新論 / 長計
神道既明、而 列聖繼紹、班祀典四方、咸秩無文、〈延喜式所載神名、宮中及京師畿内七道、總三千一百餘座、大四百九十二座、其三百四座並預祈年月次新嘗等祭案上官幣、就中七十一座、預相嘗祭、其一百八十八座、並預祈年國幣小二千六百四十座、其四百三十三座、並預祈年案下官幣、二千二百七座、並預祈年國幣、其秩祀概如是、天下群祀、莫不該也、〉征討則記功宗、以鎭其地、
新字:神道既明、而 列聖継紹、班祀典四方、咸秩無文、〈延喜式所載神名、宮中及京師畿内七道、総三千一百余座、大四百九十二座、其三百四座並預祈年月次新嘗等祭案上官幣、就中七十一座、預相嘗祭、其一百八十八座、並預祈年国幣小二千六百四十座、其四百三十三座、並預祈年案下官幣、二千二百七座、並預祈年国幣、其秩祀概如是、天下群祀、莫不該也、〉征討則記功宗、以鎮其地、
書き下し
神道既に明らかにして、列聖継紹し、祀典を四方に班ち、咸無文を秩す。(延喜式に載する所の神名、宮中及び京師・畿内・七道、総て三千一百余座、大は四百九十二座、其の三百四座は並びに祈年・月次・新嘗等の祭の案上の官幣に預かり、就中七十一座は相嘗祭に預かり、其の一百八十八座は並びに祈年の国幣に預かる。小は二千六百四十座、其の四百三十三座は並びに祈年の案下の官幣に預かり、二千二百七座は並びに祈年の国幣に預かる。其の秩祀概ね是くの如し。天下の群祀、該ねざる莫きなり。)征討すれば則ち功宗を記して、以て其の地を鎮む。
現代語訳
神の道がすでに明らかになると、歴代の天皇が受け継ぎ、祭祀の規定を四方に配り、記録に載っていない神々まで残らず秩序立てて祭った。(『延喜式』に載る神の名は、宮中および都・畿内・七道を合わせて三千百余座であり、大社は四百九十二座、そのうち三百四座はいずれも祈年祭・月次祭・新嘗祭などで案上(机の上)に置かれる官幣にあずかり、なかでも七十一座は相嘗祭にあずかり、百八十八座はいずれも祈年祭の国幣にあずかる。小社は二千六百四十座、そのうち四百三十三座はいずれも祈年祭の案下(机の下)の官幣にあずかり、二千二百七座はいずれも祈年祭の国幣にあずかる。祭祀の秩序はおおよそこのとおりである。天下のあらゆる祭りで、網羅されていないものはない。)征討を行えば、功績ある祖神を記して、その地を鎮めた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・談道・鑿ちて求む可からず、道破す可からず鬼神を敬事するは、聖人の世教を維持する大端なり。其の義は深く、其の功は大なり。但だ自ら鑿ちて求む可からず、道破す可からざるのみ。
-
礼記・仲尼燕居子貢退き、言游進みて曰く、「敢えて問う、礼なる者は、悪を領(おさ)めて好を全うする者か」と。子曰く、「然り」と。「然らば則ち何如」と。子曰く、「郊社の義は、鬼神を仁する所以なり。嘗禘(しょうてい)の礼は、昭穆(しょうぼく)を仁する所以なり。饋奠(きてん)の礼は、死喪を仁する所以なり。射郷の礼は、郷党を仁する所以なり。食饗の礼は、賓客を仁する所以なり」と。子曰く、「郊社の義、嘗禘の礼に明らかなれば、国を治むること其れ諸(これ)を掌に指すが如きのみか。是の故に、これを以て居処に礼有り、故に長幼辨ず。これを以て閨門の内に礼有り、故に三族和す。これを以て朝廷に礼有り、故に官爵序あり。これを以て田猟に礼有り、故に戎事閑(なら)う。これを以て軍旅に礼有り、故に武功成る。是の故に、宮室其の度を得、量鼎其の象を得、味其の時を得、楽其の節を得、車其の式を得、鬼神其の饗を得、喪紀其の哀を得、辨説其の党を得、官其の体を得、政事其の施を得。身に加えて前に錯(お)けば、凡そ衆の動き其の宜しきを得」と。
-
国語・楚語下「少皞(しょうこう)の衰うるに及ぶや、九黎徳を乱し、民神雑糅(ざつじゅう)して、方物すべからず。夫人ごとに享を作し、家ごとに巫史と為り、要質有る無し。民祀に匱しくして、其の福を知らず。烝享(じょうきょう)度無く、民神位を同じくす。民斉盟を瀆(けが)して、厳威有る無し。神民の則に狎(な)れて、其の為を蠲(きよ)めず。嘉生降らず、物の以て享する無し。禍災薦(しき)りに臻(いた)りて、其の気を尽くす莫し。顓頊(せんぎょく)之を受け、乃ち南正重に命じて天を司りて以て神を属せしめ、火正黎に命じて地を司りて以て民を属せしめ、旧常に復して、相侵瀆(しんとく)すること無からしむ。是を地天の通いを絶つと謂う。 「其の後、三苗九黎の徳を復す。堯復た重・黎の後の旧を忘れざる者を育てて、復た之を典(つかさど)らしむ。以て夏・商に至る。故に重・黎氏世々天地を叙して、其の分主を別つ者なり。其の周に在りては、程伯休父(ていはくきゅうほ)其の後なり。宣王の時に当たりて、其の官守を失いて、司馬氏と為る。其の祖を寵神して、以て威を民に取り、曰く、『重は寔に天を上げ、黎は寔に地を下す』と。世の乱に遭いて、之を能く禦ぐ莫きなり。然らずんば、夫れ天地成りて変ぜず、何の比(ちか)づくことか之れ有らん」と。
-
国語・楚語下昭王観射父(かんせきほ)に問いて曰く、「周書に所謂(いわゆる)重・黎寔に天地をして通ぜざらしむとは、何ぞや。若し然ること無くんば、民将に能く天に登らんとするか」と。 対えて曰く、「此の謂に非ざるなり。古は民神雑(まじ)わらず。民の精爽(せいそう)にして攜貳(けいじ)せざる者、而も又能く斉粛衷正にして、其の智は能く上下義に比し、其の聖は能く光遠宣朗、其の明は能く之を光照し、其の聡は能く之を聴徹す。是くの如くなれば則ち明神之に降る。男に在りては覡(げき)と曰い、女に在りては巫と曰う。是れ神の処位次主を制して、之が牲器時服を為らしむ。而る後に先聖の後の光烈有りて、能く山川の号、高祖の主、宗廟の事、昭穆の世、斉敬の勤、礼節の宜、威儀の則、容貌の崇、忠信の質、禋絜(いんけつ)の服を知りて、明神を敬恭する者をして、以て之が祝と為す。名姓の後の、能く四時の生、犠牲の物、玉帛の類、采服の儀、彝器(いき)の量、次主の度、屏摂の位、壇場の所、上下の神、氏姓の出を知りて、心旧典に率(したが)う者をして之が宗と為す。是に於てか天地神民類物の官有り、是を五官と謂う。各々其の序を司りて、相乱れず。民是を以て能く忠信有り、神是を以て能く明徳有り。民神業を異にし、敬して瀆(けが)さず。故に神之に嘉生を降し、民物を以て享し、禍災至らず、求用匱(とぼ)しからず。
-
『呻吟語』外篇・品藻・古人の笑ふ所宋儒は古に泥み、更に古昔の真偽、今世の是非を考へず。只だ祭祀一節の如し。古人は席地にして飲食に便ならず。故に簠簋籩豆を尚び、其の器は皆な高し。今古人を祭るに之を用ふるは、其の時に從ふなり。子孫の祖考を祭るは、只だ祖考の常に用ひし所の宜しきを用ふ可し。而るに簠簋籩豆是れ設くるは可ならんや。諸の此の類の如きは甚だ多く、皆な古人の笑ふ所なり。古人をして今に生まれしめば、舉動必ず此の如くならざらん。
-
『墨子』明鬼下今、無鬼を執る者曰く、意うに親の利に忠ならずして、孝子を害するを為さんか、と。子墨子曰く、古今の鬼を為すは、他に非ざるなり。天鬼有り、亦た山川鬼神なる者有り、亦た人、死して鬼と為る者有り。今、子の其の父に先んじて死し、弟の其の兄に先んじて死する者有り。意うに死すること然りと雖も、然り而して天下の陳物、曰く、先に生まるる者は先に死す、と。是くの若くんば、則ち先に死する者は父に非ざれば則ち母、兄に非ざれば而ち姒なり。今、潔く酒醴粢盛を為りて、以て敬み慎みて祭祀す。若し鬼神をして誠に有らしめば、是れ其の父母姒兄を得て之に飲食せしむるなり。豈に厚利に非ざらんや。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る