新論 / 虜情
而庸俗又謂自昔 神州之兵、精鋭冠萬國、夷狄小醜、不足憂焉、夫 神州士勇兵鋭、雖風土使之然、然世有汚隆、時有變革、戰國之世、士卒習戰、進退疾徐、自合機宜、故搴旗斬將、其勇可得施也、今士卒不見兵革二百年、一旦臨事、虚實之變、奇正之用、誰能素練而熟習之、而怯者先走亂陣、勇者徒死傷勇、所謂精鋭者、未可恃也、昔蒙古之寇邊、世未忘戰、然軍容戰法、皆我所未見、猛將勇士、素練之技無所施、豕突喪元、以致敗衄、故兵之勝敗在主將方略耳、今講兵法席上、所講者亦概甲越陳迹、而海外之兵、目未之睹、耳未之聞、一旦接戰、得無有所扞格乎、而徒恃往昔之精鋭、不爲今日之計、未見其可也、
新字:而庸俗又謂自昔 神州之兵、精鋭冠万国、夷狄小醜、不足憂焉、夫 神州士勇兵鋭、雖風土使之然、然世有汚隆、時有変革、戦国之世、士卒習戦、進退疾徐、自合機宜、故搴旗斬将、其勇可得施也、今士卒不見兵革二百年、一旦臨事、虚実之変、奇正之用、誰能素練而熟習之、而怯者先走乱陣、勇者徒死傷勇、所謂精鋭者、未可恃也、昔蒙古之寇辺、世未忘戦、然軍容戦法、皆我所未見、猛将勇士、素練之技無所施、豕突喪元、以致敗衄、故兵之勝敗在主将方略耳、今講兵法席上、所講者亦概甲越陳迹、而海外之兵、目未之睹、耳未之聞、一旦接戦、得無有所扞格乎、而徒恃往昔之精鋭、不為今日之計、未見其可也、
書き下し
而して庸俗又謂ふ、昔より神州の兵、精鋭万国に冠たり、夷狄の小醜、憂ふるに足らずと。夫れ神州の士勇に兵鋭きは、風土之をして然らしむと雖も、然れども世に汚隆有り、時に変革有り。戦国の世は、士卒戦に習ひ、進退疾徐、自ら機宜に合ふ。故に旗を搴り将を斬り、其の勇施すことを得べきなり。今士卒兵革を見ざること二百年、一旦事に臨まば、虚実の変、奇正の用、誰か能く素より練りて之に熟習せん。而して怯者は先づ走りて陣を乱し、勇者は徒らに死して勇を傷る。所謂精鋭なる者、未だ恃むべからざるなり。昔蒙古の辺に寇するや、世未だ戦を忘れず。然れども軍容戦法、皆我が未だ見ざる所にして、猛将勇士、素練の技施す所無く、豕突して元を喪ひ、以て敗衄を致す。故に兵の勝敗は主将の方略に在るのみ。今兵法を席上に講ずるも、講ずる所の者も亦概ね甲越の陳迹にして、海外の兵は、目未だ之を睹ず、耳未だ之を聞かず、一旦接戦せば、扞格する所有ること無きを得んや。而るに徒らに往昔の精鋭を恃みて、今日の計を為さざるは、未だ其の可なるを見ざるなり。
現代語訳
世俗の凡庸な者たちはまた、「昔から神州の兵は精鋭で世界一だから、ちっぽけな夷狄など心配するには及ばない」と言う。そもそも神州の士が勇ましく兵が鋭いのは風土がそうさせるのだとしても、世には盛衰があり、時には変革がある。戦国の世には、兵士は戦に慣れ、進むも退くも速いも遅いも、おのずから時宜にかなっていた。だから敵の旗を奪い将を斬って、その勇気を発揮することができたのである。いま兵士は二百年も戦を見ていない。ひとたび事が起これば、虚実の変化や奇正の用い方を、だれが日ごろから訓練して身につけているだろうか。臆病な者はまず逃げて陣を乱し、勇敢な者はむだに死んで勇気をそこなうだろう。いわゆる精鋭は、まだ頼みにならないのである。昔、蒙古が辺境を襲ったときは、世はまだ戦を忘れていなかった。しかし軍の陣立てや戦法はみなわが国の見たことのないもので、猛将や勇士も日ごろ鍛えた技を施すところがなく、猪のように突進して首を失い、敗北を招いた。だから戦の勝敗は総大将の方略にかかっているのである。いま座敷で兵法を講じても、講じているのはおおむね甲州流・越後流(武田・上杉)の古い跡であり、海外の兵については、目で見たこともなく耳で聞いたこともない。ひとたび戦えば、食い違って通用しないことがないといえようか。それなのにむやみに昔の精鋭を頼みにして、今日のための計画を立てないのは、よいこととは思えない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
尚書・周官寵に居りて危うきを思い、畏れざる罔く、畏れざれば畏るるに入る。
-
『正法眼蔵随聞記』巻四示して云はく、愚癡なる人は其の詮なきことを思ひ云ふなり、此につかはるゝ老尼公ありけるが、当時いやしげに在るをはづる顏にて、ともすれば人に向ては、昔しは上臘にてありしよしを語る、たとひ而今の人にさもありと思はれたりとも、なんの用とも覚えぬ、甚だ無用なりとおぼゆるなり、皆人の思はくは此の心あるかと覚ゆるなり、道心の無きほども知られたり、是れらの心を改めて、少し人には似るべきなり、亦有る入道の、極めて無道心なるあり、去り難き知音にてある故に、道心おこらんこと仏神に祈誓せよと云はんと思ふ、定て彼れ腹立して中をたがふことあらん、然あれども道心を発さヾらんには得意にてもたがひに詮なかるべし、
-
尚書・西伯戡黎我が生、命は天に在るに非ずや。
-
徒然草・第167段一道に携はる人、あらぬ道の席に臨みて、「あはれ我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを。」といひ、心にも思へる事、常のことなれど、世にわろく覚ゆるなり。知らぬ道の羨ましく覚えば、「あな羨まし、などか習はざりけむ。」と言ひてありなむ。我が智を取り出でて人に争ふは、角あるものの角をかたぶけ、牙あるものの牙を噛み出す類なり。人としては善にほこらず、物と争はざるを徳とす。他に勝る事のあるは大きなる失なり。品の高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖の誉にても、人にまされりと思へる人は、たとひ詞に出でてこそいはねども、内心に若干の科あり。謹みてこれを忘るべし。をこにも見え、人にもいひけたれ、禍ひをも招くは、たゞこの慢心なり。一道にもまことに長じぬる人は、みづから明らかにその非を知るゆゑに、志常に満たずして、つひに物に誇ることなし。
-
『正法眼蔵随聞記』巻四古人云く、奢て上賢にひとしからんと思ふことなかれ、賤ふして下賤にひとしからんと思ふことなかれと、云こゝろは、共に慢心なり、高ふしても下らんことを忘るゝことなかれ、安ふしても危からんことを忘るゝことなかれ、今日存するとも明日もと思ふことなかれ、死の至てちかくあやふきこと脚下にあり、
-
『十善法語』巻第八・不貪欲戒孟子ニ。葛伯猟ス。童子餉ヲ餽ル。葛伯見テ。童子ヲ殺シテ其餉ヲ奪フ。此ニ由テ湯初テ征スル葛ヨリ始トアル。民家ノ餉ハ。国君ノ口ニ適フベキデハナケレドモ。畢竟シテ戯レト慢心トノ長セルヨリ起タコトシヤ。民庶嬰孩ヲモ侮ラヌガ十善ノ心シヤ。又左伝ニ。斉ノ懿公庸織カ妻ヲ奪フ。是ニ由テ終ニ身ヲ亡シタシヤ。人ノ妻ヲ奪フマシキハ知レタコトナレドモ。臣僕ヲ侮ル故ニ出来ツタコトシヤ。臣僕ノ類ニモ謹ヲ失ハヌカ十善ノ心シヤ。不貪欲戒ハカウシヤ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る