新論 / 虜情
庸俗又謂虜絶海遠來、其兵不得甚衆、自試螳臂、不足憂焉、夫衆寡在勢、善用勢者、能因敵衆以爲吾勢、法曰、全國爲上、破國次之、不善用勢者、以吾衆助敵之勢、其衆不足恃也、昔西邊姦民、闌出爲盗、適明國衰亂、群盗相嘯聚者、引以爲援、號稱倭寇、陷沒州郡、略無寧歳、及其就戮、 我邊民在黨中者、僅二十五人、用以助聲勢、亦足以蹙朱明之命脈、故兵固有先聲、而衆寡無定形、夫善用兵者、豈獨因糧於敵、而亦可以因衆於敵也、虜用妖敎詭術、以誘人之民、萬一使彼引我民以援其勢、則彼之寡與 我之衆、亦惡可恃也、〈明人言西蕃機深謀巧、到一國必壞一國、皆即其國以攻其國、歴呑已有三十餘、〉
新字:庸俗又謂虜絶海遠来、其兵不得甚衆、自試螳臂、不足憂焉、夫衆寡在勢、善用勢者、能因敵衆以為吾勢、法曰、全国為上、破国次之、不善用勢者、以吾衆助敵之勢、其衆不足恃也、昔西辺姦民、闌出為盗、適明国衰乱、群盗相嘯聚者、引以為援、号称倭寇、陥没州郡、略無寧歳、及其就戮、 我辺民在党中者、僅二十五人、用以助声勢、亦足以蹙朱明之命脈、故兵固有先声、而衆寡無定形、夫善用兵者、豈独因糧於敵、而亦可以因衆於敵也、虜用妖教詭術、以誘人之民、万一使彼引我民以援其勢、則彼之寡与 我之衆、亦悪可恃也、〈明人言西蕃機深謀巧、到一国必壊一国、皆即其国以攻其国、歴呑已有三十余、〉
書き下し
庸俗又謂ふ、虜は海を絶ちて遠く来たる、其の兵甚だ衆きを得ず、自ら螳臂を試むるのみ、憂ふるに足らずと。夫れ衆寡は勢に在り。善く勢を用ふる者は、能く敵の衆に因りて以て吾が勢と為す。法に曰く、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐと。善く勢を用ひざる者は、吾が衆を以て敵の勢を助く、其の衆恃むに足らざるなり。昔西辺の姦民、闌出して盗を為す。適々明国衰乱し、群盗の相嘯聚する者、引きて以て援と為し、号して倭寇と称す。州郡を陥没し、略ぼ寧き歳無し。其の戮に就くに及びて、我が辺民の党中に在る者、僅かに二十五人なり。用ひて以て声勢を助くるも、亦以て朱明の命脈を蹙むるに足る。故に兵には固より先声有りて、衆寡に定形無し。夫れ善く兵を用ふる者は、豈に独り糧を敵に因るのみならんや、而して亦以て衆を敵に因るべきなり。虜は妖教詭術を用ひて、以て人の民を誘ふ。万一彼をして我が民を引きて以て其の勢を援けしめば、則ち彼の寡と我の衆と、亦悪くんぞ恃むべけんや(明人言ふ、西蕃は機深く謀巧みにして、一国に到れば必ず一国を壊る、皆其の国に即きて以て其の国を攻む、歴呑已に三十余有りと)。
現代語訳
世俗の凡庸な者たちはまた、「彼らは海を越えて遠くから来るのだから兵はそれほど多くはなりえず、カマキリが斧を振り上げるようなもので、心配するには及ばない」と言う。そもそも兵の多い少ないは勢いにかかっている。勢いをうまく用いる者は、敵の兵の多さを利用して自分の勢いとする。兵法に「国をまるごと保ったまま降すのが上策で、国を打ち破るのはその次である」とある。勢いをうまく用いない者は、自分の兵の多さでかえって敵の勢いを助けてしまうので、その多さは頼みにならない。昔、西の辺境の悪い民がみだりに海外へ出て盗賊となった。ちょうど明が衰え乱れていたので、群れ集まった盗賊たちが彼らを引き入れて助けとし、倭寇と名乗った。州や郡を攻め落とし、ほとんど安らかな年がなかった。ところが処刑されたときに調べると、一味の中にいたわが国の辺境の民はわずか二十五人であった。それを使って声勢を助けただけでも、明の命脈を縮めるに足りたのである。だから戦にはもとより先に響く声威というものがあり、兵の多少に決まった形はない。そもそも兵をうまく用いる者は、敵地で食糧をまかなうだけでなく、敵地で兵をまかなうこともできる。彼らは邪な教えとあやしい術を用いて、他国の民を誘う。万一彼らにわが民を引き入れてその勢いを助けさせるようなことになれば、彼らが少なくわが方が多いということも、どうして頼みにできようか(明の人は「西洋の国々はたくらみが深く謀が巧みで、一国に至れば必ずその国を壊す。いずれもその国の民を使ってその国を攻め、これまでに呑みこんだ国は三十余りに及ぶ」と言っている)。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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風憲忠告・臨難苐九夫れ人臣にして國家言責の任に當れば、刑辱の事、敢えてその無き有るを必とせず、要は順って處り靜かに伺い、理を以てこれを□するに在るのみ。若し乃ち哀を求め憐れみを乞い、惴讋(ずいしょう)して所無ければ、巳に先ず撓(たわ)む、何を以てか自ら眀(あき)らかにせん。夫れ已の職を盡くし、國の爲民の爲にして罪を得るは、君子は以て辱と為さず、以て榮と為す。縲紲(るいせつ)せらると雖も、荊楚せらると雖も、斧鉞せらると雖も、庸(なん)ぞ愧(は)ずること何かあらんや。歷(あまね)く自古(いにしえよ)り禍患に處して亂れざる者を觀るに、三代よりの下、子路の纓(えい)を結ぶが如き、宜僚(ぎりょう)の色を正すが如き、王景文の客と碁を弈(う)つが如き、劉禕(りゅうい)の自ら謝表を書すが如き、魏元忠の赦を聞きて動ぜざるが如き、是れ皆真に義命の在る所を知る有るを以てなり、區區(くく)たる人力の得て移す所に非ざるなり。然れども士君子平昔(へいせき)飬う所、其の情と偽と、焉(ここ)に於いて以て見るべし。李斯刑に臨みて父子相泣き、楊子雲(揚子雲)收(とら)えられて□閣ほとんど死せんとし、王坦之謝安と名を齊しくするも、桓溫朝に來たるや倒(さかしま)に手板を執り、崔浩自ら子房に比するも、史事を辨ずるが為に聲嘶(か)れ股栗(こりつ)し、便溺(べんでき)隱すこと能わず。此れ彼れ惟だ名を事とするのみにして、聖賢性命の學に於いては實に未だ甞て諸(これ)を心に淂(え)ざりしを見るべし。善いかな、韓文公の言に曰く、「儒者の患難に於けるや、苟しくも其れ自らこれを取るに非ざれば、其の拒みて懷に受けざるや、河堤を築きて以て屋霤(おくりゅう)を障(ふせ)ぐが若し。其の容れてこれを消すや、水の海に於ける、氷の夏日に於けるが若し。其の玩びてこれを文辭を以て忘るるや、金石を奏でて以て蟋蟀(しっしゅつ)の鳴くを破るが若し」と。故に君子の學は、理を眀らかにし自ら信ずるを以て貴しと為す。
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『墨子』七患子墨子曰く、國に七患有り。七患なる者は何ぞ。城郭溝池、守る可からずして、宫室を治む、一の患なり。邊寇、境に至るも、四鄰救う莫し、二の患なり。先ず民力を無用の功に盡くし、無能の人に賞賜し、民力、無用に盡き、財寳、侍客に虚し、三の患なり。仕うる者は祿を待ち、游ぶ者は反るを思い、君は法を脩めて臣を討ち、臣は懾れて敢えて拂らわず、四の患なり。君、自ら以て聖智と為して事を問わず、自ら以て安彊と為して守備無く、四鄰、之を謀るも戒を知らず、五の患なり。言う所は忠ならず、忠とする所は信ならず、六の患なり。畜え種うる菽粟、以て之を食らわすに足らず、大臣、事を治むるに足らず、賞賜は喜ばしむる能わず、誅罰は威らしむる能わず、七の患なり。七患を以て國に居らば、必ず社稷無からん。七患を以て城を守らば、敵至りて國傾かん。七患の當たる所、國に必ず殃有り。
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論語・子張篇子張曰く、士は危うきを見ては命を致し、得るを見ては義を思い、祭には敬を思い、喪には哀を思う。其れ可なるのみ。
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葉隠・聞書第一大難大変(だいなんたいへん)に逢うても動転せぬといふは、まだしきなり。大変に逢うては歓喜踊躍(かんきゆやく)して勇み進むべきなり。一関(いっかん)越えたる所なり。「水増されば船高し。」といふが如し。
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論語・子罕篇子、匡に畏る。曰く、「文王既に没するも、文茲に在らずや。天の将に斯の文を喪ぼさんとするや、後死の者、斯の文に与かるを得ざるなり。天の未だ斯の文を喪ぼさざるや、匡人其れ予を如何せん。」
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『墨子』兼愛下然らば即ち敢えて問う。今、嵗に癘疫有り、萬民、多く勤苦凍餒有りて、溝壑の中に轉死する者、既已に衆し。識らず、將に之の二君を擇ばんとするに、將に何にか從わんとするや。我れ以て其の此に於けるに當たりては、天下に愚夫愚婦無く、兼君を非とすと雖も、必ず兼君に從うを是と為さん。言いて兼を非とし、擇びては即ち此れ言行の拂うなり。識らず、天下の皆な兼を聞きて之を非とする所以の者は、其の故、何ぞや。
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