新論 / 虜情
庸俗又謂夷敎淺陋可欺蠢愚、而不可罔君子、不足憂焉、夫天下之民、蠢愚甚衆、而君子甚鮮、蠢愚之心一傾、則天下固不可治、故聖人設造言亂民之刑甚嚴、惡其惑愚民也、昔夷敎之入西邊、誑惑愚民、所在蔓延、未百年、而詿誤陷戮者二十八萬人、其入民之速如此、萬一使愚夫愚婦爲所詿誤如往日、而或有巨姦大憝如大友小西之徒、引邪徒以自爲謀利、亦如往日、則逆焰之熾、誰得而遽撲滅之、而一二君子、端拱於横流中、未見其有益於世、則其不能罔君子亦惡可恃也、
新字:庸俗又謂夷教浅陋可欺蠢愚、而不可罔君子、不足憂焉、夫天下之民、蠢愚甚衆、而君子甚鮮、蠢愚之心一傾、則天下固不可治、故聖人設造言乱民之刑甚厳、悪其惑愚民也、昔夷教之入西辺、誑惑愚民、所在蔓延、未百年、而詿誤陥戮者二十八万人、其入民之速如此、万一使愚夫愚婦為所詿誤如往日、而或有巨姦大憝如大友小西之徒、引邪徒以自為謀利、亦如往日、則逆炎之熾、誰得而遽撲滅之、而一二君子、端拱於横流中、未見其有益於世、則其不能罔君子亦悪可恃也、
書き下し
庸俗又謂ふ、夷教は浅陋にして蠢愚を欺くべけれども、君子を罔うすべからず、憂ふるに足らずと。夫れ天下の民、蠢愚甚だ衆くして、君子甚だ鮮し。蠢愚の心一たび傾けば、則ち天下固より治むべからず。故に聖人造言乱民の刑を設くること甚だ厳なるは、其の愚民を惑はすを悪めばなり。昔夷教の西辺に入るや、愚民を誑惑し、所在に蔓延し、未だ百年ならずして、詿誤せられて戮に陥る者二十八万人なり。其の民に入ることの速やかなること此くの如し。万一愚夫愚婦をして詿誤せらるること往日の如くならしめ、而して或いは巨姦大憝の大友・小西の徒の如き者有りて、邪徒を引きて以て自ら利を謀ることを為すこと、亦往日の如くならば、則ち逆焰の熾んなる、誰か得て遽かに之を撲滅せん。而して一二の君子、横流の中に端拱するも、未だ其の世に益有るを見ず。則ち其の君子を罔うすること能はざるも、亦悪くんぞ恃むべけんや。
現代語訳
世俗の凡庸な者たちはまた、「異国の教えは浅はかで、愚かな民はだませても君子をあざむくことはできないから、心配するには及ばない」と言う。そもそも天下の民は、愚かな者がたいへん多く、君子はごく少ない。愚かな民の心がいったん傾けば、天下はもとより治めることができない。だから聖人が、流言を作る者や民を乱す者への刑罰をきわめて厳しく定めたのは、それが愚かな民を惑わすことを憎んだからである。昔、異国の教えが西の辺境に入ったとき、愚かな民をだまし惑わして至るところに広がり、百年もたたないうちに、惑わされて処刑された者は二十八万人に及んだ。民の中に入りこむ速さはこのとおりである。万一、愚かな男女がかつてのように惑わされ、しかも大友・小西のような大悪人が、かつてのように邪な信徒を引き入れて自分の利をはかるようなことがあれば、反逆の炎が燃えさかるのを、だれがすぐに消し止められようか。一人二人の君子が、あふれる濁流の中で手をこまねいて端座していても、世の役に立つとは思えない。そうであれば、異国の教えが君子をあざむけないということも、どうして頼みにできようか。
解説
この章句が説くこと
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『洗心洞箚記』卷下・第三條世俗の方位の説は、固より非なり。然れども方位の二字は、曲士の杜撰に非ざるなり。周官に曰く、惟れ王国を建て、方を辨じ位を正すと。即ち是れ其の濫觴か。然れども其の之を辨じ之を正すは、所謂鬼門星宿の事に非ず。鬼門星宿の事は、聖経に見ゆること無ければ、則ち取るに足らざるなり。取るに足らずと雖も、謾りに土木宮室の事を事とするは、則ち道に非ざるなり。道に非ずして則ち災無しと雖も、君子は決して為さざるなり。而して之を辨じ之を正すこと、周公の制の如くならば、則ち災有りと雖も、君子は必ず之を為すなり。
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論語・八佾篇子曰く、『周、二代を監みて、郁郁として文なる哉。吾、周に従う。』
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