新論 / 長計
其他如大忌風神、鎭華鎭火等、或祈水澤、或禳沴風、鎭疫神、防火患、如此之類、並爲小祀、亦皆所以爲國家禳災祈福也、〈周人亦有祈年、有五祀有烝嘗、有飌師雨師山林川澤之祭、其義亦與以上諸祭相類、〉有斯祭則有斯義、行之 朝廷、達之四方、報本反始之義、與其所以爲民祈禳之意、擧而皆與天下同之、上任其事、而民聽於上、顒顒然唯廟堂是仰、而神姦不得行、民志之所以純一也、
新字:其他如大忌風神、鎮華鎮火等、或祈水沢、或禳沴風、鎮疫神、防火患、如此之類、並為小祀、亦皆所以為国家禳災祈福也、〈周人亦有祈年、有五祀有烝嘗、有飌師雨師山林川沢之祭、其義亦与以上諸祭相類、〉有斯祭則有斯義、行之 朝廷、達之四方、報本反始之義、与其所以為民祈禳之意、挙而皆与天下同之、上任其事、而民聴於上、顒顒然唯廟堂是仰、而神姦不得行、民志之所以純一也、
書き下し
其の他大忌・風神、鎮花・鎮火等の如き、或いは水沢を祈り、或いは沴風を禳ひ、疫神を鎮め、火患を防ぐ、此くの如きの類は、並びに小祀と為す。亦皆国家の為に災を禳ひ福を祈る所以なり。(周人にも亦祈年有り、五祀有り、烝嘗有り、飌師・雨師・山林川沢の祭有り、其の義も亦以上の諸祭と相類す。)斯の祭有れば則ち斯の義有り。之を朝廷に行ひ、之を四方に達し、報本反始の義と、其の民の為に祈禳する所以の意と、挙げて皆天下と之を同じくす。上其の事に任じて、民上に聴き、顒顒然として唯だ廟堂を是れ仰ぎて、神姦行はるるを得ず。民志の純一なる所以なり。
現代語訳
そのほか大忌祭・風神祭、鎮花祭・鎮火祭などのように、あるいは水の恵みを祈り、あるいは悪い風を祓い、疫病の神を鎮め、火災を防ぐ、このような類の祭りは、いずれも小祀とする。これらもみな国家のために災いを祓い福を祈るためのものである。(周の人々にも祈年の祭りがあり、五祀があり、烝・嘗の祭りがあり、風の神・雨の神・山林川沢の祭りがあって、その意義も以上の諸祭とよく似ている。)この祭りがあればこの意義がある。それを朝廷で行い、四方に行き渡らせて、根本に報い始めに返るという意義と、民のために祈り祓うという意図とを、すべて天下と共にする。上がその務めを担い、民は上に従って、敬いつつしんでただ朝廷を仰ぎ、神をかたる邪な者たちは何もできない。これが民の志が純一になるゆえんである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・倫理・福を求むるは已に君子の心に非ず郊社は、天地生成の大德に報ゆるなり。然れども災沴には禳有り、順成には祈有り。君の私田を為すは則ち仁、民の公田を為すは則ち忠なり。福を求むるを嫌はず、禍を免るるを嫌はず。子孫の先祖を祭るは、追養繼孝を以てなり。我が祖父母より此の身有るなり。曰く、「先人の澤に賴りて、以て其の餘慶を享く」と。曰く、「吾朝夕奉養して歡を承けしに、一旦復た杯棬を獻ぜず、心悲思して寄する無し、故に祭薦して以て吾が情を伸ぶるなり」と。曰く、「吾貧賤にして菽水を供するに足らず、今鼎食するも親逮ばず、心悲思して及ぶ莫し、故に祭薦して以て吾が悔いを志すなり」と。豈に其の遊魂虛位の能く我を福せんが為に之を求めんや。福を求むるは已に君子の心に非ず。而して一飯の設、數拜の勤を以て、福を先人に求む、仁孝誠敬の心果たして是くのごとくならんや。利を謀らず、報を責めず、其の感激を望まず。他人に在りてすら猶ほ然り、而るに況んや我が先人をや。『詩』の祭は必ず福を言ふ、而して『楚茨』の諸詩を尤も甚だしと為す、豈に訓と為す可けんや。吾獨り『采蘩』『采蘋』の二詩に取る有り。物を盡くし志を盡くし、以て吾が子孫の誠敬を達するのみ、他は及ばざるなり。此の道に明らかならば、則ち天下の萬事萬物皆我の當に為すべき所を盡くし、禍福利害は皆其の自ら至るに聽す。人事脩まりて外慕の心息み、道に向かふこと專らにして作輟の念忘れん。何者ぞ。性分に明らかにして冀悻する所無ければなり。
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『呻吟語』外篇・品藻・古人の笑ふ所宋儒は古に泥み、更に古昔の真偽、今世の是非を考へず。只だ祭祀一節の如し。古人は席地にして飲食に便ならず。故に簠簋籩豆を尚び、其の器は皆な高し。今古人を祭るに之を用ふるは、其の時に從ふなり。子孫の祖考を祭るは、只だ祖考の常に用ひし所の宜しきを用ふ可し。而るに簠簋籩豆是れ設くるは可ならんや。諸の此の類の如きは甚だ多く、皆な古人の笑ふ所なり。古人をして今に生まれしめば、舉動必ず此の如くならざらん。
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論語・八佾篇子曰く、『禘は既に灌より往くもの、吾これを観るを欲せざるなり。』
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『墨子』明鬼下今、無鬼を執る者曰く、意うに親の利に忠ならずして、孝子を害するを為さんか、と。子墨子曰く、古今の鬼を為すは、他に非ざるなり。天鬼有り、亦た山川鬼神なる者有り、亦た人、死して鬼と為る者有り。今、子の其の父に先んじて死し、弟の其の兄に先んじて死する者有り。意うに死すること然りと雖も、然り而して天下の陳物、曰く、先に生まるる者は先に死す、と。是くの若くんば、則ち先に死する者は父に非ざれば則ち母、兄に非ざれば而ち姒なり。今、潔く酒醴粢盛を為りて、以て敬み慎みて祭祀す。若し鬼神をして誠に有らしめば、是れ其の父母姒兄を得て之に飲食せしむるなり。豈に厚利に非ざらんや。
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『呻吟語』内篇・談道・鑿ちて求む可からず、道破す可からず鬼神を敬事するは、聖人の世教を維持する大端なり。其の義は深く、其の功は大なり。但だ自ら鑿ちて求む可からず、道破す可からざるのみ。
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