葉隠 / 聞書第一
大難大變に逢うても動轉せぬといふは、まだしきなり。大變に逢うては歡喜踊躍して勇み進むべきなり。一關越えたる所なり。「水增されば船高し。」といふが如し。
新字:大難大変に逢うても動転せぬといふは、まだしきなり。大変に逢うては歓喜踊躍して勇み進むべきなり。一関越えたる所なり。「水增されば船高し。」といふが如し。
書き下し
大難大変(だいなんたいへん)に逢うても動転せぬといふは、まだしきなり。大変に逢うては歓喜踊躍(かんきゆやく)して勇み進むべきなり。一関(いっかん)越えたる所なり。「水増されば船高し。」といふが如し。
現代語訳
大きな災難や大変事に出遭っても動じない、という程度ではまだ足りない。大変事に遭っては、むしろ喜び勇んで進んでいくべきである。それは一段高い境地を越えたところだ。「水かさが増せば船も高く浮かぶ」というのと同じである。
解説
危機に「動じない」ことの一段上を説く一節です。ふつう平常心を保つだけでも立派とされますが、『葉隠』はそこにとどまらず、大変事こそ喜んで飛び込めと言います。「水増されば船高し」――水位が上がるほど船も高く浮かぶように、困難が大きいほど人の力量や気概も引き上げられる、という前向きな捉え方です。危機を避けるべき厄災ではなく、自分を高める好機と見る発想の転換がここにあります。現代でも、大きな試練を恐れず「面白くなってきた」と受け止められる人は強く、周囲も引き上げられます。もっとも、無謀に飛び込むこととは違い、日頃の備えと覚悟があってこそ危機を勇んで越えられる、という前提は押さえておきたいところです。
この章句が説くこと
危機歓喜踊躍前向きな転換胆力試練を好機に平常心の先
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