新論 / 虜情
今如博奕及徒黨、國有明禁、然無賴姦民、横行村里、夜聚曉散、飲博相煽誘、莫之能息者、因其好利也、禱祠呪詛、假神姦以喚友聚黨、隨除隨生者、因其畏鬼也、〈如不受不施蓮花往生等徒、前既就戮、而近時或因淫祠、或假佛説、以相朋比者、不可勝計、如所謂富士講者、亦其聚黨、蓋既至七萬人云、亦皆因其畏鬼而相聚結者也、〉萬一使虜因利與鬼而變名更狀以蠱民心其術毎出於刑禁之所未及而民心暗移默傾、則亦惡可獨恃成法而不之慮也、夫小智曲慮齷齪不知大計者、心放眼眩、相率入黠虜術中而不自知、自古庸俗之徒、長舌巧辭、終無窮極也如此、孔子曰、惡利口之覆邦家者、正謂此也、
新字:今如博奕及徒党、国有明禁、然無頼姦民、横行村里、夜聚暁散、飲博相煽誘、莫之能息者、因其好利也、祷祠呪詛、仮神姦以喚友聚党、随除随生者、因其畏鬼也、〈如不受不施蓮花往生等徒、前既就戮、而近時或因淫祠、或仮仏説、以相朋比者、不可勝計、如所謂富士講者、亦其聚党、蓋既至七万人云、亦皆因其畏鬼而相聚結者也、〉万一使虜因利与鬼而変名更状以蠱民心其術毎出於刑禁之所未及而民心暗移黙傾、則亦悪可独恃成法而不之慮也、夫小智曲慮齷齪不知大計者、心放眼眩、相率入黠虜術中而不自知、自古庸俗之徒、長舌巧辞、終無窮極也如此、孔子曰、悪利口之覆邦家者、正謂此也、
書き下し
今、博奕及び徒党の如きは、国に明禁有り。然れども無頼姦民、村里に横行し、夜聚まり暁に散じ、飲博して相煽誘し、之を能く息むる莫き者は、其の利を好むに因るなり。禱祠呪詛、神姦に仮りて以て友を喚び党を聚め、随ひて除けば随ひて生ずる者は、其の鬼を畏るるに因るなり。(不受不施・蓮花往生等の徒の如きは、前に既に戮に就けり。而して近時或は淫祠に因り、或は仏説に仮りて、以て相朋比する者、勝げて計ふべからず。所謂富士講なる者の如きも、亦た其の聚党、蓋し既に七万人に至ると云ふ。亦た皆其の鬼を畏るるに因りて相聚結する者なり。)万一虜をして利と鬼とに因りて名を変じ状を更め、以て民心を蠱せしめ、其の術毎に刑禁の未だ及ばざる所に出でて、民心暗に移り黙に傾かば、則ち亦た悪んぞ独り成法を恃みて之を慮らざるべけんや。夫れ小智曲慮、齷齪として大計を知らざる者は、心放たれ眼眩み、相率ゐて黠虜の術中に入りて自ら知らず。古より庸俗の徒、長舌巧辞、終に窮極無きこと此の如し。孔子曰く、利口の邦家を覆す者を悪む、と。正に此を謂ふなり。
現代語訳
今、たとえば賭博や徒党を組むことには、国にはっきりした禁令がある。それでも無頼の悪い民が村里にのさばり、夜に集まり明け方に散り、酒を飲み博打を打っては互いにあおり誘って、これをやめさせることができないのは、彼らが利を好むからである。祈禱や呪いをし、神を装った怪しげな教えを借りて仲間を呼び集め、取り除いてもすぐにまた生じてくるのは、彼らが霊や祟りを恐れるからである。(不受不施派や蓮花往生などの徒は、以前すでに処刑された。しかし近ごろは、いかがわしい祠を拠り所にしたり、仏の教えを借りたりして徒党を組む者が数えきれない。いわゆる富士講というものも、その集まりはおよそ七万人に達しているという。これもみな霊や祟りを恐れて寄り集まった者たちである。)万一、外夷が利と鬼神とにつけこみ、名を変え姿を改めて民心を惑わせ、その術がいつも刑罰や禁令のまだ及ばないところから出てきて、民心がひそかに移り、知らぬ間に傾いてしまったら、どうして既存の法だけを頼みにして、このことを考えずにいられようか。そもそも小賢しく考えのねじれた、こせこせして大計を知らない者は、心がゆるみ目がくらんで、連れ立って狡猾な外夷の術中にはまりながら自分では気づかない。昔から凡俗の徒が、よく回る舌と巧みな言葉で際限なく語り続けるのは、このとおりである。孔子が「口先のうまい者が国家を覆すのを憎む」と言ったのは、まさにこのことを言うのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『新論』虜情庸俗また謂ふ、今日耶蘇の禁厳なること甚だし、民詿誤せらるるを得べからず、と。其の自ら小智を衒ひて、憂ふるに足らずとす。夫れ夷虜の伎倆を騁するを得ずして、以て今日に至る者は、実に幕府厲禁の致す所にして、億兆生霊の大幸なり。然れども神姦の潜行する、其の名は変ずべく、其の状は更むべくして、其の民心を蠱する所以の者は自若たり。則ち彼其の術を為す、豈に必ずしも柱に膠し舷に刻みて、以て往日の轍を践まんや。民の利を好み鬼を畏るるは、其の情の免るる能はざる所なり。苟も潜かに其の心を移す所以の者有らば、則ち厳刑峻法と雖も、亦た得て詰むべからざる者有り。
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『新論』虜情庸俗又謂ふ、夷教は浅陋にして蠢愚を欺くべけれども、君子を罔うすべからず、憂ふるに足らずと。夫れ天下の民、蠢愚甚だ衆くして、君子甚だ鮮し。蠢愚の心一たび傾けば、則ち天下固より治むべからず。故に聖人造言乱民の刑を設くること甚だ厳なるは、其の愚民を惑はすを悪めばなり。昔夷教の西辺に入るや、愚民を誑惑し、所在に蔓延し、未だ百年ならずして、詿誤せられて戮に陥る者二十八万人なり。其の民に入ることの速やかなること此くの如し。万一愚夫愚婦をして詿誤せらるること往日の如くならしめ、而して或いは巨姦大憝の大友・小西の徒の如き者有りて、邪徒を引きて以て自ら利を謀ることを為すこと、亦往日の如くならば、則ち逆焰の熾んなる、誰か得て遽かに之を撲滅せん。而して一二の君子、横流の中に端拱するも、未だ其の世に益有るを見ず。則ち其の君子を罔うすること能はざるも、亦悪くんぞ恃むべけんや。
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『新論』虜情夫れ虜の妖教を仮りて以て諸国を顚滅し、其の宇内を呑みて之を尽くさんと欲すること、日を為すこと久し。則ち其の喜怒既已に数百年の前に定まれり。而るを豈に一恩一威の故を以て俄かに其の素謀を易へんや。而して其の或いは忿恚に出づる者は、人をして恇怯して敢へて拒まざらしむるに足り、恭順なる者は人をして怠惰にして守りを失はしむるに足る。二者逓ひに出で交々発すれば、則ち所謂之に角して有余不足の処を知る者も、亦以て彼の術と為すべきなり。人を窺ふ者の情は、人に窺はるる者固より知らざる所有り。故に虜は善く人を形にして、我は喜懼変に随ひ、心悸ひ眼眩みて、屢々誤らるる所と為りて自ら知らず、亦何を以てか廟堂に深遠の虞有るを知ることを得んや。
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『新論』虜情故に人の国家を傾けんと欲すれば、則ち必ず先づ通市に因りて其の虚実を窺ひ、乗ずべきを見れば則ち兵を挙げて之を襲ひ、不可なれば則ち夷教を唱へて、以て民心を煽惑す。民心一たび移れば、簞壺相迎へて、之を禁ずるを得る莫し。而して民は胡神の為に死を致し、相欣羨して以て栄と為す、其の勇以て闘ふに足る。資産を傾けて以て胡神に奉ず、其の財以て兵を行ふに足る。人の民を誘ひ人の国を傾くるを以て、胡神の心に副ふと為し、兼愛の言を仮りて、以て其の呑噬を逞しうす。其の兵貪と云ふと雖も、而も以て義兵の名を衒ふに足る。其の国を併せ地を略する、皆此の術に由らざる莫きなり。
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『新論』虜情西夷の海上に跋扈すること、幾ど三百年なり。而して土疆日に広く、意欲日に満つる者は、是れ其の智勇大いに人に過絶する者有るか、仁恩甚だ民に洽きか、礼楽刑政脩備せざる莫きか、抑々神造鬼設、人力の能く為す所に非ざる者有るか。而るに皆然るに非ざるなり。彼其の恃みて以て伎倆を逞しうする所の者は、独り一の耶蘇教有るのみ。夫れ彼の所謂教法なる者は、邪僻浅陋、固より論ずるに足る無し。然れども其の帰易簡にして、其の言猥瑣、以て愚民を誑誘し易し。巧言繁辞、天を誣ひて以て天を敬すと為し、人道を滅裂して、以て倫理に暁らかなりと為す。時に小恵を行ひて、以て仁聞を市り、因りて其の説を誇張し、舌を鼓して世を眩はす。誕妄迂怪、以て耳を濫すに足る。故に世の異を好む者、道聴途説して、士大夫と雖も、亦往々沾染を免れざる者有り。心蠱し志溺れて、頑乎として其れ解くべからざるに至る。是れ狡夷の用ひて以て其の術を售る所なり。
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『新論』虜情夫れ西夷の中国を窺ふ者、前後武を接し、各国逓ひに至る。其の国殊なりと雖も、其の敬事尊奉する所以の者は、則ち同一の胡神なり。故に耶蘇の中原を闚ふこと三百年にして変ぜず。而して中国の之を待つ所以の者は、則ち時論の趨舎に係り、或は雄断に出で、或は姑息に出づ。是れ其の間を闚ふ者は始終一意にして、之に応ずる者は前後論を異にす。一意なる者を以て、異論なる者を闚ふ、安んぞ其の能く久しくして間の乗ずべき無きを保たんや。然らば則ち時論をして一定し乗ずべきの間無からしめんと欲せば、虜情を審らかにするに在るかな、虜情を審らかにするに在るかな。(巻上終)
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