新論 / 長計
夫物莫威於天、故聖人嚴敬欽奉、不使天爲死物、而使民有所畏敬悚服焉、物莫靈於人、其魂魄精強、不能與草木禽獸澌滅、其於死生之際、亦不能漠然無念、故聖人明祀禮、以治幽明、使死者有所憑以安其神、生者知死有所依、而不弐其志、民既畏敬悚服於天威、則不誑於誣天之邪説、無歉然於幽明、則不眩於身後禍福、報祭祈禳、上任其事、而民聽於上、則敬君如奉天、追遠申孝、人輯其族、而情盡於内、則念祖如慕父、民心純於下而怪妄不經之説莫由而入焉、
新字:夫物莫威於天、故聖人厳敬欽奉、不使天為死物、而使民有所畏敬悚服焉、物莫霊於人、其魂魄精強、不能与草木禽獣澌滅、其於死生之際、亦不能漠然無念、故聖人明祀礼、以治幽明、使死者有所憑以安其神、生者知死有所依、而不弐其志、民既畏敬悚服於天威、則不誑於誣天之邪説、無歉然於幽明、則不眩於身後禍福、報祭祈禳、上任其事、而民聴於上、則敬君如奉天、追遠申孝、人輯其族、而情尽於内、則念祖如慕父、民心純於下而怪妄不経之説莫由而入焉、
書き下し
夫れ物は天より威なるは莫し。故に聖人厳敬欽奉して、天をして死物たらしめず、而して民をして畏敬悚服する所有らしむ。物は人より霊なるは莫し。其の魂魄精強にして、草木禽獣と澌滅すること能はず、其の死生の際に於ても、亦漠然として念ふこと無きこと能はず。故に聖人祀礼を明らかにして、以て幽明を治め、死者をして憑りて以て其の神を安んずる所有らしめ、生者をして死して依る所有るを知りて、其の志を弐にせざらしむ。民既に天威に畏敬悚服すれば、則ち天を誣ふるの邪説に誑かされず、幽明に歉然たること無ければ、則ち身後の禍福に眩まず。報祭祈禳、上其の事に任じて、民上に聴けば、則ち君を敬すること天を奉ずるが如く、遠きを追ひ孝を申べ、人其の族を輯めて、情内に尽くれば、則ち祖を念ふこと父を慕ふが如し。民心下に純にして、怪妄不経の説由りて入ること莫し。
現代語訳
そもそも天ほど威厳あるものはない。だから聖人は天をおごそかに敬い奉って、天を死んだ物にせず、民に畏れ敬いひれ伏すところをもたせた。人ほど霊妙なものはない。その魂魄は精妙で強く、草木や禽獣のように消え去ることはできず、生と死の境においても、ぼんやりと何も思わずにいることはできない。だから聖人は祭祀の礼を明らかにして幽(死者の世界)と明(生者の世界)を治め、死者には寄りどころを得てその霊を安らかにさせ、生者には死後に寄る所があると知らせて、その志が二つに分かれないようにした。民が天の威を畏れ敬いひれ伏していれば、天を偽る邪説に欺かれず、幽明について心残りがなければ、死後の禍福の説に目がくらまない。報恩の祭りや祈りとお祓いは上がその務めを担い、民が上に従えば、君を敬うことは天を奉ずるようになり、遠い祖先を追慕して孝を尽くし、人々が一族を集めて情が内に尽くされれば、祖先を思うことは父を慕うようになる。民心が下で純一になれば、怪しくでたらめな説の入りこむ余地はない。
解説
この章句が説くこと
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『弁名』天命帝鬼神是れ其の天地と功徳を同じくし、広大悠久なる、孰か得て之に比せん。故に後世の聖人、之を祀りて諸を天に合せ、名づけて帝と曰ふ。月令に載する所の五帝の名の如き是れなり。夫れ人死すれば、体魄は地に帰し、魂気は天に帰す。夫れ神なる者は測るべからざる者なり。何を以て能く彼是を別たんや。況んや五帝の徳は天に侔し。祀りて以て之に合すれば、天と別無し。故に詩書に天と称し帝と称して、識別する所有る莫き者は、是が為の故なり。
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『講孟余話』萬章上 第六章然るに漢儒以来、洪範春秋の説を附会し、五行天文種々の説を設けて世を眩惑し、又唐の六典には大瑞・上瑞・中瑞・下瑞の目を載するに至る。是れ所謂天を誣ふるの甚だしき者にして、余甚だ此の類を悪み、務めて是れを排斥す。而して此の説已に人心に漸漬し、遽かに破り難し。唐の柳宗元が天説、時令論、貞符等の諸篇、其の論極めて明透なり、余常に好んで称道す。今又孟子の此の章を得て根拠とす。「之れをして祭を主らしめて、百神之れを享く」。祭りて神の享くとは、我が誠心の徹するを云ふ。舜大麓に入れば烈風雷雨にも迷はずと、即ち此の事なり。又易に「震百里を驚かすも、匕鬯を喪はず」と云ふも同じことなり。天地鬼神素より物なし。然れども名山大川、宗廟社稷、皆人心の自然に崇敬する所、故に祭祀する者斉戒沐浴し、必ず誠に必ず敬なれば、自ら著明する物あり、是れ則ち百神の享くる所なり。故に神の享くるは心の誠あるなり。心已に誠なれば、以て事を治めて百姓を安んずべし。此の理を知らずして、神の享くるに至りて異端怪誕の説を附会することなかれ。
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