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新論 / 長計

政令刑禁、與典禮敎化並陳兼施、而納民軌物、乘正氣而行正道、皇極既立、民心有主、民之所欲、則天之所從、民從天從、神聖所以變夷俗之方、彼不得倒用、而彼所以圖我之術、我將倒用之、敎令之權、自我制之、廟謨既定、上下同心、千塗萬轍、必由是道而不變、於是乎我所以布皇化、即 神聖之所以布皇化、内有不拔之業、而外無可乘之間、雖使腥羶異類百方誤我、將何以得欺罔我人民也、

新字:政令刑禁、与典礼教化並陳兼施、而納民軌物、乗正気而行正道、皇極既立、民心有主、民之所欲、則天之所従、民従天従、神聖所以変夷俗之方、彼不得倒用、而彼所以図我之術、我将倒用之、教令之権、自我制之、廟謨既定、上下同心、千塗万轍、必由是道而不変、於是乎我所以布皇化、即 神聖之所以布皇化、内有不抜之業、而外無可乗之間、雖使腥羶異類百方誤我、将何以得欺罔我人民也、

書き下し

政令刑禁、典礼教化と並べ陳ね兼ね施して、民を軌物に納れ、正気に乗じて正道を行ひ、皇極既に立ちて、民心主有り。民の欲する所は、則ち天の従ふ所、民従ひ天従へば、神聖の夷俗を変ずる所以の方、彼倒用することを得ずして、彼の我を図る所以の術、我将に之を倒用せんとす。教令の権、我自り之を制し、廟謨既に定まりて、上下心を同じくし、千塗万轍、必ず是の道に由りて変ぜず。是に於てか我の皇化を布く所以は、即ち神聖の皇化を布く所以にして、内に不抜の業有りて、外に乗ずべきの間無し。腥羶の異類をして百方我を誤らしむと雖も、将た何を以てか我が人民を欺罔することを得んや。

現代語訳

政令と刑罰の禁止を、典礼と教化と並べて同時に施し、民を法度の中に収め、正しい気に乗って正しい道を行えば、皇極(君主の立てる大中至正の道)がすでに立ち、民心には主ができる。民の望むところは、天が従うところである。民が従い天が従えば、神聖が夷狄の風俗を変えた方法を彼らが逆用することはできず、彼らがわが国を狙う術を、かえってわが方が逆用することになる。教えと命令の権は自分の側で握り、朝廷の方針がすでに定まって上下が心を一つにし、千の道、万の轍があっても、必ずこの道によって変わらない。そうなれば、わが方が天皇の教化を広めるやり方は、すなわち神聖が天皇の教化を広めたやり方であり、内には揺るがない事業があって、外にはつけこまれる隙がない。生臭い異類があらゆる手でわれらを欺こうとしても、どうしてわが人民をだますことができようか。

解説

長計の結論部に近い一節で、正志斎は政令刑禁と典礼教化を並べて施すことで「皇極」が立ち、民心に主ができると説く。「皇極」は『尚書』洪範の語、「民の欲する所は天必ず之に従ふ」は『尚書』泰誓に見える句で、民心と天意を重ねる儒学の伝統に立っている。相手が用いる術をかえって自分が用いる「倒用」の発想と、教令の権を自ら握るという主張は、主導権をめぐる正志斎の戦略論である。現代でいえば、規則と教育の両輪で方針を定め、上下が心を一つにすれば、外の揺さぶりにつけこまれる隙がなくなる、という組織論として読める。

この章句が説くこと

皇極民心教化主導権尚書長計

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