史記 / 項羽本紀
當此時,彭越數反梁地,絕楚糧食,項王患之。為高俎,置太公其上,告漢王曰:「今不急下,吾烹太公。」漢王曰:「吾與項羽俱北面受命懷王,曰『約為兄弟』,吾翁即若翁,必欲烹而翁,則幸分我一桮羹。」項王怒,欲殺之。項伯曰:「天下事未可知,且為天下者不顧家,雖殺之無益,秪益禍耳。」項王從之。楚漢久相持未決,丁壯苦軍旅,老弱罷轉漕。項王謂漢王曰:「天下匈匈數歲者,徒以吾兩人耳,願與漢王挑戰決雌雄,毋徒苦天下之民父子為也。」漢王笑謝曰:「吾寧鬬智,不能鬬力。」項王令壯士出挑戰。漢有善騎射者樓煩,楚挑戰三合,樓煩輒射殺之。項王大怒,乃自被甲持戟挑戰。樓煩欲射之,項王瞋目叱之,樓煩目不敢視,手不敢發,遂走還入壁,不敢復出。漢王使人閒問之,乃項王也。漢王大驚。於是項王乃即漢王相與臨廣武閒而語。漢王數之,項王怒,欲一戰。漢王不聽,項王伏弩射中漢王。漢王傷,走入成皋。項王聞淮陰侯已舉河北,破齊、趙,且欲擊楚,乃使龍且往擊之。淮陰侯與戰,騎將灌嬰擊之,大破楚軍,殺龍且。韓信因自立為齊王。項王聞龍且軍破,則恐,使盱台人武涉往說淮陰侯。淮陰侯弗聽。是時,彭越復反,下梁地,絕楚糧。
新字:当此時,彭越数反梁地,絶楚糧食,項王患之。為高俎,置太公其上,告漢王曰:「今不急下,吾烹太公。」漢王曰:「吾与項羽倶北面受命懐王,曰『約為兄弟』,吾翁即若翁,必欲烹而翁,則幸分我一桮羹。」項王怒,欲殺之。項伯曰:「天下事未可知,且為天下者不顧家,雖殺之無益,秪益禍耳。」項王従之。楚漢久相持未決,丁壮苦軍旅,老弱罷転漕。項王謂漢王曰:「天下匈匈数歳者,徒以吾両人耳,願与漢王挑戦決雌雄,毋徒苦天下之民父子為也。」漢王笑謝曰:「吾寧闘智,不能闘力。」項王令壮士出挑戦。漢有善騎射者楼煩,楚挑戦三合,楼煩輒射殺之。項王大怒,乃自被甲持戟挑戦。楼煩欲射之,項王瞋目叱之,楼煩目不敢視,手不敢発,遂走還入壁,不敢復出。漢王使人閒問之,乃項王也。漢王大驚。於是項王乃即漢王相与臨広武閒而語。漢王数之,項王怒,欲一戦。漢王不聴,項王伏弩射中漢王。漢王傷,走入成皋。項王聞淮陰侯已舉河北,破斉、趙,且欲撃楚,乃使竜且往撃之。淮陰侯与戦,騎将灌嬰撃之,大破楚軍,殺竜且。韓信因自立為斉王。項王聞竜且軍破,則恐,使盱台人武渉往説淮陰侯。淮陰侯弗聴。是時,彭越復反,下梁地,絶楚糧。
書き下し
此の時に当たりて、彭越数(しばしば)梁の地に反し、楚の糧食を絶つ、項王之を患ふ。高俎を為り、太公を其の上に置き、漢王に告げて曰く、「今急ぎ下らずんば、吾太公を烹ん。」と。漢王曰く、「吾項羽と倶に北面して命を懐王に受け、曰く『約して兄弟と為る』と、吾が翁は即ち若(なんぢ)が翁なり、必ず而(なんぢ)が翁を烹んと欲せば、則ち幸ひに我に一桮の羹を分かて。」と。項王怒り、之を殺さんと欲す。項伯曰く、「天下の事未だ知るべからず、且つ天下を為むる者は家を顧みず、之を殺すと雖も益無く、秪(ただ)禍を益すのみ。」と。項王之に従ふ。楚漢久しく相持して未だ決せず、丁壮は軍旅に苦しみ、老弱は転漕に罷る。項王漢王に謂ひて曰く、「天下匈匈たること数歳なる者は、徒だ吾が両人を以てのみ、願はくは漢王と挑戦して雌雄を決せん、徒らに天下の民の父子を苦しむるを為す毋からん。」と。漢王笑ひて謝して曰く、「吾寧ろ智を鬬はすも、力を鬬はす能はず。」と。項王壮士をして出でて挑戦せしむ。漢に騎射を善くする者楼煩有り、楚挑戦すること三合、楼煩輒ち之を射殺す。項王大いに怒り、乃ち自ら甲を被り戟を持ちて挑戦す。楼煩之を射んと欲す、項王目を瞋らして之を叱す、楼煩目敢へて視ず、手敢へて発せず、遂に走りて還りて壁に入り、敢へて復た出でず。漢王人をして間かに之を問はしむ、乃ち項王なり。漢王大いに驚く。是に於て項王乃ち漢王に即きて相与に広武の間に臨みて語る。漢王之を数(せ)む、項王怒り、一戦せんと欲す。漢王聴かず、項王伏弩もて漢王を射中つ。漢王傷つき、走りて成皋に入る。項王淮陰侯已に河北を挙げ、斉・趙を破り、且に楚を撃たんと欲すと聞き、乃ち龍且をして往きて之を撃たしむ。淮陰侯与に戦ひ、騎将灌嬰之を撃ち、大いに楚の軍を破り、龍且を殺す。韓信因りて自ら立ちて斉王と為る。項王龍且の軍破るると聞き、則ち恐れ、盱台の人武渉をして往きて淮陰侯に説かしむ。淮陰侯聴かず。是の時、彭越復た反し、梁の地を下し、楚の糧を絶つ。
現代語訳
このとき、彭越がたびたび梁の地で反旗を翻し、楚の食糧補給を断ったので、項王はこれに悩まされた。そこで高いまな板台を作り、太公(劉邦の父)をその上に置いて、漢王に告げた。「いますぐ降伏しなければ、太公を釜ゆでにするぞ」。漢王は言った。「私は項羽とともに北面して懐王から命を受け、『兄弟の契りを結ぶ』と誓った。だから私の父はお前の父でもある。どうしても自分の父を釜ゆでにしたいのなら、どうか私にもそのスープを一杯分けてくれ」。項王は怒って太公を殺そうとした。項伯が言った。「天下の行方はまだ分からない。それに天下を取ろうとする者は家族を顧みないものだ。殺しても何の益もなく、ただ禍を増すばかりだ」。項王はこれに従った。楚と漢は長くにらみ合ったまま決着がつかず、壮年の男たちは従軍に苦しみ、老人や子どもは物資の輸送に疲れ果てていた。項王は漢王に言った。「天下が数年も騒がしいのは、ただ我々二人がいるためだ。漢王と一騎打ちをして雌雄を決したい。いたずらに天下の民を父子ともども苦しめるのはやめよう」。漢王は笑って断り、「私は知恵で戦うことはあっても、力で戦うことはできない」と言った。項王は勇士を陣から出して挑戦させた。漢には騎射の名手の楼煩(北方の騎馬民族出身の射手)がいて、楚が三度挑戦すると、楼煩はそのたびに相手を射殺した。項王は大いに怒り、自ら鎧を着て戟を持って挑戦した。楼煩が射ようとすると、項王は目をいからせて叱りつけた。楼煩は目を合わせることもできず、手は矢を放つこともできず、ついに逃げ帰って砦に入り、二度と出てこなかった。漢王が人をやってひそかに尋ねさせると、それは項王であった。漢王は大いに驚いた。そこで項王は漢王に近づき、ともに広武の谷を挟んで語り合った。漢王が項王の罪を数え上げて責めると、項王は怒り、一戦を交えようとした。漢王が応じなかったので、項王は伏せておいた弩(いしゆみ)で漢王を射て命中させた。漢王は傷を負い、成皋に逃げ込んだ。項王は、淮陰侯(韓信)がすでに黄河の北を攻め取り、斉と趙を破って、さらに楚を攻めようとしていると聞き、龍且を送ってこれを攻めさせた。淮陰侯はこれと戦い、騎兵の将の灌嬰が攻撃して楚の軍を大いに破り、龍且を殺した。韓信はそこで自ら斉王となった。項王は龍且の軍が破れたと聞くと恐れ、盱台の人武渉を送って淮陰侯を説得させた。しかし淮陰侯は聞き入れなかった。このとき、彭越が再び反旗を翻し、梁の地を攻め落として楚の食糧補給を断った。
解説
関連する章句
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史記 高祖本紀漢王酈生をして往きて斉王田広に説かしむ、広楚に叛き、漢と和し、共に項羽を撃たんとす。韓信蒯通の計を用ゐ、遂に襲ひて斉を破る。斉王酈生を烹、東のかた高密に走る。項羽韓信已に河北の兵を挙げて斉・趙を破り、且に楚を撃たんと欲すと聞き、則ち龍且・周蘭をして往きて之を撃たしむ。韓信与に戦ふ、騎将灌嬰撃ちて、大いに楚の軍を破り、龍且を殺す。斉王広彭越に奔る。此の時に当たりて、彭越兵を将ゐて梁の地に居り、往来して楚の兵を苦しめ、其の糧食を絶つ。四年、項羽乃ち海春侯大司馬曹咎に謂ひて曰く、「謹みて成皋を守れ。若し漢挑戦すとも、慎みて与に戦ふ勿かれ、東するを得しむる無きのみ。我十五日にして必ず梁の地を定め、復た将軍に従はん。」と。乃ち行きて陳留・外黄・睢陽を撃ち、之を下す。漢果たして数(しばしば)楚の軍に挑む、楚の軍出でず、人をして之を辱めしむること五六日、大司馬怒り、兵を汜水に度す。士卒半ば渡る、漢之を撃ち、大いに楚の軍を破り、尽く楚国の金玉貨賂を得たり。大司馬咎・長史欣皆汜水の上に自剄す。項羽睢陽に至り、海春侯の破るるを聞き、乃ち兵を引きて還る。漢の軍方に鍾離眛を滎陽の東に囲む、項羽至る、尽く険阻に走る。韓信已に斉を破り、人をして言はしめて曰く、「斉は楚に辺し、権軽し、仮王と為らずんば、恐らくは斉を安んずる能はざらん。」と。漢王之を攻めんと欲す。留侯曰く、「因りて之を立て、自ら守りを為さしむるに如かず。」と。乃ち張良を遣はして印綬を操りて韓信を立てて斉王と為す。項羽龍且の軍の破るるを聞き、則ち恐れ、盱台の人武渉をして往きて韓信に説かしむ。韓信聴かず。楚漢久しく相持して未だ決せず、丁壮は軍旅に苦しみ、老弱は転饟に罷る。漢王・項羽相与に広武の間に臨みて語る。項羽漢王と独身にて挑戦せんと欲す。
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史記 高祖本紀漢王項羽を数めて曰く、「始め項羽と倶に命を懐王に受く、曰く先づ入りて関中を定むる者は之を王とせんと、項羽約に負き、我を蜀漢に王とす、罪の一なり。項羽卿子冠軍を矯殺して自ら尊ぶ、罪の二なり。項羽已に趙を救ひ、当に還りて報ずべきに、而して擅に諸侯の兵を劫かして関に入る、罪の三なり。懐王約すらく秦に入りて暴掠する無かれと、項羽秦の宮室を焼き、始皇帝の冢を掘り、私に其の財物を収む、罪の四なり。又彊ひて秦の降王子嬰を殺す、罪の五なり。詐りて秦の子弟を新安に阬にすること二十万、其の将を王とす、罪の六なり。項羽皆諸将を善地に王とし、而して故主を徙逐し、臣下をして争ひて叛逆せしむ、罪の七なり。項羽義帝を彭城より出だし逐ひ、自ら之に都し、韓王の地を奪ひ、梁・楚に并せ王とし、多く自ら予ふ、罪の八なり。項羽人をして陰かに義帝を江南に弑せしむ、罪の九なり。夫れ人臣と為りて其の主を弑し、已に降るを殺し、政を為すこと平らかならず、約を主りて信ならず、天下の容れざる所、大逆無道なり、罪の十なり。吾義兵を以て諸侯に従ひて残賊を誅す、刑余の罪人をして項羽を撃殺せしめん、何ぞ苦しみて乃ち公と挑戦せんや。」と。項羽大いに怒り、伏弩もて漢王を射中つ。漢王匈(むね)を傷つく、乃ち足を捫(な)でて曰く、「虜吾が指に中つ。」と。漢王創を病みて臥す、張良彊ひて漢王に起ちて行きて軍を労はんことを請ひ、以て士卒を安んじ、楚をして漢に勝ちに乗ぜしむる毋からしむ。漢王出でて軍を行(めぐ)る、病甚だし、因りて馳せて成皋に入る。病愈え、西して関に入り、櫟陽に至り、父老を存問し、置酒し、故の塞王欣の頭を櫟陽の市に梟す。留まること四日、復た軍に如き、広武に軍す。関中の兵益々出づ。此の時に当たりて、彭越兵を将ゐて梁の地に居り、往来して楚の兵を苦しめ、其の糧食を絶つ。田横往きて之に従ふ。項羽数(しばしば)彭越等を撃つ、斉王信又進みて楚を撃つ。項羽恐れ、乃ち漢王と約し、天下を中分し、鴻溝を割きて西なる者を漢と為し、鴻溝よりして東なる者を楚と為す。
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史記 淮陰侯列伝願はくは仮王と為らば便なり」と。是の時に当たり、楚方に急に漢王を滎陽に囲む。韓信の使者至り、書を発く。漢王大いに怒り、罵りて曰く、「吾此に困しみ、旦暮に若の来りて我を佐くるを望む。乃ち自ら立ちて王と為らんと欲す」と。張良・陳平漢王の足を躡み、因りて耳に附けて語りて曰く、「漢方に不利なり。寧ぞ能く信の王たるを禁ぜんや。如かず因りて立て、善く之を遇し、自ら守りを為さしめんには。然らずんば、変生ぜん」と。漢王も亦悟り、因りて復た罵りて曰く、「大丈夫諸侯を定むれば、即ち真王と為るのみ。何ぞ仮を以て為さん」と。乃ち張良を遣はして往きて信を立てて斉王と為し、其の兵を徴して楚を撃たしむ。楚已に龍且を亡ひ、項王恐れ、盱眙の人武渉をして往きて斉王信に説かしめて曰く、「天下共に秦に苦しむこと久し。相与に力を勠せて秦を撃つ。秦已に破れ、功を計りて地を割き、土を分かちて之に王とし、以て士卒を休む。今漢王復た兵を興して東し、人の分を侵し、人の地を奪ふ。已に三秦を破り、兵を引きて関を出で、諸侯の兵を収めて以て東のかた楚を撃つ。其の意は尽く天下を呑むに非ずんば休まず。其の厭足を知らざること是くの如く甚だし。且つ漢王は必とすべからず。身項王の掌握の中に居ること数しばなり。項王憐れみて之を活かす。然るに脱するを得れば、輒ち約に倍き、復た項王を撃つ。其の親信すべからざること此くの如し。今足下自ら以て漢王と厚交を為すと為し、之が為に力を尽くして兵を用ゐると雖も、終に之が禽とする所と為らん。足下の須臾を得て今に至る所以の者は、項王尚存するを以てなり。当今二王の事、権は足下に在り。足下右に投ずれば則ち漢王勝ち、左に投ずれば則ち項王勝つ。項王今日亡びば、則ち次に足下を取らん。足下は項王と故有り。何ぞ漢に反きて楚と連和し、天下を参分して之に王たらざる。今此の時を釈てて、自ら漢に必して以て楚を撃つ。且つ智者たる為すは固より此くの若きか」と。
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史記 項羽本紀項王乃ち海春侯大司馬曹咎等に謂ひて曰く、「謹みて成皋を守れ、則ち漢挑戦せんと欲するも、慎みて与に戦ふ勿かれ、東するを得しむる毋きのみ。我十五日にして必ず彭越を誅し、梁の地を定め、復た将軍に従はん。」と。乃ち東し、行くゆく陳留・外黄を撃つ。外黄下らず。数日にして、已に降る、項王怒り、悉く男子の年十五已上をして城東に詣らしめ、之を阬にせんと欲す。外黄の令の舎人の児年十三、往きて項王に説きて曰く、「彭越彊ひて外黄を劫かす、外黄恐る、故に且く降りて、大王を待つ。大王至りて、又皆之を阬にせば、百姓豈に帰心有らんや。此より以東、梁の地十余城皆恐れ、肯へて下る莫からん。」と。項王其の言を然りとし、乃ち外黄の当に阬にすべき者を赦す。東して睢陽に至る、之を聞きて皆争ひて項王に下る。漢果たして数(しばしば)楚の軍に挑みて戦はんとす、楚の軍出でず。人をして之を辱めしむること、五六日、大司馬怒り、兵を汜水に渡す。士卒半ば渡る、漢之を撃ち、大いに楚の軍を破り、尽く楚国の貨賂を得たり。大司馬咎・長史翳・塞王欣皆汜水の上に自剄す。大司馬咎は、故の蘄の獄掾、長史欣も亦故の櫟陽の獄吏、両人嘗て項梁に徳有り、是を以て項王之を信任す。是の時に当たりて、項王睢陽に在り、海春侯の軍敗るると聞き、則ち兵を引きて還る。漢の軍方に鍾離眛を滎陽の東に囲む、項王至る、漢の軍楚を畏れ、尽く険阻に走る。是の時、漢の兵盛んにして食多く、項王の兵罷れて食絶ゆ。漢陸賈を遣はして項王に説き、太公を請はしむ、項王聴かず。漢王復た侯公をして往きて項王に説かしむ、項王乃ち漢と約し、天下を中分し、鴻溝以西を割く者を漢と為し、鴻溝よりして東なる者を楚と為す。項王之を許し、即ち漢王の父母妻子を帰す。軍皆万歳を呼ぶ。漢王乃ち侯公を封じて平国君と為す。匿れて肯へて復た見えず。
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史記 項羽本紀漢の将紀信漢王に説きて曰く、「事已に急なり、請ふ王の為に楚を誑(あざむ)きて王と為らん、王以て間より出づべし。」と。是に於て漢王夜女子の甲を被たる二千人を滎陽の東門より出だす、楚の兵四面より之を撃つ。紀信黄屋の車に乗り、左纛を傅けて、曰く、「城中食尽く、漢王降る。」と。楚の軍皆万歳を呼ぶ。漢王も亦数十騎と城の西門より出で、成皋に走る。項王紀信を見て、問ふ、「漢王安くに在る。」と。曰く、「漢王已に出でたり。」と。項王紀信を焼殺す。漢王御史大夫周苛・樅公・魏豹をして滎陽を守らしむ。周苛・樅公謀りて曰く、「反国の王は、与に城を守り難し。」と。乃ち共に魏豹を殺す。楚滎陽城を下し、周苛を生け得たり。項王周苛に謂ひて曰く、「我が為に将たれ、我公を以て上将軍と為し、三万戸に封ぜん。」と。周苛罵りて曰く、「若(なんぢ)趣(すみや)かに漢に降らずんば、漢今に若を虜にせん、若は漢の敵に非ざるなり。」と。項王怒り、周苛を烹、并せて樅公を殺す。漢王の滎陽を出づるや、南のかた宛・葉に走り、九江王布を得て、行くゆく兵を収め、復た入りて成皋を保つ。漢の四年、項王兵を進めて成皋を囲む。漢王逃れ、独り滕公と成皋の北門を出で、河を渡りて修武に走り、張耳・韓信の軍に従ふ。諸将稍稍成皋を出づるを得て、漢王に従ふ。楚遂に成皋を抜き、西せんと欲す。漢兵をして之を鞏に距がしめ、其れをして西するを得ざらしむ。是の時、彭越河を渡りて楚の東阿を撃ち、楚の将軍薛公を殺す。項王乃ち自ら東のかた彭越を撃つ。漢王淮陰侯の兵を得て、河を渡りて南せんと欲す。鄭忠漢王に説き、乃ち止まりて河内に壁す。劉賈をして兵を将ゐて彭越を佐け、楚の積聚を焼かしむ。項王東のかた撃ちて之を破り、彭越を走らす。漢王則ち兵を引きて河を渡り、復た成皋を取り、広武に軍し、敖倉に就きて食ふ。項王已に東海を定めて来り、西し、漢と倶に広武に臨みて軍し、相守ること数月。
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史記 項羽本紀漢の軍皆走り、相随ひて穀・泗水に入り、漢の卒十余万人を殺す。漢の卒皆南のかた山に走る、楚又追撃して霊壁の東睢水の上に至る。漢の軍卻き、楚の擠す所と為り、多く殺さる、漢の卒十余万人皆睢水に入り、睢水之が為に流れず。漢王を囲むこと三匝。是に於て大風西北より起こり、木を折り屋を発し、沙石を揚げ、窈冥にして昼晦く、楚の軍に逢迎す。楚の軍大いに乱れ、壊散す、而して漢王乃ち数十騎と遁れ去るを得たり、沛を過ぎ、家室を収めて西せんと欲す。楚も亦人をして之を沛に追はしめ、漢王の家を取らんとす。家皆亡げ、漢王と相見えず。漢王道に孝恵・魯元に逢ひ得て、乃ち載せて行く。楚の騎漢王を追ふ、漢王急にして、孝恵・魯元を車下に推し墮す、滕公常に下りて収めて之を載す。是くの如き者三たび。曰く、「急なりと雖も以て駆るべからず、柰何ぞ之を棄てん。」と。是に於て遂に脱するを得たり。太公・呂后を求むるも相遇はず。審食其太公・呂后に従ひて間行し、漢王を求む、反りて楚の軍に遇ふ。楚の軍遂に与に帰り、項王に報ず、項王常に軍中に置く。是の時呂后の兄周呂侯漢の為に兵を将ゐて下邑に居る、漢王間かに往きて之に従ひ、稍稍其の士卒を収む。滎陽に至り、諸々の敗軍皆会す、蕭何も亦関中の老弱の未だ傅せざる者を発して悉く滎陽に詣らしめ、復た大いに振るふ。楚彭城より起こり、常に勝ちに乗じて北ぐるを逐ひ、漢と滎陽の南京・索の間に戦ふ、漢楚を敗る、楚故を以て滎陽を過ぎて西する能はず。項王の彭城を救ひ、漢王を追ひて滎陽に至る、田横も亦斉を収むるを得て、田栄の子広を立てて斉王と為す。漢王の彭城に敗るるや、諸侯皆復た楚に与して漢に背く。漢滎陽に軍し、甬道を築きて之を河に属し、以て敖倉の粟を取る。漢の三年、項王数(しばしば)漢の甬道を侵奪す、漢王食乏しく、恐れ、和を請ひ、滎陽以西を割きて漢と為さんとす。
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