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新論 / 長計

夫太陽餘光之所被、則仁人博愛之所曁、雖四海萬國、亦莫非人類、而妖敎之滋蔓、棼亂天倫、泯滅人紀使元元蠱惑沈溺、相率爲禽獸爲鬼蜮、豈仁人之所忍視哉、故覆幬無外、以夏變夷、使天人免於胡羯誣罔者、固仁人之志、而揆文奮武、光被四表、以覲耿光揚大烈者、仁人之業也、〈古者聲敎訖于四海者、神禹之功、而匹夫匹婦有不與被堯舜之澤者、若己推内之溝中者、伊尹之志也、故洚水不爲堯而至、而堯以爲警余者、堯之仁也、平城之患不爲漢武遺之、而漢武以爲高帝遺我者、漢武之義也、擧此類、古人所自任可見也、〉

新字:夫太陽余光之所被、則仁人博愛之所曁、雖四海万国、亦莫非人類、而妖教之滋蔓、棼乱天倫、泯滅人紀使元元蠱惑沈溺、相率為禽獣為鬼蜮、豈仁人之所忍視哉、故覆幬無外、以夏変夷、使天人免於胡羯誣罔者、固仁人之志、而揆文奮武、光被四表、以覲耿光揚大烈者、仁人之業也、〈古者声教訖于四海者、神禹之功、而匹夫匹婦有不与被堯舜之沢者、若己推内之溝中者、伊尹之志也、故洚水不為堯而至、而堯以為警余者、堯之仁也、平城之患不為漢武遺之、而漢武以為高帝遺我者、漢武之義也、挙此類、古人所自任可見也、〉

書き下し

夫れ太陽の余光の被る所は、則ち仁人の博愛の曁ぶ所なり。四海万国と雖も、亦人類に非ざるは莫し。而るに妖教の滋蔓して、天倫を棼乱し、人紀を泯滅し、元元をして蠱惑沈溺し、相率ゐて禽獣と為り鬼蜮と為らしむ、豈に仁人の視るに忍びん所ならんや。故に覆幬外無く、夏を以て夷を変じ、天人をして胡羯の誣罔を免れしむる者は、固より仁人の志にして、文を揆り武を奮ひ、光四表に被りて、以て耿光を覲し大烈を揚ぐる者は、仁人の業なり。(古は声教四海に訖るは、神禹の功にして、匹夫匹婦の堯舜の沢を被るに与らざる者有らば、己推して之を溝中に内るるが若しとするは、伊尹の志なり。故に洚水堯の為に至らずして、堯以て余を警むと為すは、堯の仁なり。平城の患は漢武の為に之を遺さずして、漢武以て高帝我に遺すと為すは、漢武の義なり。此の類を挙ぐれば、古人の自ら任ずる所見るべし。)

現代語訳

そもそも太陽の余光が及ぶところは、仁ある人の博愛が及ぶところである。天下万国といえども、人類でないものはない。ところが妖しい教えがはびこり、天の定めた人倫を乱し、人の秩序を消し去り、民衆を惑わし溺れさせて、連れ立って禽獣となり鬼や化け物とならせている。これがどうして仁ある人の見るに忍びようか。だから天が覆い地が載せるように外なくすべてを包み、中華の道で夷狄を変え、天と人とを夷狄の偽りから免れさせるのは、もとより仁ある人の志であり、文の教えをはかり武の守りを奮い、光を四方の果てまで及ぼして、先人の輝きを仰ぎその大いなる功業を揚げるのは、仁ある人の事業である。(昔、声望と教化が四海に及んだのは、神のごとき禹の功績である。一人の男女でも堯・舜の恩沢を受けない者がいれば、自分がその人を溝の中に突き落としたかのように思ったのは、伊尹の志である。だから大洪水は堯のせいで起こったのではないのに、堯はこれを自分への戒めとしたのは、堯の仁である。平城の災い(漢の高祖が匈奴に包囲された事件)は漢の武帝のために残されたものではないのに、武帝はこれを高祖が自分に遺した課題としたのは、武帝の義である。このような例を挙げれば、古人が自ら何を引き受けたかがわかる。)

解説

正志斎は、西洋の教えを退けることを、万国の人を救う「仁人の志」として位置づけ直す。割注では、禹の教化、伊尹が一人でも恩沢に漏れれば自分が溝に突き落としたように感じた志(『孟子』万章上)、洪水を自らの戒めとした堯、平城の恥を自らの課題とした漢の武帝を挙げ、古人が天下の課題を自ら引き受けたことを示す。他の宗教を「妖教」とするのは当時の禁教下の正志斎の主張である。一方、自分が招いたのではない課題を自分のものとして引き受ける姿勢は、現代の指導者にも求められる責任の取り方として読むことができる。

この章句が説くこと

仁責任教化志事業孟子

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