洗心洞箚記 / 卷下・第二十三條
周官大司寇之職、以五刑糾萬民、故野無惰農、軍無怯兵、鄕無惡人、官無貪者、國無暴客、此成周之所以治而强之一端也、而至漢唐有糾暴之刑、而其餘四刑、與上愿之法索然盡矣、而欲國之富强不可得、何況三代之治乎、
新字:周官大司寇之職、以五刑糾万民、故野無惰農、軍無怯兵、郷無悪人、官無貪者、国無暴客、此成周之所以治而強之一端也、而至漢唐有糾暴之刑、而其余四刑、与上愿之法索然尽矣、而欲国之富強不可得、何況三代之治乎、
書き下し
周官大司寇の職、五刑を以て万民を糾す。故に野に惰農無く、軍に怯兵無く、郷に悪人無く、官に貪者無く、国に暴客無し。此れ成周の治まりて強き所以の一端なり。而して漢唐に至りて暴を糾すの刑有りて、其の余の四刑と、上愿の法とは索然として尽く。而して国の富強を欲するも得べからず。何ぞ況んや三代の治をや。
現代語訳
『周官』(周礼)の大司寇の職務では、五つの刑によって万民を正した。だから田野に怠ける農民がなく、軍に臆病な兵がなく、郷里に悪人がなく、役所に貪る者がなく、国都に乱暴者がいなかった。これが周の盛時に国が治まり強かった理由の一端である。ところが漢・唐になると、乱暴を取り締まる刑だけが残り、そのほかの四つの刑と、慎み深い者を尊ぶ(上愿)法はすっかりなくなった。それでは国を富ませ強くしようとしてもできない。まして三代の治世などなおさらである。
解説
『周礼』の大司寇が農・軍・郷・官・国の五つの場で、それぞれ尊ぶべきものを掲げつつ怠りや悪を正したことを挙げ、周が治まり強かった理由の一端とする。漢唐以後は乱暴を罰する刑だけが残り、慎み深さを尊ぶ面と他の四つの刑が失われたので、富強も三代の治も望めないと中斎は言う。罰するだけで、それぞれの持ち場で何を尊ぶかを示さない仕組みでは人は育たないという考えは、評価制度や人事の設計を考えるうえで示唆が多い。
この章句が説くこと
周礼刑罰経世制度評価富強
関連する章句
-
『洗心洞箚記』卷上・第二十三條程子曰く、関雎麟趾の意有りて、然る後に周官の制度を行ふべしと。此れ特に周官を善く読まざる者の世を愆らんことを恐るるを知るのみにして、未だ其の制度の君徳を修むるを以て本と為すを明らかにせざるに似たり。而して其の説を後世に推せば、則ち猶ほ河の清むを俟つがごとく然り。故に吾を以て之を論ずれば、必ずしも周官の制度に本づき、以て法を立て君を導かずんば、則ち関雎麟趾の徳は、益々成り難し。
-
『洗心洞箚記』卷上・第五十條穰苴の後期の寵臣を斬り、孫武の約に背く愛姫を斬るを、世此を以て二子の創意と為す。決して二子の創意に非ざるなり。周官大司馬の法より来たる。曰く、群吏陳前に誓ひを聴き、牲を斬りて以て左右に陳に徇へて曰く、命を用ひざる者は之を斬ると。又曰く、大常を致建し、軍衆を比するに及びて、後れて至る者を誅すと。二子は真に斯の事を行ふのみ。春秋戦国の間の名将は、皆成周の軍制に明らかなり。特に二子のみに非ざるなり。然るに彭越の最も後るる者一人を誅せしは、此れ則ち必ず二子の顰に傚ふ者か。
-
『玉勝間』一の巻 から国の官神事と喪事とをかね行ふ事周礼と云うから書を見れば、大祝・小祝の官、もろもろの神祇祭祀の事をあづかり掌り、また喪事をもあづかり掌るよし云えり。生きたると死にたると、浄きと穢きとのわき無くして、皇国のこころより見れば、いともいとも穢らわしき国俗なりけり。
-
論語・八佾篇子曰く、『周、二代を監みて、郁郁として文なる哉。吾、周に従う。』
-
『呻吟語』外篇・治道・周公は一部の活きたる『周禮』周公は是れ一部の活きたる『周禮』なり。世に只だ周公有らば必ずしも『周禮』有るを要せず。周公をして今に生まれしめば、寧ぞ一一『周禮』を用ひんや。愚謂へらく、周公有らば『周禮』無しと雖も可なり。周公無くんば『周禮』有りと雖も可ならず。
-
『弁名』忠信忠とは、人の為に謀り、或いは人の事に代はりて、能く其の中心を尽くし、視ること己の事の若く、懇到詳悉にして至らざる莫きなり。或いは君に事ふるを以て之を言ひ、或いは専ら訟を聴くを以て之を言ふ。訟を聴くも亦た君に事へ官に居るの事なり。然れども五刑の属三千、至つて繁細たり。而して民の詐りを懐き、獄訟の情得難く、彼此怨みを構ふ。苟も能く其の情を体するに非ずんば、則ち其の平を得ず。故に周礼の六徳に、忠は司寇の材為り。左伝に、「小大の獄、察すること能はずと雖も、必ず情を以てす」と、「忠の属なり」と。以て見るべきのみ。子は四を以て教ふ、文・行・忠・信。忠は政事の科為り。政事は君に代はるの事なり。故に忠を以て之に命ず。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る