新論 / 守禦
虜周流海外諸國、鉛錫銅鐵硝黄之屬、資之諸國之産、其用固不窮、而我内自守、必發山嶽之秘以用之、則彼此多寡之數、其不較也亦審矣、〈明人防寇、招集屯駐、當時汪汝淳云、所苦人日衆、而衣甲器械不繼、火藥更不敷、則此火藥之易生者、亦猶患不敷、況今銅鐵鉛錫、其生有限者乎、〉故或參用弓弩、不必專恃火器、其用火器者、亦不專恃銅與鉛、其銃身或鐵或木、其彈或鐵或石或餅、或和以銅鐵之滓海上沙鐵之類、而以爲餅、雖朽繩敗布爛網破罟、亦採以供錬造、無不可補其乏者、收藏棄物、以待有用、試之平素、使士卒習知之、臨事百方參用、庶急遽以不致匱乏也、
新字:虜周流海外諸国、鉛錫銅鉄硝黄之属、資之諸国之産、其用固不窮、而我内自守、必発山嶽之秘以用之、則彼此多寡之数、其不較也亦審矣、〈明人防寇、招集屯駐、当時汪汝淳云、所苦人日衆、而衣甲器械不継、火薬更不敷、則此火薬之易生者、亦猶患不敷、況今銅鉄鉛錫、其生有限者乎、〉故或参用弓弩、不必専恃火器、其用火器者、亦不専恃銅与鉛、其銃身或鉄或木、其弾或鉄或石或餅、或和以銅鉄之滓海上沙鉄之類、而以為餅、雖朽縄敗布爛網破罟、亦採以供錬造、無不可補其乏者、収蔵棄物、以待有用、試之平素、使士卒習知之、臨事百方参用、庶急遽以不致匱乏也、
書き下し
虜は海外諸国を周流し、鉛錫銅鉄硝黄の属、之を諸国の産に資る。其の用固より窮まらず。而して我内に自ら守り、必ず山嶽の秘を発して以て之を用ゐれば、則ち彼此多寡の数、其の較せざるや亦審らかなり。(明人寇を防ぎ、招集屯駐す。当時汪汝淳云ふ、苦しむ所は人日に衆くして、衣甲器械継がず、火薬更に敷かずと。則ち此の火薬の生じ易き者すら、亦猶ほ敷かざるを患ふ。況んや今銅鉄鉛錫、其の生ずること限り有る者をや。)故に或いは弓弩を参用し、必ずしも専ら火器を恃まず。其の火器を用ゐる者も、亦専ら銅と鉛とを恃まず。其の銃身は或いは鉄或いは木、其の弾は或いは鉄或いは石或いは餅、或いは和するに銅鉄の滓・海上の沙鉄の類を以てして、以て餅と為す。朽縄・敗布・爛網・破罟と雖も、亦採りて以て錬造に供す。其の乏しきを補ふべからざる無し。棄物を収蔵して、以て有用を待ち、之を平素に試み、士卒をして習ひて之を知らしめ、事に臨みて百方参用すれば、庶はくは急遽にして以て匱乏を致さざらん。
現代語訳
敵は海外の諸国をめぐり、鉛・錫・銅・鉄・硝石・硫黄などは諸国の産物から手に入れる。その資源はもとより尽きることがない。ところがわが国は内にこもって自ら守り、どうしても山の奥に秘められた鉱物を掘り出して使うしかないのだから、彼我の量の多い少ないは、比べるまでもなく明らかである。(明の人々が倭寇を防ぐために兵を集めて駐屯させたとき、当時の汪汝淳は「困るのは人が日に日に増えるのに、衣服や鎧・器械が続かず、火薬はなおさら足りないことだ」と言った。このように火薬のような作りやすいものでさえ、なお不足を心配したのである。まして今の銅・鉄・鉛・錫のように、産出に限りのあるものはなおさらである。)だから弓や弩を併せて使い、必ずしも火器だけに頼らない。火器を使う場合も、銅と鉛だけには頼らない。銃身は鉄でも木でもよく、弾は鉄でも石でも練り固めた塊でもよく、銅や鉄のかす、海辺の砂鉄などを混ぜて塊にしてもよい。腐った縄、破れた布、ぼろぼろの網、破れた漁網でさえ、集めて製造に用いる。足りないものを補えないことはない。捨てるものを取っておいて役立つ時を待ち、平素から試してみて兵士に使い方を習い覚えさせ、事が起これば百の方法を併せ用いれば、急な事態にあっても欠乏に陥らずにすむだろう。
解説
この章句が説くこと
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『新論』守禦其の希に生ずる所の者を嗇用し、将に以て大いに用ゐる所有らんとす。其の用ゐて以て機に応じ勝を制するに至りては、則ち自ら将略有りて存す。此れ特に兵機を暁る者の為に論ずべくして、紙上に豫め論ずる所に非ざるなり。(戚継光の水戦の法の如きは、弓弩標石と火器と相参ふ。而して火器の如きも、亦其の一船に応に火薬五百斤を備ふべくして、鉛弾は三百斤に過ぎず。火薬の用、鉛弾を発するに止まらざること見るべし。而して参ふるに火箭・噴筒・薬桶の諸器を以てし、専ら鉛弾を用ゐず。則ち火器の必ずしも鉛弾を恃まざることも亦見るべし。)故に大礮の制、干鹵の用、弓弩の技、夫の鉄石雑品の採りて以て用に供すべき者と、皆火を用ゐるの術にして、以て間暇に及びて之を審議せざるべからざるなり。
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『新論』守禦所謂資糧を峙ふとは何ぞや。凡そ軍の需むる所、之を府庫に貯ふる者は、以て守城の用に備ふべくして、戦陣無窮の需を待つに足らず。之を市廛に資る者は、以て平居演習の用に供すべくして、一旦不虞の変に応ずるに足らず。故に硝黄・膠漆・皮革・枲麻、凡そ水土の産する所は、宜しく諸国をして多く之を生ぜしむべくして、之を遠境に仰ぐを容れざるなり。甲冑・干鹵、刀剣・槍槊、弓矢・銃礮、凡そ人工の作る所は、宜しく間暇に及びて多く之を繕ふべし。要は愈用ゐて愈竭きざるに在るなり。
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『政談』金銀錢員數減少する仔細の事偖銭を夥く鋳出たさんには、当時長崎の金高つまりて銅を異国へくたさるゝことなれは、銅払底にて差支あるへし、総体銅の払底になりたるに仔細あり、此の三四十年このかた御城下は勿論、田舎の末々まて小寺小院にも鐘を鋳さるはなし、六十余州を詮識ぜは莫大の銅なるへし、小さき仏像其の数も夥しくなりたり、仏像も余りに夥しくなれは信仰は次第に薄くなることなれは、仏法のためにも宜しからさることなり、特に鐘の功徳と云ふは人の眠りを醒し、六時勤行の時を教へ、十二時の移り行くを知らせて無常を観するたよりとし、又大叢林にては峰々谷々の衆僧を呼集むる用事の為に鐘をつることなり、然るに鐘楼もなき小寺小院のつく人さへもなきに、旦那を勧進して鐘を楼下につり置きたるは何のため成るぞや、つかぬ鐘に声なし、声なくて功徳のあるへきやうなし、真に無用のものなり、
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『政談』金銀錢員數減少する仔細の事此等のたぐひ、其外世間にある無用の銅器を鋳つぶし、銭を鋳は如何程も出来し、夫にて世界の困窮を救はゝ仏の慈悲心に叶ふべし、但し俗人の取捌きにて寺々の鐘を取りあくること愚かなる人の人情にさかふへけれは、智徳ある高僧に御相談ありて、教化させて其うへにて、屹としたる寺の鐘楼もあり、鐘をもつく用事のある寺はかりを遺し置きて、其外の小寺小院の鐘を悉く銭に鋳させ、その鐘を其の寺々に之を下され寺の修理に用ひたきことなり、
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『政談』公儀御身上の制度の事其仕方公儀にて御入用のほとを積りて其大名の身上〳〵に応し出さしむべきなり、譬へは越前よりは奉書つめ、会津よりは蝋うるし、南部相馬よりは馬、上州加賀よりは絹、仙台長門よりは紙のたぐひなり、身上の高よりは出もの多形なとは外より出るものを下さるゝこともあるへし、御城下に御蔵を所々に立て置きて馬にて付込すへし、当時献上物なとのやうに仰山にすることにては諸大名無用の痛みと成るへし、唯当時御買上けになるを御買上げにせすして諸大名に出さするまてのことにすへし、歴代の先例皆斯の如し、偖又古は名山大川は封せずと云ふことあり、左様の所をは大名には下さらぬことなり、材木の出つる山金銀銅鉄鉛等の出つる山、名塩の出つる地は下されましき所なり、当時尾州へ木曽を進せられ、紀州へは熊野を進せられたること古法になきことなり、下されましき山を下し置れて上の御用には材木を御買上けにすること如何なる無調法なる仕方なるろや、特に東山東海の二道を尾州の御領にて塞くこと是れ亦あるましきことの第一なり、
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『新論』守禦金銀・銅鉄・鉛錫・玉石、凡そ山嶽の蔵する所は、宜しく其の用を恡みて其の糜を禁ずべし。今梵宮・装閣、及び他の玩好の諸物、以て閭閻の用器・婦女の衣帯に至るまで、金を塗り銀を抹せざる莫し。則ち銷金の禁、厳ならざるべからざるなり。(西土の史書に載する所、其の府中の黄金銀物を出して以て軍用に供する者有り、金銀薄を禁ずる者有り、織成金を禁ずる者有り。古人の金銀を用ゐる所以の者、此に在りて彼に在らざること見るべし。唐六典に十四種の金有り、曰く、銷金・拍金・鍍金・織金・砑金・披金・泥金・鏤金・撚金・戧金・圏金・貼金・嵌金・裏金と。宋の時糜金以て服器を飾るを禁じ、又金銀箔線・貼金・銷金・蹙金線にて什器・土木・玩用の物を装貼するを禁じ、命婦に非ざれば以て首飾と為すを得ず。冶宋主の用ゐる所は、悉く官に送らしむ。諸州の寺観、金箔を以て像を飾る者は、自ら金銀工価を齎し、思文院に就きて換給せしむ。又僧の金銀珠玉を求丐し錯末して泥に和し以て塔像を為るを禁ず。又内庭は中宮より以下、並びに銷金・貼金・間金・戭金・解剔金・陥金・明金・泥金・楞金・背影金・盤金・織金・金線撚糸もて衣服に装着するを得ず、並びに金を以て飾と為すを得ざらしむ。其の外庭の臣庶の家も、悉く皆断禁す。是れ他の歴代の申禁、至らざる所無し。其の天地の蔵を発くを重んずるの意も、亦見るべきなり。)
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