史記 / 春申君列伝
從此觀之,楚國,援也;鄰國,敵也。《詩》云「趯趯毚免,還犬獲之。他人有心,余忖度之」。今王中道而信韓、魏之善王也,此正吳之信越也。臣聞之,敵不可假,時不可失。臣恐韓、魏卑辭除患而實欲欺大國也。何則?王無重世之德於韓、魏,而有累世之怨焉。夫韓、魏父子兄弟接踵而死於秦者將十世矣。本國殘,社稷壞,宗廟毀。刳腹絕腸,折頸摺頤,首身分離,暴骸骨於草澤,頭顱僵仆,相望於境,父子老弱系脰束手為群虜者相及於路。鬼神孤傷,無所血食。人民不聊生,族類離散,流亡為仆妾者,盈滿海內矣。故韓、魏之不亡,秦社稷之憂也,今王資之與攻楚,不亦過乎!且王攻楚將惡出兵?王將借路於仇讎之韓、魏乎?兵出之日而王憂其不返也,是王以兵資於仇讎之韓、魏也。王若不借路於仇讎之韓、魏,必攻隨水右壤。隨水右壤,此皆廣川大水,山林谿谷,不食之地也,王雖有之,不為得地。是王有毀楚之名而無得地之實也。且王攻楚之日,四國必悉起兵以應王。秦、楚之兵構而不離,魏氏將出而攻留、方與、銍、湖陵、碭、蕭、相,故宋必盡。齊人南面攻楚,泗上必舉。此皆平原四達,膏腴之地,而使獨攻。王破楚以肥韓、魏於中國而勁齊。
新字:従此観之,楚国,援也;鄰国,敵也。《詩》云「趯趯毚免,還犬獲之。他人有心,余忖度之」。今王中道而信韓、魏之善王也,此正呉之信越也。臣聞之,敵不可仮,時不可失。臣恐韓、魏卑辞除患而実欲欺大国也。何則?王無重世之徳於韓、魏,而有累世之怨焉。夫韓、魏父子兄弟接踵而死於秦者将十世矣。本国残,社稷壊,宗廟毀。刳腹絶腸,折頸摺頤,首身分離,暴骸骨於草沢,頭顱僵仆,相望於境,父子老弱系脰束手為群虜者相及於路。鬼神孤傷,無所血食。人民不聊生,族類離散,流亡為仆妾者,盈満海内矣。故韓、魏之不亡,秦社稷之憂也,今王資之与攻楚,不亦過乎!且王攻楚将悪出兵?王将借路於仇讎之韓、魏乎?兵出之日而王憂其不返也,是王以兵資於仇讎之韓、魏也。王若不借路於仇讎之韓、魏,必攻随水右壤。随水右壤,此皆広川大水,山林谿谷,不食之地也,王雖有之,不為得地。是王有毀楚之名而無得地之実也。且王攻楚之日,四国必悉起兵以応王。秦、楚之兵構而不離,魏氏将出而攻留、方与、銍、湖陵、碭、蕭、相,故宋必尽。斉人南面攻楚,泗上必舉。此皆平原四達,膏腴之地,而使独攻。王破楚以肥韓、魏於中国而勁斉。
書き下し
此れより観れば、楚国は援なり、隣国は敵なり。詩に云ふ『趯趯たる毚免、犬に遇ひてこれを獲らる。他人心有り、余これを忖度す』と。今、王、中道にして韓・魏の王を善くするを信ず、此れ正に呉の越を信ずるなり。臣これを聞く、敵は仮すべからず、時は失ふべからずと。臣恐る、韓・魏は辞を卑くして患ひを除き、実は大国を欺かんと欲するを。何となれば則ち、王は韓・魏に重世の徳無くして、累世の怨み有り。夫れ韓・魏の父子兄弟の踵を接して秦に死する者は将に十世ならんとす。本国残はれ、社稷壊れ、宗廟毀たる。腹を刳き腸を絶ち、頸を折り頤を摺き、首身分離し、骸骨を草沢に暴し、頭顱僵仆して、境に相望む。父子老弱の脰を系ぎ手を束ねて群虜と為る者は、路に相及ぶ。鬼神孤傷して、血食する所無し。人民は生を聊んぜず、族類離散し、流亡して仆妾と為る者、海内に盈満す。故に韓・魏の亡びざるは、秦の社稷の憂ひなり。今、王これに資して与に楚を攻む、また過ちならずや。且つ王の楚を攻むるに将に悪くにか兵を出ださんとする。王将に路を仇讎の韓・魏に借らんとするか。兵出づるの日にして王その返らざるを憂へん、是れ王は兵を以て仇讎の韓・魏に資するなり。王若し路を仇讎の韓・魏に借らずんば、必ず随水の右壌を攻めん。随水の右壌は、此れ皆広川大水、山林谿谷にして、食はざるの地なり、王これを有すと雖も、地を得たりと為さず。是れ王は楚を毀るの名有りて地を得るの実無きなり。且つ王の楚を攻むるの日、四国必ず悉く兵を起こして以て王に応ぜん。秦・楚の兵構へて離れず、魏氏将に出でて留・方与・銍・湖陵・碭・蕭・相を攻めんとし、故宋必ず尽きん。斉人南面して楚を攻め、泗上必ず挙げられん。此れ皆平原四達、膏腴の地なり、而して独り攻めしむ。王、楚を破りて以て韓・魏を中国に肥やして斉を勁くせん。
現代語訳
このことから見れば、楚は秦にとって助けであり、隣の韓・魏こそ敵である。『詩経』に『ぴょんぴょん跳ねるずる賢い兎も、犬に出会えば捕らえられる。他人の心の中は、私が推し量ってみせる』とある。いま王は途中から韓・魏が王と親しくしていると信じておられるが、これはまさに呉が越を信じたのと同じだ。私はこう聞いている。敵に隙を与えてはならず、時機を逃してはならない、と。私は、韓・魏がへりくだった言葉で目の前の災いを避けながら、実は大国を欺こうとしているのではないかと恐れる。なぜなら、王は韓・魏に対して何代にもわたる恩徳はなく、何代にもわたる恨みを積み重ねているからだ。韓・魏の父子兄弟で、次々に秦に殺された者は十代にも及ぼうとしている。本国はそこなわれ、社稷は壊され、宗廟は壊された。腹を裂かれ腸を断たれ、首を折られ顎を砕かれ、頭と胴が切り離され、骸骨は草むらや沼地にさらされ、頭蓋骨は倒れ伏して、国境で互いに見えるほどに転がっている。父と子、老人と子どもが首をつながれ手を縛られて捕虜の群れとなり、道に連なっている。死者の霊は孤独に傷み、祭ってくれる者もいない。民は生きるすべもなく、一族はばらばらになり、流浪して奴婢となった者が天下に満ちている。だから韓・魏が滅びずにいることは、秦の国家にとって心配の種なのだ。いま王は韓・魏に力を貸して共に楚を攻めようとしておられるが、これは誤りではないか。それに王は楚を攻めるのに、どこから兵を出されるのか。王は仇敵の韓・魏に道を借りるおつもりか。兵を出したその日から、王は兵が帰ってこないのではないかと心配することになる。これは王が兵を仇敵の韓・魏に贈ってやるようなものだ。王がもし仇敵の韓・魏に道を借りないなら、必ず随水の西側の地を攻めることになる。随水の西側の地はどこも広い川や大きな水、山林や谷ばかりで、作物の取れない土地だ。王がそれを手に入れても、土地を得たことにはならない。これでは王は楚を破ったという名だけがあって、土地を得たという実はない。それに王が楚を攻めるその日には、四つの国が必ず残らず兵を起こして王に呼応するだろう。秦と楚の兵が組み合って離れられない間に、魏は兵を出して留・方与・銍・湖陵・碭・蕭・相を攻め、旧宋の地は必ずすべて魏のものになる。斉は南に向かって楚を攻め、泗水のほとりは必ず斉に取られる。これらはみな四方に通じる平原で、肥えた土地だ。それを韓・魏・斉に思いのままに攻め取らせることになる。王は楚を破って、中原の韓・魏を太らせ、斉を強くすることになるのだ。
解説
関連する章句
-
『新序』善謀第九今王楚の毀たれざるを妬みて、楚を毀たば韓・魏を强くするを忘る。臣王の爲に慮りて取らざるなり。詩に曰く、大武は宅を遠くして涉らず、と。此れより之を觀れば、楚國は、援なり。鄰國は、敵なり。詩に曰く、躍躍たる毚兎も犬に遇えば之を獲。他人心有り、予之を忖度す、と。今王中道にして韓・魏の王を善くするを信ずるは、此れ吳の越に親しむなり。臣之を聞く、敵は假す可からず、時は失う可からず、と。臣恐る、韓・魏辭を卑くして患を除き、而して實は大國を欺くならんことを。何となれば則ち、王は重世の德を韓・魏に無くして、累世の怨み有ればなり。夫れ韓・魏の父子兄弟、踵を接して秦に死する者、將に十世ならんとす。本國殘なわれ、社稷壞れ、宗廟隳れ、腹を刳り腸を絶ち、顙を折り頸を摺き、身首分離し、骨を草澤に暴し、頭顱僵仆して境に相い望み、臣を係ぎ子を束ねて羣虜と爲る者、路に相い及ぶ。鬼神潢洋として食らう所無く、民生を聊んぜず、族類離散して流亡し僕妾と爲る者、海内に盈つ。故に韓・魏の亡びざるは、秦の社稷の憂いなり。今王之に齎して與に楚を攻む。亦た過ちならずや。
-
史記 春申君列伝韓・魏の彊きは、以て秦に校するに足らん。斉は南は泗水を以て境と為し、東は海を負ひ、北は河に倚りて、後患無し。天下の国、斉・魏より彊きは莫からん。斉・魏、地を得て利を葆ち、詳りて下吏に事へば、一年の後、帝為ること未だ能はざるも、その王の帝為るを禁ずるに於いては余り有らん。夫れ王の壌土の博き、人徒の衆き、兵革の彊きを以て、壹たび事を挙げて怨みを楚に樹て、遅れて韓・魏をして帝を帰して斉に重からしむるは、是れ王の計を失ふなり。臣王の為に慮るに、楚を善くするに若くは莫し。秦・楚合して一と為りて以て韓に臨まば、韓必ず手を斂めん。王、施すに東山の険を以てし、帯ぶるに曲河の利を以てせば、韓必ず関内の侯と為らん。是くの若くにして王十万を以て鄭を戍らば、梁氏は寒心し、許・鄢陵は城を嬰り、而して上蔡・召陵は往来せざらん。此くの如くにして魏もまた関内の侯たらん。王壹たび楚を善くせば、関内の両万乗の主は地を斉に注ぎ、斉の右壌は手を拱きて取るべきなり。王の地は一たび両海を経し、天下を要約せん。是れ燕・趙は斉・楚無く、斉・楚は燕・趙無きなり。然る後に燕・趙を危動し、直ちに斉・楚を揺るがさば、此の四国は痛むを待たずして服せん」と。昭王曰く、「善し」と。是に於いて乃ち白起を止めて韓・魏に謝す。使ひを発して楚に賂ひ、約して与国と為す。
-
史記 春申君列伝先帝文王・荘王の身より、三世妄りに地を斉に接せず、以て従親の要を絶つ。今、王、盛橋をして事を韓に守らしむ、盛橋その地を以て秦に入る。是れ王は甲を用ひず、威を信べずして、百里の地を得たり。王は能くすと謂ふべし。王また甲を挙げて魏を攻め、大梁の門を杜ぎ、河内を挙げ、燕・酸棗・虚・桃を抜き、邢に入る。魏の兵は雲翔して敢へて捄はず。王の功もまた多し。王、甲を休め衆を息むること二年にして後これを復す。また蒲・衍・首・垣を并せ、以て仁・平丘に臨み、黄・済陽城を嬰りて魏氏服す。王また濮磿の北を割き、斉秦の要に注ぎ、楚趙の脊を絶つ、天下五たび合し六たび聚まるも敢へて救はず。王の威もまた単(つ)くせり。王若し能く功を持し威を守り、攻取の心を絀けて仁義の地を肥やし、後患無からしめば、三王も四と為すに足らず、五伯も六と為すに足らざるなり。王若し人徒の衆きを負み、兵革の彊きを仗み、魏を毀るの威に乗じて、力を以て天下の主を臣とせんと欲せば、臣その後患有らんことを恐る。詩に曰く『初め有らざるは靡く、克く終はり有るは鮮し』と。易に曰く『狐水を渉りて、その尾を濡らす』と。此れ始めの易くして、終はりの難きを言ふなり。何を以てその然るを知るや。昔、智氏は趙を伐つの利を見て榆次の禍を知らず、呉は斉を伐つの便を見て干隧の敗を知らず。此の二国は大功無きに非ざるなり、利に前に没して患ひを後に易んずればなり。呉の越を信ずるや、従ひて斉を伐ち、既に斉人に艾陵に勝ち、還りて越王の為に三渚の浦に禽にせらる。智氏の韓・魏を信ずるや、従ひて趙を伐ち、晋陽の城を攻め、勝つこと日有り、韓・魏これに叛き、智伯瑤を鑿台の下に殺す。今、王は楚の毀れざるを妒みて、楚を毀るの韓・魏を彊くするを忘る、臣王の為に慮りて取らざるなり。詩に曰く『大武は宅を遠くして渉らず』と。
-
戦国策・魏將與秦攻韓魏将(まさ)に秦と与(とも)に韓を攻めんとす、朱己魏王に謂いて曰く、「秦は戎・翟と俗を同じくし、虎狼の心有り、貪戾(たんれい)にして利を好みて信無く、礼義徳行を識らず。苟(いやし)くも利有れば、親戚兄弟を顧みず、禽獣の若きのみ。此れ天下の同じく知る所なり、厚く徳を積むを施す所に非ざるなり。故に太后は母なり、而れども以て憂いて死す。穰侯は舅(きゅう)なり、功之より大なるは莫し、而れども竟(つい)に之を逐(お)う。両弟罪無し、而れども再び其の国を奪う。此れ其の親戚兄弟に於いて此くの若し、而るを又況んや仇讎(きゅうしゅう)の敵国に於いてをや。今大王秦と与に韓を伐ちて益々秦に近づけば、臣甚だ之を或(うたが)う、而れども王識らざれば、則ち明ならず。群臣之を知りて、之を以て諫むる莫ければ、則ち忠ならず。今夫れ韓氏一女子を以て一弱主を承(う)け、内に大乱有り、外安んぞ能く強秦・魏の兵を支えんや、王以て破れずと為すか。韓亡べば、秦尽く鄭地を有し、大梁と鄰(とな)らん、王以て安しと為すか。王故地を得んと欲して、今強秦の禍を負う、王以て利と為すか。秦は無事の国に非ざるなり、韓亡びし後、必ず且に事を便(たよ)りにせんとし、事を便りにせば、必ず易きと利とに就かん、易きと利とに就かば、必ず楚と趙とを伐たざらん。是れ何ぞや。夫れ山を越え河を踰(こ)え、韓の上党を絶ちて強趙を攻むるは、則ち是れ復た閼与(あつよ)の事なり、秦必ず為さざるなり。若し河内を道(みち)とし、鄴・朝謌に倍(そむ)き、漳・滏の水を絶ちて、以て趙兵と邯鄲の郊に決勝せば、是れ智伯の禍を受くるなり、秦又敢えてせず。楚を伐つに、涉を道とし谷行すること三十里にして、危隘の塞を攻めば、行く所の者甚だ遠くして、攻むる所の者甚だ難し、秦又為さざるなり。若し河外を道とし、大梁に背き、上蔡・召陵を右にして、以て楚兵と陳の郊に決せば、秦又敢えてせざるなり。故に曰く、秦必ず楚と趙とを伐たず、又衛と齊とを攻めず、と。且つ夫れ韓を憎みて安陵氏を受けざるは可なり、夫れ秦の南国を愛せざるを患えざるは非(ひ)なり。異日には、秦乃ち河西に在り、晋国の梁を去ること、千里有余にして、河山以て之を蘭(さえぎ)り、周・韓有りて之を間(へだ)つ。林軍より以て今に至るまで、秦十たび魏を攻め、五たび国中に入り、辺城尽く抜かる。文台墮(やぶ)れ、垂都焚(や)かれ、林木伐られ、麋鹿(びろく)尽き、而して国継ぐに囲みを以てす。又長駆して梁の北にいたり、東は陶・衛の郊に至り、北は闞(かん)に至り、秦に亡う所の者、山北・河外・河内、大県数百、名都数十なり。秦乃ち河西に在り、晋国の大梁を去ること尚お千里にして、禍此くの若し。又況んや秦をして韓無くして鄭地を有たしめ、河山以て之を蘭る無く、周・韓以て之を間つる無く、大梁を去ること百里なれば、禍必ず此に百せんをや。異日には、従(しょう)成らずして、楚・魏疑い、韓約するを得可からざりき。今韓兵を受くること三年なり、秦之を撓(みだ)すに講を以てす、韓亡ぶるを知りて、猶お聴かず、質を趙に投じ、天下の為に雁行頓刃(がんこうとんじん)せんことを請う。臣の観る所を以てすれば、則ち楚・趙必ず之に与(くみ)して攻めん。此れ何ぞや。則ち皆秦の窮まり無きを知ればなり、尽く天下の兵を亡ぼし、海内の民を臣とするに非ざれば、必ず休まざるなり。是の故に臣願わくは以て王に従事せん、王速やかに楚・趙の約を受け、韓・魏の質を挟みて、韓を存するを務めと為し、因りて故地を韓に求めば、韓必ず之を効(いた)さん。此くの如くば則ち士民労せずして故地を得、其の功秦と共に韓を伐つより多くして、然れども強秦と鄰(とな)るの禍無し。夫れ韓を存し魏を安んじて天下を利するは、此れ亦た王の大時なり。韓の上党を共・莫に通じ、道をして已に通ぜしめ、因りて之に関し、出入する者之に賦せば、是れ魏重ねて韓を其の上党を以て質とするなり。共に其の賦有らば、以て国を富ますに足り、韓必ず魏に徳とし、魏を愛し、魏を重んじ、魏を畏れ、韓必ず敢えて魏に反せず。韓は是れ魏の県なり。魏韓を得て以て県と為せば、則ち衛・大梁・河外必ず安からん。今韓を存せざれば、則ち二周必ず危うく、安陵必ず易(か)わらん。楚・趙楚大いに破れ、衛・齊甚だ畏れ、天下の西のかた秦に馳(は)せ、入朝して臣と為るの日久しからざらん。」
-
史記 魏世家若し河外に道し、大梁を倍にし、上蔡・召陵を右にして、楚の兵と陳の郊に決するは、秦又敢へてせず。故に曰く秦必ず楚と趙とを伐たず、又衛と斉とを攻めずと。夫れ韓亡びし後、兵出づるの日は、魏に非ずんば攻むる無きのみ。秦固より懐・茅・邢丘を有ち、垝津に城きて以て河内に臨まば、河内の共・汲必ず危ふし。鄭の地を有ち、垣雍を得て、熒沢の水を決して大梁に灌がば、大梁必ず亡びん。王の使者出でて過ちて安陵氏を秦に悪む。秦の之を誅せんと欲すること久し。秦の葉陽・昆陽は舞陽と鄰す。使者の之を悪むを聴き、安陵氏に随ひて之を亡ぼし、舞陽の北を繞りて、以て東のかた許に臨まば、南国必ず危ふし。国先づ害せられん。夫れ韓を憎みて安陵氏を愛せざるは可なり。夫れ秦の南国を愛せざるを患へざるは非なり。異日は、秦河西の晋に在り、国は梁を去ること千里、河山有りて以て之を闌り、周・韓有りて以て之を閒つ。林郷の軍より以て今に至るまで、秦七たび魏を攻め、五たび囿中に入り、辺城尽く抜かれ、文台墮ち、垂都焚かれ、林木伐られ、麋鹿尽き、而して国継ぐに囲みを以てす。又長駆して梁の北に至り、東は陶・衛の郊に至り、北は平監に至る。秦に亡ふ所の者は、山南山北、河外・河内、大県数十、名都数百なり。秦乃ち河西の晋に在りて、梁を去ること千里にして、禍是の若し。又況んや秦をして韓無く、鄭の地を有ち、河山の之を闌る無く、周・韓の之を閒つる無く、大梁を去ること百里ならしめば、禍必ず此に百せん。異日は、従の成らざるや、楚・魏疑ひて韓得べからざればなり。今韓兵を受くること三年、秦之を橈めて以て講ず。亡ぶるを識るも聴かず、質を趙に投じ、天下の為に鴈行して刃を頓さんことを請ふ。楚・趙必ず兵を集めん。皆秦の欲の窮まり無きを識ればなり。尽く天下の国を亡ぼして海内を臣とするに非ずんば、必ず休まざらん。
-
『新序』善謀第九且つ王楚を攻むるに、將に惡くより兵を出ださんとす。王將に路を仇讎の韓・魏に藉らんとするか。兵を出だすの日にして、王其の反らざるを憂うるなり。是れ王兵を以て仇讎の韓・魏に資するなり。王若し路を仇讎の韓・魏に借らずんば、必ず隨水の右壤を攻めん。此れ皆な廣川大水、山林谿谷の食らわざるの地なり。王之を有つと雖も、地を得たりと爲さず。是れ王に楚を毀つの名有りて、地を得るの實無きなり。且つ王楚を攻むるの日、四國必ず悉く兵を起こして以て王に應ぜん。秦楚の兵構えて離れず、韓・魏氏將に兵を出だして留・方・與・銍・胡陵・碭・蕭・相を攻めんとす。故の宋必ず盡きん。齊人南面し、泗北必ず舉がらん。此れ皆な平原四達膏腴の地なり。而して獨り攻めしむ。王楚を破りて以て韓・魏を中國に肥やして齊を勁くす。韓・魏の彊きは、以て秦に枝るに足る。齊は南のかた泗水を以て境と爲し、東は海に負い、北は河に倚りて後患無し。天下の國、齊・魏より彊きは莫し。齊・魏地を得利を保ちて詳りて下吏に事う。一年の後、帝と爲るは未だ能わざるも、其の王の帝と爲るを禁ずるに於いては餘り有らん。夫れ王の壤土の博きを以てし、人徒の衆きを以てし、兵革の彊きを以てして、一たび事を舉げて怨みを楚に樹つ。出でて韓・魏をして帝を歸し齊を重からしむ。是れ王の失計なり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る