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政談 / 諸役人に器量を選ふ事

其の器量ある人の下に在ることは如何なることぞと云ふに、元來上たる人に人を撰む心なき故なり、人をは相應に撰ふとも撰みやうの惡しけれは、自から人を撰ふ心之なきに似たるなり、撰みやうの惡しきと云ふは、最前に云ひたる如く上の物好きにて人を撰む故、各別なる智惠の人をは氣に合はすして用ひす、唯々我か氣に合ふたる人ばかりを用ゆる故、幾人取り出しても只上の身を分けたるやうなるものにて、幾人にても一人の如し、之を人なきと云ふなり、此の上に又樣々の惡弊ありて邪魔となり、善き人は下に隔てられて見えぬなり、使ひ込めは人に成るへき人も皆惡しくなる故益々人はなく、其の樣々の惡弊と云ふは人に身を踏込せぬやうに仕掛ること是れ第一の惡弊なり、

新字:其の器量ある人の下に在ることは如何なることぞと云ふに、元来上たる人に人を撰む心なき故なり、人をは相応に撰ふとも撰みやうの悪しけれは、自から人を撰ふ心之なきに似たるなり、撰みやうの悪しきと云ふは、最前に云ひたる如く上の物好きにて人を撰む故、各別なる智恵の人をは気に合はすして用ひす、唯々我か気に合ふたる人ばかりを用ゆる故、幾人取り出しても只上の身を分けたるやうなるものにて、幾人にても一人の如し、之を人なきと云ふなり、此の上に又様々の悪弊ありて邪魔となり、善き人は下に隔てられて見えぬなり、使ひ込めは人に成るへき人も皆悪しくなる故益々人はなく、其の様々の悪弊と云ふは人に身を踏込せぬやうに仕掛ること是れ第一の悪弊なり、

書き下し

其の器量ある人の下に在ることは如何なることぞと云ふに、元来上たる人に人を撰む心なき故なり、人をは相応に撰ふとも撰みやうの悪しけれは、自から人を撰ふ心之なきに似たるなり、撰みやうの悪しきと云ふは、最前に云ひたる如く上の物好きにて人を撰む故、各別なる智恵の人をは気に合はすして用ひす、唯々我か気に合ふたる人ばかりを用ゆる故、幾人取り出しても只上の身を分けたるやうなるものにて、幾人にても一人の如し、之を人なきと云ふなり、此の上に又様々の悪弊ありて邪魔となり、善き人は下に隔てられて見えぬなり、使ひ込めは人に成るへき人も皆悪しくなる故益々人はなく、其の様々の悪弊と云ふは人に身を踏込せぬやうに仕掛ること是れ第一の悪弊なり、

現代語訳

その器量ある人が下にいるのはどういうことかといえば、もともと上に立つ人に人を選ぶ心がないからである。人をそれなりに選んでいても、選び方が悪ければ、おのずと人を選ぶ心がないのと同じことになる。選び方が悪いというのは、先に言ったように上の好みで人を選ぶので、違った知恵の人は気に合わないので用いず、ただ自分の気に合った人ばかりを用いるので、何人取り立てても、ただ上の身を分けたようなもので、何人いても一人と同じである。これを「人がいない」というのである。このうえさらに、さまざまな悪弊があって邪魔をし、善い人は下に隔てられて見えない。使い込めば人材になるはずの人も皆悪くなるので、ますます人はいなくなる。そのさまざまな悪弊というのは、人に身を打ち込ませないように仕向けること、これが第一の悪弊である。

解説

才ある人が下に埋もれる原因は、上に人を選ぶ心がないこと、あるいは選び方が悪いことにある。好みで選べば似た者ばかりが集まり、何人登用しても一人と変わらない。これが「人がいない」状態の正体だと徂徠は言う。さらに、人に身を打ち込ませない仕組みが、育つはずの人まで駄目にする。同質な人材を何人揃えても組織の力は一人分にしかならない、という指摘は、多様な人材の登用が叫ばれる現代にもそのまま当てはまる。

この章句が説くこと

人材登用多様性好み悪弊選抜

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