新論 / 國體上
昔者 天祖肇建鴻基、位即天位、德即天德、以經綸天業、細大之事、無一非天者、比德於玉、比明於鏡、比威於劍、體天之仁、則天之明、奮天之威、以照萬邦、迨以天下傳於 皇孫、而手授三器、以爲天位之信、以象天德、而代天工治天職、然後傳之千萬世、天胤之尊、嚴乎其不可犯、君臣之分定、而大義以明矣、天祖之傳神器、特執寶鏡祝曰、視此猶視吾焉、而萬世奉祀、以爲 天祖之神、 聖子神孫、仰寶鏡而見影於其中、所見者即 天祖之遺體、而視猶視 天祖、於是乎盥薦之間、神人相感、不可以已、則其追遠申孝、敬身修德、亦豈得已哉、父子之親敦、而至恩以隆矣、
新字:昔者 天祖肇建鴻基、位即天位、徳即天徳、以経綸天業、細大之事、無一非天者、比徳於玉、比明於鏡、比威於剣、体天之仁、則天之明、奮天之威、以照万邦、迨以天下伝於 皇孫、而手授三器、以為天位之信、以象天徳、而代天工治天職、然後伝之千万世、天胤之尊、厳乎其不可犯、君臣之分定、而大義以明矣、天祖之伝神器、特執宝鏡祝曰、視此猶視吾焉、而万世奉祀、以為 天祖之神、 聖子神孫、仰宝鏡而見影於其中、所見者即 天祖之遺体、而視猶視 天祖、於是乎盥薦之間、神人相感、不可以已、則其追遠申孝、敬身修徳、亦豈得已哉、父子之親敦、而至恩以隆矣、
書き下し
昔者、天祖肇めて鴻基を建て、位は即ち天位、徳は即ち天徳、以て天業を経綸し、細大の事、一として天に非ざる者無し。徳を玉に比し、明を鏡に比し、威を剣に比し、天の仁を体し、天の明に則り、天の威を奮ひ、以て万邦を照す。天下を以て皇孫に伝ふるに迨び、手づから三器を授けて、以て天位の信と為し、以て天徳に象り、而して天工に代り天職を治めしめ、然る後之を千万世に伝ふ。天胤の尊、厳乎として其れ犯すべからず、君臣の分定まりて、大義以て明かなり。天祖の神器を伝ふるや、特に宝鏡を執りて祝して曰く、「此を視ること猶ほ吾を視るがごとくせよ」と。而して万世奉祀して、以て天祖の神と為す。聖子神孫、宝鏡を仰ぎて影を其の中に見る。見る所の者は即ち天祖の遺体にして、視ること猶ほ天祖を視るがごとし。是に於てか盥薦の間、神人相感じて、以て已むべからず。則ち其の追遠申孝、敬身修徳、亦豈已むを得んや。父子の親敦くして、至恩以て隆し。
現代語訳
昔、天祖(天照大神)が初めて大いなる基を建てたとき、その位は天の位、その徳は天の徳であり、天の事業を治め、大小の事に天に基づかないものは一つもなかった。徳を玉に、明るさを鏡に、威光を剣にたとえ、天の仁を体し、天の明に則り、天の威をふるって万国を照らした。天下を皇孫(瓊瓊杵尊)に伝えるにあたって、手ずから三種の神器を授けて天位のしるしとし、天の徳をかたどらせ、天の働きに代わって天の職を治めさせ、そのうえで千万世に伝えた。天照大神の子孫の尊さはおごそかで侵すことができず、君臣の分が定まって大義が明らかになった。天祖が神器を伝えたとき、とくに宝鏡を手に取って「これを見ることは、私を見るのと同じようにせよ」と祝福した。そして万世にわたってこれを祀り、天祖の御霊とした。聖なる子孫は宝鏡を仰いで、その中に自分の姿を見る。そこに見えるのは天祖の遺した身体(子孫の身)であり、それを見ることは天祖を見るのと同じである。こうして祭りで手を清め供え物をする間に、神と人とが感じ合って、やむことがない。祖先を追慕して孝を尽くし、身を慎み徳を修めることも、どうしてやめられようか。こうして父子の親しみが厚くなり、最上の恩が盛んになった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・倫理・福を求むるは已に君子の心に非ず郊社は、天地生成の大德に報ゆるなり。然れども災沴には禳有り、順成には祈有り。君の私田を為すは則ち仁、民の公田を為すは則ち忠なり。福を求むるを嫌はず、禍を免るるを嫌はず。子孫の先祖を祭るは、追養繼孝を以てなり。我が祖父母より此の身有るなり。曰く、「先人の澤に賴りて、以て其の餘慶を享く」と。曰く、「吾朝夕奉養して歡を承けしに、一旦復た杯棬を獻ぜず、心悲思して寄する無し、故に祭薦して以て吾が情を伸ぶるなり」と。曰く、「吾貧賤にして菽水を供するに足らず、今鼎食するも親逮ばず、心悲思して及ぶ莫し、故に祭薦して以て吾が悔いを志すなり」と。豈に其の遊魂虛位の能く我を福せんが為に之を求めんや。福を求むるは已に君子の心に非ず。而して一飯の設、數拜の勤を以て、福を先人に求む、仁孝誠敬の心果たして是くのごとくならんや。利を謀らず、報を責めず、其の感激を望まず。他人に在りてすら猶ほ然り、而るに況んや我が先人をや。『詩』の祭は必ず福を言ふ、而して『楚茨』の諸詩を尤も甚だしと為す、豈に訓と為す可けんや。吾獨り『采蘩』『采蘋』の二詩に取る有り。物を盡くし志を盡くし、以て吾が子孫の誠敬を達するのみ、他は及ばざるなり。此の道に明らかならば、則ち天下の萬事萬物皆我の當に為すべき所を盡くし、禍福利害は皆其の自ら至るに聽す。人事脩まりて外慕の心息み、道に向かふこと專らにして作輟の念忘れん。何者ぞ。性分に明らかにして冀悻する所無ければなり。
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『呻吟語』外篇・品藻・古人の笑ふ所宋儒は古に泥み、更に古昔の真偽、今世の是非を考へず。只だ祭祀一節の如し。古人は席地にして飲食に便ならず。故に簠簋籩豆を尚び、其の器は皆な高し。今古人を祭るに之を用ふるは、其の時に從ふなり。子孫の祖考を祭るは、只だ祖考の常に用ひし所の宜しきを用ふ可し。而るに簠簋籩豆是れ設くるは可ならんや。諸の此の類の如きは甚だ多く、皆な古人の笑ふ所なり。古人をして今に生まれしめば、舉動必ず此の如くならざらん。
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『呻吟語』内篇・談道・鑿ちて求む可からず、道破す可からず鬼神を敬事するは、聖人の世教を維持する大端なり。其の義は深く、其の功は大なり。但だ自ら鑿ちて求む可からず、道破す可からざるのみ。
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