翁問答 / 下卷之本
體充曰、にせの學問をする人に、世間の交りをむづかしがり、閑居を好み或は心氣やみなどの如く、引こもりなどするものあるは、何としたることにて候や。師の曰、それが即ち魔境におち入たるにて候高滿の魔心ふかき故に、本來非もなきせけんを非にみて、親のする事も兄弟のする事も、主君のあてがひも朋友のなす業もみなわけもなき妄作なりと得心するによつて、右を見るも左を見るも、皆おのれが心にかなはぬ事ばかりなる故に、世間の交をいとひ、ひとり居る事を好むと知べし。
新字:体充曰、にせの学問をする人に、世間の交りをむづかしがり、閑居を好み或は心気やみなどの如く、引こもりなどするものあるは、何としたることにて候や。師の曰、それが即ち魔境におち入たるにて候高満の魔心ふかき故に、本来非もなきせけんを非にみて、親のする事も兄弟のする事も、主君のあてがひも朋友のなす業もみなわけもなき妄作なりと得心するによつて、右を見るも左を見るも、皆おのれが心にかなはぬ事ばかりなる故に、世間の交をいとひ、ひとり居る事を好むと知べし。
書き下し
体充曰、にせの学問をする人に、世間の交りをむづかしがり、閑居を好み或は心気やみなどの如く、引こもりなどするものあるは、何としたることにて候や。師の曰、それが即ち魔境におち入たるにて候高満の魔心ふかき故に、本来非もなきせけんを非にみて、親のする事も兄弟のする事も、主君のあてがひも朋友のなす業もみなわけもなき妄作なりと得心するによつて、右を見るも左を見るも、皆おのれが心にかなはぬ事ばかりなる故に、世間の交をいとひ、ひとり居る事を好むと知べし。
現代語訳
體充が言う。「にせの学問をする人の中に、世間の交わりをわずらわしがり、閑居を好み、あるいは気の病のように引きこもったりする者がいるのは、どうしたことか」。師が答える。「それがすなわち魔境に落ち入ったということである。高慢の魔心が深いために、本来は非のない世間を非と見て、親のすることも兄弟のすることも、主君の扱いも朋友のなすことも、みな筋の通らない妄作だと思い込む。だから右を見ても左を見ても、みな自分の心にかなわないことばかりなので、世間の交わりを嫌い、ひとりでいることを好むのだと知るがよい」。
解説
この章句が説くこと
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『翁問答』下卷之本体充曰、魔境へおち入とは、いかやうなるを申候や。師の曰、或は贋の学問にふけり或は学問せざれども暗処に魔を来しぬれば、自満の心根かたくなり枝葉しげりて異風になり、人をば生るむしとも思はず、天下にわれをこすべきものなしと、人もゆるさぬ高満を鼻にあて、親おやかたの愚痴なるをさげしみおかしく思ひ、主君をそしり朋友をあざけりて、孝悌忠信の生道をさまたげ邪魔に相通じ悪魔と作法をあはするを魔境に陥ると云なり、うまれつき利根無欲けなげなる人此やまひ多し。
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『都鄙問答』卷之一・播州ノ人學問ノ事ヲ問ノ段答、学問に因て難義ありとは、如何なる事ぞや。曰、学問をさせ候者ども、十人が七八人も、商売農業を疎略にし、且帯刀を望、我をたかぶり、他の人を見下し、親にも面前の不孝はいたさねども、事によりて、親をも文盲に思やうなる顔色見ゆ。然れども他人の聞悪き様に、反り返答せぬことは、学問の徳かと思へども、親には黙然と、だまり居る者ぞと云やうなる顔つき見へ、又少しにても、学問致たる者なれば、親達も遠慮せらるゝ体に相見へ申候。夫ゆへ手前の忰も、若し左様に成候へば、迷惑に存じ、得登せ申さず候。如何いたし然るべく候や。
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