可逃。庶乎愚者千慮有一得。嗚呼老懶之至。不能修改舛訛。自以為憾而已。然鄙陋之作。奚待後世之子雲乎。故非敢欲伝諸達識。将以備衰残之廃忘。且以欲遺之後裔。而為家訓云爾。
書き下し
古の聖賢、思の問学に功有るを説くこと、勝げて言ふべからず。夫子、学と思とを以て相対して説き、而して其の功相等し。何ぞや。蓋し学は自得を貴ぶ。苟も慎思せざれば、則ち博学審問すと雖も、融会貫通して之を己に得ること能はず。故に程子曰く、学を為すの道は、必ず思に本づく。思へば則ち之を得、思はざれば則ち得ずと。然らば則ち思の功、其の義大なるかな。余、十四五歳より、頗る聖学の尚ぶべきを知りて、好んで経伝を誦読し、幼より老に至るまで、晨昏廃せず。妄りに意ふに自得せんと欲するの志有り。且つ稟性拙鈍にして、機務に闇し。是を以て他の事業の念無く、啻だ講学の事を以て当務の急と為す。故に平生、拙詞を作り訓詁に泥みて、無益を作し学功を曠しくすることを喜ばず。間に居て書を読むの時、毎に心に疑惑を生ずること有れば、則ち開通せんと欲して、恭黙して之を思ふ。之を思ひて得ざれば措かず。精気の極、鬼神之に教ふること有るに似たり。此に於て毎に会心有れば、則ち之を策に記し、歳を積みて編を成す。僭妄の罪、固より逃るべからずと雖も、愚者も千慮に一得有るに庶からんか。嗚呼、老懶の至り、舛訛を修改すること能はず、自ら以て憾みと為すのみ。然れども鄙陋の作、奚ぞ後世の子雲を待たんや。故に敢へて諸を達識に伝へんと欲するに非ず、将に以て衰残の廃忘に備へ、且つ以て之を後裔に遺して、家訓と為さんとすと云ふのみ。
現代語訳
昔の聖賢が、考えることが学問に役立つと説いた言葉は数えきれません。孔子は学ぶことと考えることを対にして説き、その働きを同じ重さに置きました。なぜでしょうか。学問は自分で会得することを尊ぶからです。慎重に考えなければ、いくら広く学び詳しく問うても、それらを融け合わせて一つに貫き、自分のものにすることはできません。だから程子は「学問の道は必ず思うことに基づく。思えば得られ、思わなければ得られない」と言いました。そうであれば、考えることの働きの意味は大きいものです。私は十四、五歳のころから聖人の学問の尊さを知り、好んで経書とその注釈を読み、幼いときから老年まで朝晩欠かしませんでした。身の程知らずながら、自分で会得したいという志を持っていました。そのうえ生まれつき不器用で鈍く、実務にも暗かったので、ほかの仕事を思うことはなく、ただ学問を講じることを最も急ぐべき務めとしてきました。それで平生、下手な詩文を作ったり訓詁にこだわったりして、無益なことに学問の時間を空費するのは好みませんでした。暇な時に本を読んでいて疑問が生じるたび、それを解きほぐそうと、慎み黙って考えました。考えて分からなければやめませんでした。精神を集中しきると、鬼神が教えてくれたかのように思えることがありました。そうして腑に落ちたことがあるたびに書き付け、年を重ねて一冊にまとめました。身の程を越えた罪は免れませんが、愚か者でも千回考えれば一つは得るものがある、というところでしょうか。ああ、老いて怠けるばかりで、誤りを直すこともできず、自分でも残念に思うばかりです。けれども、このような拙い作が、どうして後世の揚雄のような理解者を待つことがありましょう。ですから見識ある人々に伝えようというのではなく、老いて衰えた自分の物忘れに備え、また子孫に遺して家訓にしようと思うだけなのです。
解説
この章句が説くこと
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