新論 / 虜情
庸俗又謂今日耶蘇之禁嚴甚、民不可得詿誤、其自衒小智、不足憂焉、夫夷虜之不得騁伎倆、以至今日者、實 幕府厲禁之所致、而億兆生靈之大幸也、然神姦之潛行其名可變、其狀可更、而其所以蠱民心者自若也、則彼其爲術、豈必膠柱刻舷、以踐往日之轍哉、民之好利畏鬼、其情之所不能免、苟有所以潛移其心者、則雖嚴刑峻法、亦有不可得而詰者焉、
新字:庸俗又謂今日耶蘇之禁厳甚、民不可得詿誤、其自衒小智、不足憂焉、夫夷虜之不得騁伎倆、以至今日者、実 幕府厲禁之所致、而億兆生霊之大幸也、然神姦之潜行其名可変、其状可更、而其所以蠱民心者自若也、則彼其為術、豈必膠柱刻舷、以践往日之轍哉、民之好利畏鬼、其情之所不能免、苟有所以潜移其心者、則雖厳刑峻法、亦有不可得而詰者焉、
書き下し
庸俗また謂ふ、今日耶蘇の禁厳なること甚だし、民詿誤せらるるを得べからず、と。其の自ら小智を衒ひて、憂ふるに足らずとす。夫れ夷虜の伎倆を騁するを得ずして、以て今日に至る者は、実に幕府厲禁の致す所にして、億兆生霊の大幸なり。然れども神姦の潜行する、其の名は変ずべく、其の状は更むべくして、其の民心を蠱する所以の者は自若たり。則ち彼其の術を為す、豈に必ずしも柱に膠し舷に刻みて、以て往日の轍を践まんや。民の利を好み鬼を畏るるは、其の情の免るる能はざる所なり。苟も潜かに其の心を移す所以の者有らば、則ち厳刑峻法と雖も、亦た得て詰むべからざる者有り。
現代語訳
凡庸な世俗の者はまた、「今日のキリスト教の禁令はきわめて厳しいから、民がたぶらかされることはありえない」と言い、自分の小賢しさをひけらかして、心配するには及ばないとする。そもそも外夷がその手管を振るえずに今日に至ったのは、まことに幕府の厳しい禁令のおかげであり、万民にとっての大きな幸いである。しかし、神を装った邪な教えがひそかに広まるとき、その名は変えることができ、その姿も改めることができるが、民心を惑わすその仕組みそのものは少しも変わらない。そうであれば、彼らが術を用いるのに、どうして琴柱を膠で固め、舟べりに目印を刻むような(融通のきかない)やり方で、昔の轍をそのまま踏むことがあろうか。民が利を好み、霊や祟りを恐れるのは、人情として免れられないところである。もしひそかにその心を移し変える手立てがあれば、どれほど厳しい刑罰や法令であっても、取り締まりきれないものがある。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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風憲忠告・臨難苐九夫れ人臣にして國家言責の任に當れば、刑辱の事、敢えてその無き有るを必とせず、要は順って處り靜かに伺い、理を以てこれを□するに在るのみ。若し乃ち哀を求め憐れみを乞い、惴讋(ずいしょう)して所無ければ、巳に先ず撓(たわ)む、何を以てか自ら眀(あき)らかにせん。夫れ已の職を盡くし、國の爲民の爲にして罪を得るは、君子は以て辱と為さず、以て榮と為す。縲紲(るいせつ)せらると雖も、荊楚せらると雖も、斧鉞せらると雖も、庸(なん)ぞ愧(は)ずること何かあらんや。歷(あまね)く自古(いにしえよ)り禍患に處して亂れざる者を觀るに、三代よりの下、子路の纓(えい)を結ぶが如き、宜僚(ぎりょう)の色を正すが如き、王景文の客と碁を弈(う)つが如き、劉禕(りゅうい)の自ら謝表を書すが如き、魏元忠の赦を聞きて動ぜざるが如き、是れ皆真に義命の在る所を知る有るを以てなり、區區(くく)たる人力の得て移す所に非ざるなり。然れども士君子平昔(へいせき)飬う所、其の情と偽と、焉(ここ)に於いて以て見るべし。李斯刑に臨みて父子相泣き、楊子雲(揚子雲)收(とら)えられて□閣ほとんど死せんとし、王坦之謝安と名を齊しくするも、桓溫朝に來たるや倒(さかしま)に手板を執り、崔浩自ら子房に比するも、史事を辨ずるが為に聲嘶(か)れ股栗(こりつ)し、便溺(べんでき)隱すこと能わず。此れ彼れ惟だ名を事とするのみにして、聖賢性命の學に於いては實に未だ甞て諸(これ)を心に淂(え)ざりしを見るべし。善いかな、韓文公の言に曰く、「儒者の患難に於けるや、苟しくも其れ自らこれを取るに非ざれば、其の拒みて懷に受けざるや、河堤を築きて以て屋霤(おくりゅう)を障(ふせ)ぐが若し。其の容れてこれを消すや、水の海に於ける、氷の夏日に於けるが若し。其の玩びてこれを文辭を以て忘るるや、金石を奏でて以て蟋蟀(しっしゅつ)の鳴くを破るが若し」と。故に君子の學は、理を眀らかにし自ら信ずるを以て貴しと為す。
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『墨子』七患子墨子曰く、國に七患有り。七患なる者は何ぞ。城郭溝池、守る可からずして、宫室を治む、一の患なり。邊寇、境に至るも、四鄰救う莫し、二の患なり。先ず民力を無用の功に盡くし、無能の人に賞賜し、民力、無用に盡き、財寳、侍客に虚し、三の患なり。仕うる者は祿を待ち、游ぶ者は反るを思い、君は法を脩めて臣を討ち、臣は懾れて敢えて拂らわず、四の患なり。君、自ら以て聖智と為して事を問わず、自ら以て安彊と為して守備無く、四鄰、之を謀るも戒を知らず、五の患なり。言う所は忠ならず、忠とする所は信ならず、六の患なり。畜え種うる菽粟、以て之を食らわすに足らず、大臣、事を治むるに足らず、賞賜は喜ばしむる能わず、誅罰は威らしむる能わず、七の患なり。七患を以て國に居らば、必ず社稷無からん。七患を以て城を守らば、敵至りて國傾かん。七患の當たる所、國に必ず殃有り。
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葉隠・聞書第一大難大変(だいなんたいへん)に逢うても動転せぬといふは、まだしきなり。大変に逢うては歓喜踊躍(かんきゆやく)して勇み進むべきなり。一関(いっかん)越えたる所なり。「水増されば船高し。」といふが如し。
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