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新論 / 國體中

夫既弱天下、而天下弱矣、愚黔首而黔首愚矣、弱且愚、則欲自動搖得乎、故天下所以無變者、可一言而盡、曰畏戰而已、歴代史傳所紀、有一語曰畏戰、則雖豎子知其爲弱國、擧堂堂用武之邦、反爲狼顧畏戰之俗、不亦可羞乎、任那之不守、渤海之不貢、亦既久矣、而如蝦夷諸島、亦日就蠶食、雖内地、而一水之外、直爲虜人巢窟、所謂先王日辟國百里今也日蹙國百里者、不獨周人所嘆也、處日蹙之勢、而待日辟之虜、用畏戰之俗、以抗百戰之寇、惡得不寒心、

新字:夫既弱天下、而天下弱矣、愚黔首而黔首愚矣、弱且愚、則欲自動揺得乎、故天下所以無変者、可一言而尽、曰畏戦而已、歴代史伝所紀、有一語曰畏戦、則雖豎子知其為弱国、挙堂堂用武之邦、反為狼顧畏戦之俗、不亦可羞乎、任那之不守、渤海之不貢、亦既久矣、而如蝦夷諸島、亦日就蠶食、雖内地、而一水之外、直為虜人巣窟、所謂先王日辟国百里今也日蹙国百里者、不独周人所嘆也、処日蹙之勢、而待日辟之虜、用畏戦之俗、以抗百戦之寇、悪得不寒心、

書き下し

夫れ既に天下を弱くして、天下弱し。黔首を愚にして黔首愚なり。弱にして且つ愚なれば、則ち自ら動揺せんと欲すとも得んや。故に天下の変無き所以の者は、一言にして尽くすべし。曰く、戦を畏るるのみ。歴代の史伝の紀す所、一語有りて戦を畏ると曰へば、則ち豎子と雖も其の弱国為るを知る。堂堂たる用武の邦を挙げて、反つて狼顧畏戦の俗と為る、亦羞づべからずや。任那の守らざる、渤海の貢せざる、亦既に久し。而して蝦夷の諸島の如きも、亦日に蚕食に就き、内地と雖も、一水の外は、直ちに虜人の巣窟と為る。所謂先王は日に国を辟くこと百里、今や日に国を蹙むること百里なる者、独り周人の嘆く所のみならず。日に蹙まるの勢に処りて、日に辟くの虜を待ち、戦を畏るるの俗を用ゐて、以て百戦の寇に抗す。悪んぞ寒心せざるを得ん。

現代語訳

すでに天下を弱くしたので、天下は弱くなった。民を愚かにしたので、民は愚かになった。弱くしかも愚かであれば、自ら動揺しようとしてもできるはずがない。だから天下に変事がない理由は、一言で言い尽くせる。戦を恐れているというだけのことだ。歴代の歴史書の記述に「戦を畏る」という一語があれば、子どもでもそれが弱い国だとわかる。堂々たる武の国が、かえって狼のように後ろを振り返っては戦を恐れる風俗になってしまったのは、なんとも恥ずかしいことではないか。任那を守れなくなり、渤海が貢物を贈らなくなってから、もう久しい。蝦夷の島々も日ごとに侵食され、内地であっても、海一つ隔てた向こうはそのまま異国人の巣窟となっている。「先王の時代には日に百里ずつ国を広げたが、今は日に百里ずつ国が縮まっている」というのは、周の人だけの嘆きではない。日々縮む形勢にありながら、日々領土を広げる異国を待ち受け、戦を恐れる風俗をもって百戦錬磨の敵に立ち向かおうとしている。どうして寒々とした思いを抱かずにいられようか。

解説

天下に変事がないのは、民を弱く愚かにした結果、人々が戦を畏れているからにすぎない、と正志斎は言い切る。武の国が「狼顧畏戦の俗」に変わったことを恥じ、北方の島々がロシアに侵食されつつある現状を嘆く。「日に国を辟くこと百里、今や日に国を蹙むること百里」は『詩経』大雅・召旻の句で、衰えた周の嘆きを当代に重ねている。この危機感は、文化年間のロシア船による蝦夷地襲撃などを踏まえたものとみられる。現代に移すなら、争いを避けて安定しているように見える組織が、外の競争の前でどれほど無力かを問う警句として読める。

この章句が説くこと

危機畏戦尚武北方士風詩経

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