新論 / 虜情
夫虜之假妖敎以顚滅諸國、其欲呑宇内而盡之、爲日久矣、則其喜怒既已定於數百年之前、而豈以一恩一威之故俄易其素謀哉、而其或出於忿恚者、足使人恇怯不敢拒、恭順者足使人怠惰失守、二者逓出交發、則所謂角之而知有餘不足之處者、亦可以爲彼之術也、窺人者之情、窺於人者固有所不知、故虜善形人、而我喜懼隨變、心悸眼眩、屢爲所誤而不自知、亦何以得知廟堂有深遠之虞也、
新字:夫虜之仮妖教以顛滅諸国、其欲呑宇内而尽之、為日久矣、則其喜怒既已定於数百年之前、而豈以一恩一威之故俄易其素謀哉、而其或出於忿恚者、足使人恇怯不敢拒、恭順者足使人怠惰失守、二者逓出交発、則所謂角之而知有余不足之処者、亦可以為彼之術也、窺人者之情、窺於人者固有所不知、故虜善形人、而我喜懼随変、心悸眼眩、屡為所誤而不自知、亦何以得知廟堂有深遠之虞也、
書き下し
夫れ虜の妖教を仮りて以て諸国を顚滅し、其の宇内を呑みて之を尽くさんと欲すること、日を為すこと久し。則ち其の喜怒既已に数百年の前に定まれり。而るを豈に一恩一威の故を以て俄かに其の素謀を易へんや。而して其の或いは忿恚に出づる者は、人をして恇怯して敢へて拒まざらしむるに足り、恭順なる者は人をして怠惰にして守りを失はしむるに足る。二者逓ひに出で交々発すれば、則ち所謂之に角して有余不足の処を知る者も、亦以て彼の術と為すべきなり。人を窺ふ者の情は、人に窺はるる者固より知らざる所有り。故に虜は善く人を形にして、我は喜懼変に随ひ、心悸ひ眼眩みて、屢々誤らるる所と為りて自ら知らず、亦何を以てか廟堂に深遠の虞有るを知ることを得んや。
現代語訳
そもそも外国人が邪な教えを借りて諸国を滅ぼし、世界を呑みこみ尽くそうとしてきたのは、すでに久しいことである。つまりその喜びや怒りは、数百年前からすでに定まっている。どうして一度の恩や一度の威のために、にわかにかねてからの謀を変えたりしようか。彼らがときに怒ってみせるのは人をおびえさせて拒めなくするためであり、恭順にふるまうのは人を怠らせて守りを失わせるためである。この二つを代わる代わる繰り出せば、いわゆる「これと角突き合わせて、余りある所と足りない所を知る」ことも、彼らの術とすることができる。人をうかがう者の心のうちは、うかがわれる側にはもとよりわからないところがある。だから外国人は巧みにこちらの形をあらわにさせ、わが方は喜んだり恐れたりして変化に振り回され、胸がどきどきし目がくらんで、たびたび惑わされても自分では気づかない。それでどうして幕府に深遠な思慮があることを知ることができようか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 廉頗藺相如列伝李牧は、趙の北辺の良将なり。常に代の鴈門に居り、匈奴に備ふ。便宜を以て吏を置き、市租は皆莫府に輸入して、士卒の費と為す。日に数牛を撃ちて士を饗し、射騎を習はしめ、烽火を謹み、間諜を多くし、厚く戦士を遇す。約を為りて曰く、「匈奴即し入りて盗まば、急ぎ入りて収保せよ。敢へて虜を捕ふる者有らば斬らん」と。匈奴入る毎に、烽火謹み、輒ち入りて収保し、敢へて戦はず。是くの如きこと数歳、また亡失せず。然れども匈奴は李牧を以て怯と為し、趙の辺兵と雖もまた以為へらく吾が将は怯なりと。趙王李牧を譲む、李牧故の如し。趙王怒り、これを召し、他人をして代はりて将たらしむ。歳余、匈奴来たる毎に、出でて戦ふ。出でて戦ひ、数々利あらず、失亡多く、辺は田畜するを得ず。また李牧に請ふ。牧、門を杜ぎて出でず、固く疾と称す。趙王乃ちまた彊ひて起たしめて兵を将ゐしむ。牧曰く、「王必ず臣を用ひば、臣前の如くせん、乃ち敢へて令を奉ぜん」と。王これを許す。李牧至り、故の約の如くす。匈奴数歳得る所無し。終に以て怯と為す。辺士日に賞賜を得れども用ひられず、皆一戦を原(ねが)ふ。是に於いて乃ち選車を具へて千三百乗を得、選騎万三千匹を得、百金の士五万人、彀者十万人、悉く勒して戦ひを習はしむ。大いに畜牧を縦ち、人民野に満つ。匈奴小しく入る、詳りて北げて勝たず、数千人を以てこれに委ぬ。単于これを聞き、大いに衆を率ゐて来たり入る。李牧多く奇陳を為し、左右の翼を張りてこれを撃ち、大いに匈奴十余万騎を破り殺す。襜襤を滅ぼし、東胡を破り、林胡を降す、単于奔走す。その後十余歳、匈奴敢へて趙の辺城に近づかず。
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『甲陽軍鑑』品第十四其謂は今度長篠にて分別違ひ、去年戌の極月備定めの談合を破り、待て勝つ敵に此方より競ひかゝりて、合戦の儀さたの外也、子細は敵の大将强みも分別も四十二歳なれば、年孰れもさかりの信長父子三人、海道一番の家康卅四歳なれば是も分別巳の時也、しかも嫡子の三郎当十七歳なれ共、三十の男より打あがりたる健者にて、結句家康にもひだちをうたんとかゝるじやれ者と、
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論語・先進篇顔淵死す。門人厚く之を葬らんと欲す。子曰く、「不可なり。」門人厚く之を葬る。子曰く、「回や、予を視ること猶お父のごとし。予は視ること猶お子のごとくするを得ざるなり。我に非ざるなり、夫の二三子なり。」
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『政談』刑罰の事其内にも尚罪の疑はしき計りに用ゆれは、罪の決定したるは仮令金ありて金を出して詫ひたく思へ共叶はぬ故過料の方次になり、刑法の方重になる仔細にて上の御慈悲になる也、初より金を出さすると云ふこと殊のほかに下輩なる仕かたにて民の心に服し易きこと也、当時公儀にて此法取行はるれとも下心に尤と存せすと見えて諸大名にては之を執行はす、公儀の御作法を諸大名の真似たも宜しからさることなり、此以後諸大名にても公儀を真似て刑法を執行はゝ御国に至りては必ず不埒出来すへし、其仔細は当時諸大名困究甚しけれは必す非道の過料を取るへし、惣して金銀のことにては人の争ひも怨みも出来るものなり、年貢抔は昔より強くも取ることもあれども、先年伯嗜安芸肥後にては年貢のことにて百姓一揆程のことありしと承はる、質地の捌き御役人のかるはづみに申し出てたることの行れて山形にては事出来せり、右の過料は異国にも日本にも古例なきことなれば、遠国の人は必す心服すまじきことなり、当時世界の奢り甚しきより諸々の悪事生する故、上に倹約を御用ひ遊はさるれは、御役人どもは金を御好み成さるゝと了簡したるやらん、宜からさる事を申し立てゝ取行ふことあるなり、
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『墨子』尚賢下是の故に古の聖王の天下を治むるや、其の富ます所、其の貴くする所は、未だ必ずしも王公大人の骨肉の親、故無くして富貴なる、面目美好なる者ならざるなり。是の故に昔者、舜は歴山に耕し、河瀕に陶し、雷澤に漁し、常陽に灰す。堯、之を服澤の陽に得て、立てて天子と為し、天下の政に接して天下の民を治めしむ。昔、伊尹は莘氏の女の師僕と為り、庖人と為らしめらる。湯、得て之を舉げ、立てて三公と為し、天下の政に接して天下の民を治めしむ。昔者、傅説は北海の洲、圜土の上に居り、褐を衣、索を帯び、傅巖の城に庸築す。武丁、得て之を舉げ、立てて三公と為し、之をして天下の政に接して天下の民を治めしむ。是の故に昔者、堯の舜を舉ぐるや、湯の伊尹を舉ぐるや、武丁の傅説を舉ぐるや、豈に骨肉の親、故無くして富貴なる、面目美好なる者を以て為さんや。唯だ其の言に法り、其の謀を用い、其の道を行い、上は以て天を利す可く、中は以て鬼を利す可く、下は以て人を利す可し。是の故に推して之を上せるなり。
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『新論』虜情夫れ西夷の中国を窺ふ者、前後武を接し、各国逓ひに至る。其の国殊なりと雖も、其の敬事尊奉する所以の者は、則ち同一の胡神なり。故に耶蘇の中原を闚ふこと三百年にして変ぜず。而して中国の之を待つ所以の者は、則ち時論の趨舎に係り、或は雄断に出で、或は姑息に出づ。是れ其の間を闚ふ者は始終一意にして、之に応ずる者は前後論を異にす。一意なる者を以て、異論なる者を闚ふ、安んぞ其の能く久しくして間の乗ずべき無きを保たんや。然らば則ち時論をして一定し乗ずべきの間無からしめんと欲せば、虜情を審らかにするに在るかな、虜情を審らかにするに在るかな。(巻上終)
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