論語 / 先進篇
顏淵死,門人欲厚葬之。子曰:「不可。」門人厚葬之。子曰:「回也,視予猶父也,予不得視猶子也;非我也,夫二三子也。」
新字:顔淵死,門人欲厚葬之。子曰:「不可。」門人厚葬之。子曰:「回也,視予猶父也,予不得視猶子也;非我也,夫二三子也。」
書き下し
顔淵死す。門人厚く之を葬らんと欲す。子曰く、「不可なり。」門人厚く之を葬る。子曰く、「回や、予を視ること猶お父のごとし。予は視ること猶お子のごとくするを得ざるなり。我に非ざるなり、夫の二三子なり。」
現代語訳
顔淵が死んだ。門人たちは手厚く葬ろうとした。先生は「いけない」とおっしゃった。門人たちは手厚く葬った。先生はおっしゃった。「回は私を父のように見てくれた。それなのに私は、彼を子のように扱ってやることができなかった。私のせいではない。あの者たちのせいだ。」
解説
孔子は反対したのに、弟子たちは押し切った。厚葬は顔回の身分に不相応であり、故人の生き方にも反する。孔子の悔いは、自分の子と同じ扱いにできなかったことに向けられている。自分の子の鯉のときは外棺を作らなかった。顔回だけを手厚くすれば、公平が崩れる。それを止められなかったことを、孔子は自分の失敗として語った。最後に弟子たちのせいだと言い添えているが、これは責任転嫁というより、故人に対する釈明である。組織でも同じ形の失敗は起きる。方針を示したのに、現場が善意で押し切ってしまう。悪意ではないので止めにくく、結果として基準が崩れる。示した方針が通らなかったとき、押し切った側ではなく、通せなかった自分の側を先に見る。孔子の悔い方はそうなっている。
この章句が説くこと
厚葬方針善意公平悔い
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