新論 / 長計
祀典之目、踐祚大嘗爲大祀、 天皇即位、大報天祖、最宜致敬也、祈年以禱時令順序於天下諸社、月次以奉幣帛於天社國社、如庶人宅神祭、〈蓋 天子以四海爲一家、故雖如宅神、而頒幣諸國神社、且其所祭者、及生島足島等神、而其 大神宮祝詞、亦以光被遐邇爲言、不特爲一家而祭也、〉新嘗義如大嘗、而歳行之、以上諸祭、皆爲中祀、所以養萬民安國家報 天神者、亦宜敬也、 大神宮則別有神衣、而夏秋供神衣、有神嘗、九月神衣祭日行之、蓋以報 天祖頒嘉穀敎養蠶之德、亦皆中祀也、
新字:祀典之目、践祚大嘗為大祀、 天皇即位、大報天祖、最宜致敬也、祈年以祷時令順序於天下諸社、月次以奉幣帛於天社国社、如庶人宅神祭、〈蓋 天子以四海為一家、故雖如宅神、而頒幣諸国神社、且其所祭者、及生島足島等神、而其 大神宮祝詞、亦以光被遐邇為言、不特為一家而祭也、〉新嘗義如大嘗、而歳行之、以上諸祭、皆為中祀、所以養万民安国家報 天神者、亦宜敬也、 大神宮則別有神衣、而夏秋供神衣、有神嘗、九月神衣祭日行之、蓋以報 天祖頒嘉穀教養蠶之徳、亦皆中祀也、
書き下し
祀典の目、践祚大嘗を大祀と為す。天皇即位して、大いに天祖に報ず、最も宜しく敬を致すべきなり。祈年は以て時令の順序を天下の諸社に禱り、月次は以て幣帛を天社国社に奉る、庶人の宅神祭の如し。(蓋し天子は四海を以て一家と為す、故に宅神の如しと雖も、而も幣を諸国の神社に頒ち、且つ其の祭る所の者、生島・足島等の神に及び、而して其の大神宮の祝詞も、亦光遐邇に被るを以て言と為す、特に一家の為に祭るにあらざるなり。)新嘗は義大嘗の如くにして、歳ごとに之を行ふ。以上の諸祭は、皆中祀と為す、万民を養ひ国家を安んじ天神に報ずる所以の者なれば、亦宜しく敬すべきなり。大神宮は則ち別に神衣有り、而して夏秋に神衣を供す。神嘗有り、九月神衣祭の日に之を行ふ。蓋し以て天祖の嘉穀を頒ち養蚕を教へたまひし徳に報ずるなり。亦皆中祀なり。
現代語訳
祀典の項目では、践祚大嘗祭(即位後に初めて行う大嘗祭)を大祀とする。天皇が即位して天祖に大いに報いるのだから、最も敬意を尽くすべきである。祈年祭は季節の巡りが順調であるよう天下の諸社に祈り、月次祭は天社・国社に幣帛を奉るもので、庶民の家の神の祭りのようなものである。(思うに天子は天下を一つの家とするから、家の神の祭りのようであっても、幣帛を諸国の神社に分け与え、しかも祭る対象は生島・足島などの神にまで及び、その大神宮の祝詞も光が遠近に及ぶことを述べていて、ただ一家のために祭るのではない。)新嘗祭は意義が大嘗祭と同じで、毎年これを行う。以上の諸祭はみな中祀とし、万民を養い国家を安んじ天神に報いるためのものであるから、やはり敬うべきである。大神宮(伊勢神宮)には別に神衣祭があり、夏と秋に神の衣を供える。また神嘗祭があり、九月の神衣祭の日に行う。思うにこれは、天祖がよい穀物を分け与え養蚕を教えた徳に報いるためで、これもみな中祀である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・倫理・福を求むるは已に君子の心に非ず郊社は、天地生成の大德に報ゆるなり。然れども災沴には禳有り、順成には祈有り。君の私田を為すは則ち仁、民の公田を為すは則ち忠なり。福を求むるを嫌はず、禍を免るるを嫌はず。子孫の先祖を祭るは、追養繼孝を以てなり。我が祖父母より此の身有るなり。曰く、「先人の澤に賴りて、以て其の餘慶を享く」と。曰く、「吾朝夕奉養して歡を承けしに、一旦復た杯棬を獻ぜず、心悲思して寄する無し、故に祭薦して以て吾が情を伸ぶるなり」と。曰く、「吾貧賤にして菽水を供するに足らず、今鼎食するも親逮ばず、心悲思して及ぶ莫し、故に祭薦して以て吾が悔いを志すなり」と。豈に其の遊魂虛位の能く我を福せんが為に之を求めんや。福を求むるは已に君子の心に非ず。而して一飯の設、數拜の勤を以て、福を先人に求む、仁孝誠敬の心果たして是くのごとくならんや。利を謀らず、報を責めず、其の感激を望まず。他人に在りてすら猶ほ然り、而るに況んや我が先人をや。『詩』の祭は必ず福を言ふ、而して『楚茨』の諸詩を尤も甚だしと為す、豈に訓と為す可けんや。吾獨り『采蘩』『采蘋』の二詩に取る有り。物を盡くし志を盡くし、以て吾が子孫の誠敬を達するのみ、他は及ばざるなり。此の道に明らかならば、則ち天下の萬事萬物皆我の當に為すべき所を盡くし、禍福利害は皆其の自ら至るに聽す。人事脩まりて外慕の心息み、道に向かふこと專らにして作輟の念忘れん。何者ぞ。性分に明らかにして冀悻する所無ければなり。
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『呻吟語』外篇・品藻・古人の笑ふ所宋儒は古に泥み、更に古昔の真偽、今世の是非を考へず。只だ祭祀一節の如し。古人は席地にして飲食に便ならず。故に簠簋籩豆を尚び、其の器は皆な高し。今古人を祭るに之を用ふるは、其の時に從ふなり。子孫の祖考を祭るは、只だ祖考の常に用ひし所の宜しきを用ふ可し。而るに簠簋籩豆是れ設くるは可ならんや。諸の此の類の如きは甚だ多く、皆な古人の笑ふ所なり。古人をして今に生まれしめば、舉動必ず此の如くならざらん。
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論語・八佾篇子曰く、『禘は既に灌より往くもの、吾これを観るを欲せざるなり。』
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『墨子』明鬼下今、無鬼を執る者曰く、意うに親の利に忠ならずして、孝子を害するを為さんか、と。子墨子曰く、古今の鬼を為すは、他に非ざるなり。天鬼有り、亦た山川鬼神なる者有り、亦た人、死して鬼と為る者有り。今、子の其の父に先んじて死し、弟の其の兄に先んじて死する者有り。意うに死すること然りと雖も、然り而して天下の陳物、曰く、先に生まるる者は先に死す、と。是くの若くんば、則ち先に死する者は父に非ざれば則ち母、兄に非ざれば而ち姒なり。今、潔く酒醴粢盛を為りて、以て敬み慎みて祭祀す。若し鬼神をして誠に有らしめば、是れ其の父母姒兄を得て之に飲食せしむるなり。豈に厚利に非ざらんや。
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『呻吟語』内篇・談道・鑿ちて求む可からず、道破す可からず鬼神を敬事するは、聖人の世教を維持する大端なり。其の義は深く、其の功は大なり。但だ自ら鑿ちて求む可からず、道破す可からざるのみ。
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