論語 / 八佾篇
子曰:『周監於二代、郁郁乎文哉。吾從周。』
新字:子曰:『周監於二代、郁郁乎文哉。吾従周。』
書き下し
子曰く、『周、二代を監みて、郁郁として文なる哉。吾、周に従う。』
現代語訳
孔子は言った。「周の王朝は夏と殷の二代を手本とし、なんと立派に文化を整えたことか。私は周に従う。」
解説
周の王朝は、その前の夏・殷の二つの時代の良いところを手本にしながら、独自に文化や仕組みを磨き上げ、見事に整った世の中を作り上げました。孔子はその積み重ねの姿を「郁郁乎(いくいくこ)として文なるかな」と褒めたたえ、自分は周のやり方に従うと述べています。これは、真に立派なものは一朝一夕にはできず、先人の経験を学びながら少しずつ良くしていく地道な積み重ねから生まれる、という教えです。会社の仕組みや町内会の運営、家庭のしきたりも同じで、いきなり新しいやり方に飛びつくよりも、これまでの歴史や過去の失敗・成功をよく調べ、良い点は受け継ぎ、悪い点は直していくほうが、結局は深みのある確かなものに育ちます。温故知新という言葉にも通じる、地に足のついた学び方の大切さを、この一言は伝えています。
この章句が説くこと
周礼文化継承
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