新論 / 長計
古者京畿及諸國名祠大社所祭神、皆嘗佐 天祖 天孫、能成大功者、而山川百神、鎭民物起風雨、莫非所以助 天神之功者也、故其土民固不得不報其功德、而 天朝亦不得不有所報答焉、是以有官幣、有國幣、毎祈年月次新嘗必班之、〈班官幣國幣諸社見上、〉其祭統之於 朝廷、而四方百神有所係屬焉、〈今諸國以仲冬祀稻魂等神、蓋古者及新嘗班幣、而諸國亦各祭其所在之神、而遺風有猶存者也、是日也、民家爲酒食以相慶、猶周人祭蜡之意也、蜡者所以息老物、龡豳頌、撃土鼓、存古也、以是日養老正齒位、敎民孝弟也、八蜡以記四方、四方年不順成、八蜡不通、以謹民財也、養老飲酒、而民醉飽相慶、一國如狂、孔子曰、百日之蜡、一日之澤、一張一弛、文武之道也、蓋古人所以使民歡欣和樂者如之、而此等之義、亦可因祭而寓之也、〉
新字:古者京畿及諸国名祠大社所祭神、皆嘗佐 天祖 天孫、能成大功者、而山川百神、鎮民物起風雨、莫非所以助 天神之功者也、故其土民固不得不報其功徳、而 天朝亦不得不有所報答焉、是以有官幣、有国幣、毎祈年月次新嘗必班之、〈班官幣国幣諸社見上、〉其祭統之於 朝廷、而四方百神有所係属焉、〈今諸国以仲冬祀稲魂等神、蓋古者及新嘗班幣、而諸国亦各祭其所在之神、而遺風有猶存者也、是日也、民家為酒食以相慶、猶周人祭蜡之意也、蜡者所以息老物、龡豳頌、撃土鼓、存古也、以是日養老正歯位、教民孝弟也、八蜡以記四方、四方年不順成、八蜡不通、以謹民財也、養老飲酒、而民酔飽相慶、一国如狂、孔子曰、百日之蜡、一日之沢、一張一弛、文武之道也、蓋古人所以使民歓欣和楽者如之、而此等之義、亦可因祭而寓之也、〉
書き下し
古は京畿及び諸国の名祠大社の祭る所の神は、皆嘗て天祖・天孫を佐けて、能く大功を成す者にして、山川百神も、民物を鎮め風雨を起し、天神の功を助くる所以に非ざるは莫きなり。故に其の土民固より其の功徳に報いざるを得ずして、天朝も亦報答する所有らざるを得ず。是を以て官幣有り、国幣有り、祈年・月次・新嘗毎に必ず之を班つ。(官幣・国幣を諸社に班つことは上に見ゆ。)其の祭之を朝廷に統べて、四方の百神係属する所有り。(今諸国仲冬を以て稲魂等の神を祀るは、蓋し古は新嘗に及びて幣を班ち、而して諸国も亦各其の所在の神を祭りし、其の遺風猶ほ存する者有るなり。是の日や、民家酒食を為りて以て相慶す、猶ほ周人蜡を祭るの意のごときなり。蜡とは老物を息ましむる所以なり。豳頌を龡き、土鼓を撃つは、古を存するなり。是の日を以て老を養ひ歯位を正すは、民に孝弟を教ふるなり。八蜡以て四方を記し、四方年順成せざれば、八蜡通ぜざるは、以て民財を謹むなり。老を養ひ酒を飲みて、民酔飽して相慶し、一国狂ふが如し。孔子曰く、百日の蜡、一日の沢、一張一弛は、文武の道なりと。蓋し古人の民をして歓欣和楽せしむる所以の者之の如くにして、此等の義も、亦祭に因りて之を寓すべきなり。)
現代語訳
昔、都とその周辺および諸国の名だたる神社や大社が祭る神は、みなかつて天祖・天孫を助けて大きな功績を成し遂げた神であり、山川の百神も、民と物を鎮め風雨を起こして、天神の功業を助けないものはなかった。だからその土地の民はもとよりその功徳に報いずにはいられず、朝廷もまた報い答えないわけにはいかなかった。そこで官幣(神祇官から奉る幣帛)があり、国幣(国司から奉る幣帛)があって、祈年祭・月次祭・新嘗祭のたびに必ずこれを分け与えた。(官幣・国幣を諸社に分け与えることは上に述べた。)その祭りは朝廷に統べられ、四方の百神はつながる所をもった。(今、諸国で冬至の月に稲魂などの神を祀るのは、思うに昔は新嘗祭のときに幣帛を分け与え、諸国もそれぞれその土地の神を祭ったので、その遺風がなお残っているのであろう。この日には民家が酒食を作って互いに祝う。これは周の人々が蜡の祭りをした意味と同じである。蜡とは一年働いた老いた物を休ませる祭りである。豳の頌を笛で奏で、土鼓を打つのは古を伝えるためである。この日に老人を養い年齢の序列を正すのは、民に孝と悌を教えるためである。八蜡の祭りで四方の実りを記し、四方の年の実りが順調でなければ八蜡の祭りを行わないのは、民の財を慎むためである。老人を養い酒を飲んで、民は酔い飽きるまで祝い合い、国中が狂ったようになる。孔子は「百日の苦労に一日の恩恵、張りつめたりゆるめたりするのが文王・武王の道である」と言った。思うに古人が民を喜ばせ和ませたのはこのようであり、こうした意義もまた祭りに託すことができるのである。)
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・倫理・福を求むるは已に君子の心に非ず郊社は、天地生成の大德に報ゆるなり。然れども災沴には禳有り、順成には祈有り。君の私田を為すは則ち仁、民の公田を為すは則ち忠なり。福を求むるを嫌はず、禍を免るるを嫌はず。子孫の先祖を祭るは、追養繼孝を以てなり。我が祖父母より此の身有るなり。曰く、「先人の澤に賴りて、以て其の餘慶を享く」と。曰く、「吾朝夕奉養して歡を承けしに、一旦復た杯棬を獻ぜず、心悲思して寄する無し、故に祭薦して以て吾が情を伸ぶるなり」と。曰く、「吾貧賤にして菽水を供するに足らず、今鼎食するも親逮ばず、心悲思して及ぶ莫し、故に祭薦して以て吾が悔いを志すなり」と。豈に其の遊魂虛位の能く我を福せんが為に之を求めんや。福を求むるは已に君子の心に非ず。而して一飯の設、數拜の勤を以て、福を先人に求む、仁孝誠敬の心果たして是くのごとくならんや。利を謀らず、報を責めず、其の感激を望まず。他人に在りてすら猶ほ然り、而るに況んや我が先人をや。『詩』の祭は必ず福を言ふ、而して『楚茨』の諸詩を尤も甚だしと為す、豈に訓と為す可けんや。吾獨り『采蘩』『采蘋』の二詩に取る有り。物を盡くし志を盡くし、以て吾が子孫の誠敬を達するのみ、他は及ばざるなり。此の道に明らかならば、則ち天下の萬事萬物皆我の當に為すべき所を盡くし、禍福利害は皆其の自ら至るに聽す。人事脩まりて外慕の心息み、道に向かふこと專らにして作輟の念忘れん。何者ぞ。性分に明らかにして冀悻する所無ければなり。
-
『呻吟語』外篇・品藻・古人の笑ふ所宋儒は古に泥み、更に古昔の真偽、今世の是非を考へず。只だ祭祀一節の如し。古人は席地にして飲食に便ならず。故に簠簋籩豆を尚び、其の器は皆な高し。今古人を祭るに之を用ふるは、其の時に從ふなり。子孫の祖考を祭るは、只だ祖考の常に用ひし所の宜しきを用ふ可し。而るに簠簋籩豆是れ設くるは可ならんや。諸の此の類の如きは甚だ多く、皆な古人の笑ふ所なり。古人をして今に生まれしめば、舉動必ず此の如くならざらん。
-
論語・八佾篇子曰く、『禘は既に灌より往くもの、吾これを観るを欲せざるなり。』
-
『墨子』明鬼下今、無鬼を執る者曰く、意うに親の利に忠ならずして、孝子を害するを為さんか、と。子墨子曰く、古今の鬼を為すは、他に非ざるなり。天鬼有り、亦た山川鬼神なる者有り、亦た人、死して鬼と為る者有り。今、子の其の父に先んじて死し、弟の其の兄に先んじて死する者有り。意うに死すること然りと雖も、然り而して天下の陳物、曰く、先に生まるる者は先に死す、と。是くの若くんば、則ち先に死する者は父に非ざれば則ち母、兄に非ざれば而ち姒なり。今、潔く酒醴粢盛を為りて、以て敬み慎みて祭祀す。若し鬼神をして誠に有らしめば、是れ其の父母姒兄を得て之に飲食せしむるなり。豈に厚利に非ざらんや。
-
『呻吟語』内篇・談道・鑿ちて求む可からず、道破す可からず鬼神を敬事するは、聖人の世教を維持する大端なり。其の義は深く、其の功は大なり。但だ自ら鑿ちて求む可からず、道破す可からざるのみ。
-
『都鄙問答』卷之二・鬼神ヲ遠ト云事ヲ問ノ段又問、或人云、子曰、其の鬼に非ずして之を祭るは諂ひなりと、祭べからずとのたまふ。我朝には、土地の神、又太神宮といへども、御恩の為に、五穀の出来、初穂や或は神楽などを捧奉ることなれば、兎角唐土とは違有と云り。然るに汝、神は一列の如くに云へるは、如何なることぞ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る