弁名 / 天命帝鬼神
是其與天地同功德。廣大悠久。孰得而比之。故後世聖人。祀之合諸天。名曰帝。如月令所載五帝之名是也。夫人死。體魄歸於地。魂氣歸于天。夫神也者不可測者也。何以能別彼是乎。況五帝之德。侔于天。祀以合之。與天無別。故詩書稱天稱帝。莫有所識別者。爲是故也。
新字:是其与天地同功徳。広大悠久。孰得而比之。故後世聖人。祀之合諸天。名曰帝。如月令所載五帝之名是也。夫人死。体魄帰於地。魂気帰于天。夫神也者不可測者也。何以能別彼是乎。況五帝之徳。侔于天。祀以合之。与天無別。故詩書称天称帝。莫有所識別者。為是故也。
書き下し
是れ其の天地と功徳を同じくし、広大悠久なる、孰か得て之に比せん。故に後世の聖人、之を祀りて諸を天に合せ、名づけて帝と曰ふ。月令に載する所の五帝の名の如き是れなり。夫れ人死すれば、体魄は地に帰し、魂気は天に帰す。夫れ神なる者は測るべからざる者なり。何を以て能く彼是を別たんや。況んや五帝の徳は天に侔し。祀りて以て之に合すれば、天と別無し。故に詩書に天と称し帝と称して、識別する所有る莫き者は、是が為の故なり。
現代語訳
これは天地と功徳を同じくし、広大で悠久であって、誰がこれに比べられようか。だから後世の聖人はこれを祀って天に合わせ、名づけて「帝」と呼んだ。『礼記』月令に載る五帝の名がそれである。そもそも人が死ねば、肉体は地に帰り、魂は天に帰る。神というものは測り知れないものである。どうしてあれとこれとを区別できようか。まして五帝の徳は天に等しい。祀って天に合わせれば、天と区別はない。だから『詩経』『書経』で天と言い帝と言って、区別するところがないのは、このためである。
解説
上古の聖人の功徳は天地に等しいので、後世の聖人は彼らを祀って天に合わせ、「帝」と名づけた。徂徠はこれが帝の名の起こりだとする。人は死ねば魂気が天に帰り、神は測り知れないので、天に合わせて祀った五帝と天とは区別しようがない。詩経や書経が天と帝を区別せずに使うのはそのためだという。理屈で天と帝を分けようとした宋儒に対し、徂徠は祭祀という具体的な制度から語の意味を明らかにする。言葉の意味は、それが使われる場の実践を見て初めて分かる。組織の用語も、現場での使われ方から確かめたい。
この章句が説くこと
帝天五帝祭祀神詩書
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