新論 / 守禦
〈古者擧賢才、不限以門流、至大寶制令、亦使國學得入大學試用、且如虞夏商周、學制亦備矣、而諸侯亦有貢士之法、皆所以旁羅天下俊賢而不遺也、天下之事、固不一端、而取士止於一國一都、則其國都之間、俗所慣習、風尚素同、而其所謀議布陳、亦不甚相遠、言多雷同、其於天下之事、偏擧一端、而不能兼天下之善、故聖賢於所以致天下賢俊者尤盡心焉、故禹曰、萬邦黎獻、惟帝時擧、帝不時、敷同日奏罔功、苟能致思於此、則舜之所以取於人以爲善者、與其所以無爲而治者、亦可見也、〉
新字:〈古者挙賢才、不限以門流、至大宝制令、亦使国学得入大学試用、且如虞夏商周、学制亦備矣、而諸侯亦有貢士之法、皆所以旁羅天下俊賢而不遺也、天下之事、固不一端、而取士止於一国一都、則其国都之間、俗所慣習、風尚素同、而其所謀議布陳、亦不甚相遠、言多雷同、其於天下之事、偏挙一端、而不能兼天下之善、故聖賢於所以致天下賢俊者尤尽心焉、故禹曰、万邦黎献、惟帝時挙、帝不時、敷同日奏罔功、苟能致思於此、則舜之所以取於人以為善者、与其所以無為而治者、亦可見也、〉
書き下し
(古は賢才を挙ぐるに、限るに門流を以てせず。大宝の制令に至りても、亦た国学をして大学に入りて試用せらるるを得しむ。且つ虞夏商周の如きも、学制亦た備はれり。而して諸侯にも亦た貢士の法有り。皆天下の俊賢を旁く羅して遺さざる所以なり。天下の事は、固より一端ならず。而るに士を取ること一国一都に止まれば、則ち其の国都の間、俗の慣習する所、風尚素より同じくして、其の謀議布陳する所も、亦た甚だしくは相遠からず、言多く雷同し、其の天下の事に於ける、偏へに一端を挙げて、天下の善を兼ぬる能はず。故に聖賢は天下の賢俊を致す所以に於て尤も心を尽くす。故に禹曰く、万邦の黎献、惟れ帝時れを挙げよ。帝時れをせずんば、敷く同じくして日に奏すとも功罔からん、と。苟も能く思ひを此に致さば、則ち舜の人に取りて以て善を為す所以の者と、其の無為にして治まる所以の者とも、亦た見るべきなり。)
現代語訳
(昔は賢才を登用するのに、家柄で限ることはなかった。大宝律令の制度においても、諸国の国学の学生が都の大学に入って試験を受け、登用されることができた。また虞・夏・商(殷)・周の時代にも学校の制度は整っており、諸侯にも優れた士を朝廷に推薦する法があった。これはみな天下の優れた人物を広く網羅して漏らさないためである。天下の事はもとより一筋縄ではない。それなのに人材を一国一都からだけ取るならば、その国や都の中では、習わしも好みももとから同じで、彼らの謀議や意見の述べ方もさほど違わず、言うことが多く似通い、天下の事に対して一つの面だけを取り上げて、天下の善をあわせ取ることができない。だから聖人賢者は天下の賢才を招くことにとりわけ心を尽くしたのである。それで禹は「天下の国々の賢者を、帝よ、どうか登用なさいませ。帝がそうなさらなければ、善し悪しをおしなべて同じに扱い、日々奏上させても功はありません」と言った。もしよくこのことに思いを致すなら、舜が人から善を取り入れて自分の善としたわけも、何もしないようでいて天下が治まったわけも、また理解できるだろう。)
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』親士故に賢君有りと雖も、功無きの臣を愛せず。慈父有りと雖も、益無きの子を愛せず。是の故に其の任に勝えずして其の位に處るは、此の位の人に非ざるなり。其の爵に勝えずして其の祿に處るは、此の祿の主に非ざるなり。良弓は張り難し、然れども以て髙きに及び深きに入る可し。良馬は乗り難し、然れども以て重きに任じ逺きに致す可し。良才は令し難し、然れども以て君を致して尊ばれしむ可し。是の故に江河は小谷の己を滿たすを惡まず、故に能く大なり。聖人は、事に辭すること無く、物に違うこと無し、故に能く天下の器と為る。是の故に江河の水は、一源に非ざるなり。千鎰の裘は、一狐の白に非ざるなり。夫れ惡んぞ同方を取り、同じからざるを取らざる者有らんや。盖し兼王の道に非ざるなり。
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『政談』諸役人に器量を選ふ事其の器量ある人の下に在ることは如何なることぞと云ふに、元来上たる人に人を撰む心なき故なり、人をは相応に撰ふとも撰みやうの悪しけれは、自から人を撰ふ心之なきに似たるなり、撰みやうの悪しきと云ふは、最前に云ひたる如く上の物好きにて人を撰む故、各別なる智恵の人をは気に合はすして用ひす、唯々我か気に合ふたる人ばかりを用ゆる故、幾人取り出しても只上の身を分けたるやうなるものにて、幾人にても一人の如し、之を人なきと云ふなり、此の上に又様々の悪弊ありて邪魔となり、善き人は下に隔てられて見えぬなり、使ひ込めは人に成るへき人も皆悪しくなる故益々人はなく、其の様々の悪弊と云ふは人に身を踏込せぬやうに仕掛ること是れ第一の悪弊なり、
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『政談』諸役人に器量を選ふ事それとも其の人全く上たる人の心に毫髪も違はすんば善き事にはあらされとも、上の望みには叶ふへけれとも、凡そ人たる者生れつき其の器量才智人々各別なるものにて、同一なる人は天地の間に之なきことなるゆゑ、人心の同しからさること面の如しと云ふ古語あり、左れは其の上思召に毫髪も違はす能く上の御心を知りて、上の御身を分けたる如くなる人は皆我か器量才智をは出さす、無理におしまけて上へ合はせて仕込たる事にて、阿諛諂侫のともがらなり、斯の如き人は身を踏込ます、忠義の心全くなし、大悪人也と知るへし、
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史記 孟嘗君列伝復た卒に孟嘗君をして秦に入らしむ、昭王即ち孟嘗君を以て秦の相と為す。人或ひと秦の昭王に説きて曰く、「孟嘗君は賢にして、また斉の族なり。今秦に相たらば、必ず斉を先にして秦を後にせん、秦それ危ふからん」と。是に於いて秦の昭王乃ち止む。孟嘗君を囚へ、謀りてこれを殺さんと欲す。孟嘗君、人をして昭王の幸姫に抵りて解かんことを求めしむ。幸姫曰く、「妾願はくは君の狐白裘を得ん」と。此の時孟嘗君に一狐白裘有り、直千金、天下に双び無し、秦に入りてこれを昭王に献じ、更に他の裘無し。孟嘗君これを患へ、遍く客に問ふも、能く対ふる莫し。最も下坐に能く狗盗を為す者有り、曰く、「臣能く狐白裘を得ん」と。乃ち夜狗と為り、以て秦宮の臧中に入り、献ずる所の狐白裘を取りて至り、以て秦王の幸姫に献ず。幸姫為に昭王に言ひ、昭王孟嘗君を釈く。孟嘗君出づるを得、即ち馳せ去り、封伝を更め、名姓を変へて以て関を出でんとす。夜半函谷関に至る。秦の昭王、後に孟嘗君を出だせしを悔い、これを求むるに已に去る、即ち人をして伝に馳せてこれを逐はしむ。孟嘗君関に至る、関の法は鶏鳴きて客を出だす。孟嘗君追ひの至らんことを恐る。客の下坐に居る者に能く鶏鳴を為す者有り、而して鶏斉しく鳴く、遂に伝を発して出づ。出でて食頃の如くして、秦の追ひ果たして関に至る、已に孟嘗君の出づるに後れ、乃ち還る。始め孟嘗君この二人を賓客に列するや、賓客尽くこれを羞づ。孟嘗君に秦の難有るに及び、卒にこの二人これを抜く。是より後、客皆服す。
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『弁道』第十四則気質を変化するは、宋儒の造る所にして、中庸に淵源す。先王孔子の道に無き所なり。伝の所謂変ずとは、其の習ひを変ずるを謂ふなり。夫れ先王孔子の道は天下を安んずるの道なり。天下を安んずるは一人の能く為す所に非ず。必ず衆力を得て以て之を成す。諸を辟ふるに、春夏秋冬備はりて、而る後に歳功成すべし。椎鑿刀鋸備はりて、而る後に匠事為すべし。寒熱補瀉備はりて、而る後に医術施すべし。錐は其の鋭きを欲し、椎は其の鈍きを欲す。石膏は大寒、附子は大熱。爾らずんば、先王天下を治むるに、其の材を用ふる所有る莫きなり。
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『政談』諸役人に器量を選ふ事此の事を君子は和して同せす、小人は同して和せすと孔子も宣へり、和すると云ふは五味を調和するか如し、五味の塩梅と云ふは格別の塩梅を持ち行て交せ合はすることなり、故に臣下には君と才智の筋各別なるを善とす、君何ほと才智ありても、人の才智は一向きに得手なる所ありて、又た不得手なる所あるものなり、聖人とても斯の如き故に、各別に違ひたる才智の臣をいくらも寄せされは君の才智の足らぬ所を補ふへきやうなし、同すると云ふは譬へはふくさみ其の甘きに砂糖を入れ、其上に又蜜をも入れ、又飴をも入れたるか如し、是君の心に合はせて物好きの少しも違はぬを云ふなり、論語の此の章は朱子の注解は大に相違したり、左伝の本文に此の訳精しくあるなり、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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