新論 / 長計
〈古者有所征討、則祭其有功烈於地方者、使其子孫主祭、以鎭民物、如鹿島神以武功鎭東方、而常奧地分祀其神最多、式所載、陸奧國中、以鹿島及鹿島御子爲號者八社、格載鹿島苗裔神、在陸奥者三十八社、蓋建雷命及其子孫平其地而有功、故世祭之也、大己貴命平出雲、豐城命平毛野、子孫咸鎭其地、而世主其祭、諸神如是之類、其在諸國者甚多、因民所瞻仰、以鎭土俗、所以使萬民生恭敬之心也、周人營洛邑、咸秩無文、記功宗、以功作元祀、其意亦頗有與 祖宗法相類者也、〉以純民心、而斥夷狄、變獷俗、是以德化日洽、黎民時雍、其群神百祀之在京畿及諸國、以鎭護地方者、民至於今瞻仰敬禮、有足因以復寓報本反始之義者、
新字:〈古者有所征討、則祭其有功烈於地方者、使其子孫主祭、以鎮民物、如鹿島神以武功鎮東方、而常奥地分祀其神最多、式所載、陸奥国中、以鹿島及鹿島御子為号者八社、格載鹿島苗裔神、在陸奥者三十八社、蓋建雷命及其子孫平其地而有功、故世祭之也、大己貴命平出雲、豊城命平毛野、子孫咸鎮其地、而世主其祭、諸神如是之類、其在諸国者甚多、因民所瞻仰、以鎮土俗、所以使万民生恭敬之心也、周人営洛邑、咸秩無文、記功宗、以功作元祀、其意亦頗有与 祖宗法相類者也、〉以純民心、而斥夷狄、変獷俗、是以徳化日洽、黎民時雍、其群神百祀之在京畿及諸国、以鎮護地方者、民至於今瞻仰敬礼、有足因以復寓報本反始之義者、
書き下し
(古は征討する所有れば、則ち其の地方に功烈有る者を祭り、其の子孫をして祭を主らしめ、以て民物を鎮む。鹿島の神の如きは武功を以て東方を鎮め、而して常奥の地其の神を分祀すること最も多し。式に載する所、陸奥国中、鹿島及び鹿島御子を以て号と為す者八社、格に鹿島の苗裔神を載す、陸奥に在る者三十八社。蓋し建雷命及び其の子孫其の地を平らげて功有り、故に世之を祭るなり。大己貴命は出雲を平らげ、豊城命は毛野を平らげ、子孫咸其の地を鎮めて、世其の祭を主る。諸神是くの如きの類、其の諸国に在る者甚だ多し。民の瞻仰する所に因りて、以て土俗を鎮む。万民をして恭敬の心を生ぜしむる所以なり。周人洛邑を営み、咸無文を秩し、功宗を記し、功を以て元祀と作す。其の意も亦頗る祖宗の法と相類する者有るなり。)以て民心を純にして、夷狄を斥け、獷俗を変ず。是を以て徳化日に洽く、黎民時に雍らぐ。其の群神百祀の京畿及び諸国に在りて、以て地方を鎮護する者は、民今に至るまで瞻仰敬礼し、因りて以て復た報本反始の義を寓するに足る者有り。
現代語訳
(昔は征討を行うと、その地方で功績のあった神を祭り、その子孫に祭りを主宰させて、民と物を鎮めた。たとえば鹿島の神は武功によって東方を鎮め、常陸や陸奥の地ではその神を分けて祀ることが最も多い。『延喜式』に載るものでは、陸奥国の中で鹿島や鹿島御子を名とする神社が八社あり、『三代格』に載る鹿島の子孫神は陸奥に三十八社ある。思うに建雷命(武甕槌命)とその子孫がその地を平定して功があったので、代々これを祭ったのである。大己貴命は出雲を平定し、豊城命は毛野を平定し、子孫がみなその地を鎮めて、代々その祭りを主宰した。このような神々が諸国には非常に多い。民が仰ぎ見るものに基づいて土地の風俗を鎮める。これが万民に慎み敬う心を生じさせる方法である。周の人々が洛邑を造営したときも、記録にない神々まで秩序立てて祭り、功ある祖を記し、功績によって大きな祭りの対象とした。その意もまた、わが国の祖宗の法とよく似たところがある。)こうして民の心を純一にし、夷狄を退け、荒々しい風俗を改めた。それゆえ徳による感化は日ごとに行き渡り、民はこうして和らいだ。多くの神々や数々の祭祀で、都や諸国にあって地方を守り鎮めるものは、民が今に至るまで仰ぎ見て敬い拝しており、それによって再び、根本に報い始めに返るという義を託すに足るものがある。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・倫理・福を求むるは已に君子の心に非ず郊社は、天地生成の大德に報ゆるなり。然れども災沴には禳有り、順成には祈有り。君の私田を為すは則ち仁、民の公田を為すは則ち忠なり。福を求むるを嫌はず、禍を免るるを嫌はず。子孫の先祖を祭るは、追養繼孝を以てなり。我が祖父母より此の身有るなり。曰く、「先人の澤に賴りて、以て其の餘慶を享く」と。曰く、「吾朝夕奉養して歡を承けしに、一旦復た杯棬を獻ぜず、心悲思して寄する無し、故に祭薦して以て吾が情を伸ぶるなり」と。曰く、「吾貧賤にして菽水を供するに足らず、今鼎食するも親逮ばず、心悲思して及ぶ莫し、故に祭薦して以て吾が悔いを志すなり」と。豈に其の遊魂虛位の能く我を福せんが為に之を求めんや。福を求むるは已に君子の心に非ず。而して一飯の設、數拜の勤を以て、福を先人に求む、仁孝誠敬の心果たして是くのごとくならんや。利を謀らず、報を責めず、其の感激を望まず。他人に在りてすら猶ほ然り、而るに況んや我が先人をや。『詩』の祭は必ず福を言ふ、而して『楚茨』の諸詩を尤も甚だしと為す、豈に訓と為す可けんや。吾獨り『采蘩』『采蘋』の二詩に取る有り。物を盡くし志を盡くし、以て吾が子孫の誠敬を達するのみ、他は及ばざるなり。此の道に明らかならば、則ち天下の萬事萬物皆我の當に為すべき所を盡くし、禍福利害は皆其の自ら至るに聽す。人事脩まりて外慕の心息み、道に向かふこと專らにして作輟の念忘れん。何者ぞ。性分に明らかにして冀悻する所無ければなり。
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『呻吟語』外篇・品藻・古人の笑ふ所宋儒は古に泥み、更に古昔の真偽、今世の是非を考へず。只だ祭祀一節の如し。古人は席地にして飲食に便ならず。故に簠簋籩豆を尚び、其の器は皆な高し。今古人を祭るに之を用ふるは、其の時に從ふなり。子孫の祖考を祭るは、只だ祖考の常に用ひし所の宜しきを用ふ可し。而るに簠簋籩豆是れ設くるは可ならんや。諸の此の類の如きは甚だ多く、皆な古人の笑ふ所なり。古人をして今に生まれしめば、舉動必ず此の如くならざらん。
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論語・八佾篇子曰く、『禘は既に灌より往くもの、吾これを観るを欲せざるなり。』
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『墨子』明鬼下今、無鬼を執る者曰く、意うに親の利に忠ならずして、孝子を害するを為さんか、と。子墨子曰く、古今の鬼を為すは、他に非ざるなり。天鬼有り、亦た山川鬼神なる者有り、亦た人、死して鬼と為る者有り。今、子の其の父に先んじて死し、弟の其の兄に先んじて死する者有り。意うに死すること然りと雖も、然り而して天下の陳物、曰く、先に生まるる者は先に死す、と。是くの若くんば、則ち先に死する者は父に非ざれば則ち母、兄に非ざれば而ち姒なり。今、潔く酒醴粢盛を為りて、以て敬み慎みて祭祀す。若し鬼神をして誠に有らしめば、是れ其の父母姒兄を得て之に飲食せしむるなり。豈に厚利に非ざらんや。
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『呻吟語』内篇・談道・鑿ちて求む可からず、道破す可からず鬼神を敬事するは、聖人の世教を維持する大端なり。其の義は深く、其の功は大なり。但だ自ら鑿ちて求む可からず、道破す可からざるのみ。
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『都鄙問答』卷之二・鬼神ヲ遠ト云事ヲ問ノ段又問、或人云、子曰、其の鬼に非ずして之を祭るは諂ひなりと、祭べからずとのたまふ。我朝には、土地の神、又太神宮といへども、御恩の為に、五穀の出来、初穂や或は神楽などを捧奉ることなれば、兎角唐土とは違有と云り。然るに汝、神は一列の如くに云へるは、如何なることぞ。
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