新論 / 長計
夫善經略天下者、志氣恢廓、必先觀於大勢焉、而地形人情、兵謀戰略、了然如指掌、然後措置計畫、次第而施之、天下形勢、固我握中之物也、太祖之定中州、兵未發、先知其地形足以恢弘天業、而所以經略天下者、固既了然、規畫先定、然後動、是以旌旆所向、束手聽令也、 崇神天皇有志欲宣揚國威、光被海外、〈 天皇夢 神告曰、海外之國亦當歸化、 天皇是夢、蓋亦有不偶然者也、〉時近畿猶有未平定者、未及勦絶之、既制天下爲四道、以經營四方、蓋有見於其大勢也、是以近者先平、遠者踵來、遂成中興之業也、
新字:夫善経略天下者、志気恢廓、必先観於大勢焉、而地形人情、兵謀戦略、了然如指掌、然後措置計画、次第而施之、天下形勢、固我握中之物也、太祖之定中州、兵未発、先知其地形足以恢弘天業、而所以経略天下者、固既了然、規画先定、然後動、是以旌旆所向、束手聴令也、 崇神天皇有志欲宣揚国威、光被海外、〈 天皇夢 神告曰、海外之国亦当帰化、 天皇是夢、蓋亦有不偶然者也、〉時近畿猶有未平定者、未及勦絶之、既制天下為四道、以経営四方、蓋有見於其大勢也、是以近者先平、遠者踵来、遂成中興之業也、
書き下し
夫れ善く天下を経略する者は、志気恢廓にして、必ず先づ大勢を観る。而して地形人情、兵謀戦略、了然として掌を指すが如くにして、然る後措置計画し、次第にして之を施す。天下の形勢は、固より我が握中の物なり。太祖の中州を定むるや、兵未だ発せずして、先づ其の地形の以て天業を恢弘するに足るを知り、而して天下を経略する所以の者、固より既に了然たり。規画先づ定まりて、然る後動く。是を以て旌旆の向かふ所、手を束ねて令を聴くなり。崇神天皇志有りて国威を宣揚し、光海外に被らしめんと欲す。(天皇の夢に神告げて曰く、海外の国も亦当に帰化すべしと。天皇の是の夢、蓋し亦偶然ならざる者有るなり。)時に近畿猶ほ未だ平定せざる者有り。未だ之を勦絶するに及ばずして、既に天下を制して四道と為し、以て四方を経営す。蓋し其の大勢に見る有ればなり。是を以て近き者先づ平らぎ、遠き者踵ぎて来たり、遂に中興の業を成すなり。
現代語訳
そもそも天下をうまく治め開く者は、志が広く大きく、必ずまず大きな形勢を見る。そして地形や人情、軍の謀や戦略が、掌を指すようにはっきりしてから、手立てを講じ計画を立て、順序立てて実行する。天下の形勢は、もとより自分の手の内にあるものとなる。太祖(神武天皇)が中州(大和)を平定したとき、兵を発する前に、まずその地形が天業を大きく広げるのに十分であることを知り、天下を治め開く方法はとっくにはっきりしていた。計画がまず定まってから動いたのである。だから旗の向かうところ、人々は手をこまねいて命令に従った。崇神天皇は国威を高め、その光を海外にまで及ぼそうとする志をもっていた。(天皇の夢に神が「海外の国もまた帰順するであろう」と告げた。天皇のこの夢も、おそらく偶然ではないものがあったのだろう。)当時、近畿にはまだ平定されていない者がいた。それを滅ぼしきらないうちに、すでに天下を四つの道に分けて四方を経営した。思うに大きな形勢を見通していたからである。だから近い者がまず平らぎ、遠い者が続いて従い、ついに中興の事業を成し遂げたのである。
解説
この章句が説くこと
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孫子・始計篇孫子曰く、兵とは国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからず。
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