新論 / 守禦
若夫干鹵以輔甲冑、弓弩以副銃砲、鐵石以佐鉛銅者、抑亦有説焉、戰國之世、士卒輕死、有不待干鹵者、然亦往往用之以自扞蔽、〈攻城者、必束竹樹之城外、以遮銃丸、號曰竹束、朝鮮役、加藤淸正等用龜甲者、其制如轒轀車、其他攻戰所以自遮蔽者、固不可枚擧也、銃丸之迅、雖莫不洞徹、而既洞一盾、其末力未必貫鐵甲、則士卒可恃以壯其膽、淸正嘗遣兵攻宇土、將士撤民舍戸扇、以自遮蔽、猶得以立於飛丸之下、而不懾、況干鹵之堅實、非戸扇之比乎、且虜銃一發装數丸、比之單装一丸者、其力稍微、未必一洞堅盾而又更貫鐵甲、亦試之其物可也、然干鹵之用、不在其洞與不洞、而在使兵卒不見敵銃、曉兵機者、必能知之矣、〉今以習安脆弱之卒、一旦臨事、挺身於飛丸迸箭之間、無自遮蔽、而能無懾乎、則其既蔽以甲冑、又遮之以干鹵、以固士卒心、其制不可以不講也、
新字:若夫干鹵以輔甲冑、弓弩以副銃砲、鉄石以佐鉛銅者、抑亦有説焉、戦国之世、士卒軽死、有不待干鹵者、然亦往往用之以自扞蔽、〈攻城者、必束竹樹之城外、以遮銃丸、号曰竹束、朝鮮役、加藤清正等用亀甲者、其制如轒轀車、其他攻戦所以自遮蔽者、固不可枚挙也、銃丸之迅、雖莫不洞徹、而既洞一盾、其末力未必貫鉄甲、則士卒可恃以壮其胆、清正嘗遣兵攻宇土、将士撤民舎戸扇、以自遮蔽、猶得以立於飛丸之下、而不懾、況干鹵之堅実、非戸扇之比乎、且虜銃一発装数丸、比之単装一丸者、其力稍微、未必一洞堅盾而又更貫鉄甲、亦試之其物可也、然干鹵之用、不在其洞与不洞、而在使兵卒不見敵銃、暁兵機者、必能知之矣、〉今以習安脆弱之卒、一旦臨事、挺身於飛丸迸箭之間、無自遮蔽、而能無懾乎、則其既蔽以甲冑、又遮之以干鹵、以固士卒心、其制不可以不講也、
書き下し
若し夫れ干鹵以て甲冑を輔け、弓弩以て銃砲に副へ、鉄石以て鉛銅を佐くる者は、抑も亦説有り。戦国の世、士卒死を軽んじ、干鹵を待たざる者有り。然れども亦往往之を用ゐて以て自ら扞蔽す。(城を攻むる者は、必ず竹を束ねて之を城外に樹て、以て銃丸を遮る。号して竹束と曰ふ。朝鮮の役、加藤清正等の亀甲を用ゐたる者は、其の制轒轀車の如し。其の他攻戦の自ら遮蔽する所以の者は、固より枚挙すべからざるなり。銃丸の迅き、洞徹せざる莫しと雖も、既に一盾を洞せば、其の末力未だ必ずしも鉄甲を貫かず。則ち士卒恃みて以て其の胆を壮んにすべし。清正嘗て兵を遣はして宇土を攻めしむ。将士民舎の戸扇を撤し、以て自ら遮蔽し、猶ほ以て飛丸の下に立ちて懾れざるを得たり。況んや干鹵の堅実、戸扇の比に非ざるをや。且つ虜銃一発に数丸を装ふは、之を単に一丸を装ふ者に比すれば、其の力稍微なり。未だ必ずしも一たび堅盾を洞して又更に鉄甲を貫かず。亦之を其の物に試みて可なり。然れども干鹵の用は、其の洞すると洞せざるとに在らずして、兵卒をして敵銃を見ざらしむるに在り。兵機を暁る者は、必ず能く之を知らん。)今習安脆弱の卒を以て、一旦事に臨み、身を飛丸迸箭の間に挺し、自ら遮蔽する無くんば、能く懾るる無からんや。則ち其の既に蔽ふに甲冑を以てし、又之を遮るに干鹵を以てし、以て士卒の心を固むる、其の制以て講ぜざるべからざるなり。
現代語訳
さて盾で甲冑を補い、弓や弩で銃砲を補い、鉄や石で鉛や銅を補うことについても、また言うべきことがある。戦国の世には、兵士が死を恐れず、盾を必要としない者もいた。しかしそれでも、しばしば盾を使って身を守った。(城を攻める者は、必ず竹を束ねて城の外に立て、弾丸を防いだ。これを竹束という。朝鮮の役で加藤清正らが用いた亀甲車は、その造りが中国の轒轀車(攻城用の屋根付き車)のようであった。そのほか攻め戦いで身を隠すための工夫は、数え上げきれない。弾丸は速く、何でも撃ち抜くとはいえ、盾を一枚貫けば、その余力で鉄の鎧まで貫くとはかぎらない。それなら兵士はそれを頼りに胆を太くできる。清正がかつて兵を送って宇土を攻めさせたとき、将兵は民家の戸板をはがして身を隠し、それでも飛び交う弾の下に立って恐れずにいられた。まして堅く頑丈な盾は、戸板とは比べものにならない。また敵の銃が一発に数個の弾を込めるのは、一個だけを込めるのに比べて一つ一つの力がやや弱い。堅い盾を一度貫いたうえに、さらに鉄の鎧まで貫くとはかぎらない。これも実物で試してみればよい。しかし盾の効用は、貫かれるか貫かれないかにあるのではなく、兵士に敵の銃口を見せないことにある。兵の機微がわかる者なら、必ずこのことがわかるはずである。)いま安楽に慣れて弱くなった兵士が、いざ事に臨んで、飛び交う弾や矢のただ中に身をさらし、身を隠すものもなければ、恐れずにいられようか。だから甲冑で身を覆ったうえに、さらに盾で遮って、兵士の心を固めること、その制度は研究しておかねばならない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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言志四録・言志晩録 別存 第二十六条 酒樽を破りて舟人に飲ましむ辛未の歳、韓人来聘す。旨有りて之を対州に館し、大小の官員を遣はして聘を受けしむ。公も亦焉に与る。公海を渡る時、酒数樽を貯へしむ。人其の故を知らず。既にして事訖り、纜を解きて帰に就く。時に風浪驟かに興り、風逆ひ、舟人極めて苦しむ。公乃ち自ら酒樽を倒し、鎗鐓を以て其の底を撞き破り、手自ら飯椀を以て之を斟み、舟人に飲ましむ。舟人是に於て気力一倍し、我が船独り先づ唐津に達す。他船は則ち後るること数十里なりと云ふ。
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李衛公問対・卷下攻むる者は、其の城を攻め其の陳を擊つに止まらず、必ず其の心を攻むるの術有り。守る者は、其の壁を完くし其の陳を堅くするに止まらず、必ずや吾が氣を守りて待つ有り。
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『甲陽軍鑑』品第十一縦へば番匠か大和国ならの大仏殿を立るに、二尺·三尺のかねをもつて立て、二間四方のらいさき堂をも右のかねにて仕る、すこしき備を立て、大人数には組合せよからん、大備へに組み其陣にて用有るとて、人数をわくれば、其備減りたるとて上下力をおとす者なり、其所に当る敵も大にきほふ者なり、惣じて大備への崩れ立ちたるは、何たる名大将とても、其下の剛の者共も支配成るまじきぞ、
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史記 田単列伝唯だ独り莒と即墨とのみ下らず。燕軍、斉王の莒に在るを聞き、兵を并せて之を攻む。淖歯既に湣王を莒に殺し、因りて堅く守り、燕軍を距ぐこと数年、下らず。燕、兵を引きて東して即墨を囲む。即墨の大夫出でて与に戦ひ、敗れて死す。城中相与に田単を推して曰く、「安平の戦に、田単の宗人は鉄籠を以て全きを得たり。兵に習ふ」と。立てて以て将軍と為し、即墨を以て燕を距がしむ。頃之して、燕の昭王卒し、恵王立つ。楽毅と隙有り。田単之を聞き、乃ち反間を燕に縦ちて、宣言して曰く、「斉王已に死し、城の抜けざる者は二つのみ。楽毅は誅を畏れて敢て帰らず、斉を伐つを以て名と為すも、実は兵を連ねて南面して斉に王たらんと欲す。斉人未だ附かず、故に且く即墨を攻むるを緩めて以て其の事を待つ。斉人の懼るる所は、唯だ他将の来たらんことを恐るるのみ。即墨残はれん」と。燕王以て然りと為し、騎劫をして楽毅に代らしむ。楽毅因りて趙に帰し、燕人の士卒忿る。而して田単乃ち城中の人をして食ふに必ず其の先祖を庭に祭らしむ。飛鳥悉く城中に翔舞して下りて食ふ。燕人之を怪しむ。田単因りて宣言して曰く、「神来り下りて我に教ふ」と。乃ち城中の人に令して曰く、「当に神人の我が師と為る有るべし」と。一卒有りて曰く、「臣以て師と為るべきか」と。因りて反り走る。田単乃ち起ち、引きて還し、東嚮して坐せしめ、之に師事す。卒曰く、「臣、君を欺けり。誠に能無きなり」と。田単曰く、「子言ふ勿かれ」と。因りて之を師とす。約束を出だす毎に、必ず神師と称す。乃ち宣言して曰く、「吾は唯だ燕軍の得る所の斉の卒を劓し、之を前行に置きて我と戦はんことを懼る。即墨敗れん」と。燕人之を聞き、其の言の如くす。城中の人、斉の諸の降る者の尽く劓せらるるを見て、皆怒り、堅く守り、唯だ得らるるを恐る。単又反間を縦ちて曰く、「吾は燕人の吾が城外の冢墓を掘り、先人を僇しめんことを懼る。寒心すべし」と。燕軍尽く壟墓を掘り、死人を焼く。即墨の人、城上より望み見て、皆涕泣し、倶に出でて戦はんと欲し、怒り自ら十倍す。
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孫子・作戦篇故に智将は敵に食するを務む。敵に食する一鍾は、吾が二十鍾に当たり、萁稈一石は、吾が二十石に当たる。
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