甲陽軍鑑 / 品第十四
其謂は今度長篠にて分別違ひ、去年戌の極月備定めの談合を破り、待て勝つ敵に此方より競ひかゝりて、合戰の儀さたの外也、子細は敵の大將强みも分別も四十二歲なれば、年孰れもさかりの信長父子三人、海道一番の家康卅四歳なれば是も分別巳の時也、しかも嫡子の三郎當十七歲なれ共、三十の男より打あがりたる健者にて、結句家康にもひだちをうたんとかゝるじやれ者と、
新字:其謂は今度長篠にて分別違ひ、去年戌の極月備定めの談合を破り、待て勝つ敵に此方より競ひかゝりて、合戦の儀さたの外也、子細は敵の大将強みも分別も四十二歳なれば、年孰れもさかりの信長父子三人、海道一番の家康卅四歳なれば是も分別巳の時也、しかも嫡子の三郎当十七歳なれ共、三十の男より打あがりたる健者にて、結句家康にもひだちをうたんとかゝるじやれ者と、
書き下し
其謂は今度長篠にて分別違ひ、去年戌の極月備定めの談合を破り、待て勝つ敵に此方より競ひかゝりて、合戦の儀さたの外也、子細は敵の大将强みも分別も四十二歳なれば、年孰れもさかりの信長父子三人、海道一番の家康卅四歳なれば是も分別巳の時也、しかも嫡子の三郎当十七歳なれ共、三十の男より打あがりたる健者にて、結句家康にもひだちをうたんとかゝるじやれ者と、
現代語訳
そのわけは、今度長篠で分別を違え、去年戌の年の十二月の備え定めの談合を破り、待って勝つ敵にこちらから競いかかって合戦したのは、論外である。そのわけは、敵の大将は強みも分別も四十二歳であれば、年もいずれも盛りの信長父子三人、海道一番の家康は三十四歳であればこれも分別の盛りである。しかも嫡子の三郎は今年十七歳であるが、三十の男よりまさった健か者で、かえって家康にも張り合おうとかかるやんちゃ者である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・先進篇顔淵死す。門人厚く之を葬らんと欲す。子曰く、「不可なり。」門人厚く之を葬る。子曰く、「回や、予を視ること猶お父のごとし。予は視ること猶お子のごとくするを得ざるなり。我に非ざるなり、夫の二三子なり。」
-
史記 廉頗藺相如列伝李牧は、趙の北辺の良将なり。常に代の鴈門に居り、匈奴に備ふ。便宜を以て吏を置き、市租は皆莫府に輸入して、士卒の費と為す。日に数牛を撃ちて士を饗し、射騎を習はしめ、烽火を謹み、間諜を多くし、厚く戦士を遇す。約を為りて曰く、「匈奴即し入りて盗まば、急ぎ入りて収保せよ。敢へて虜を捕ふる者有らば斬らん」と。匈奴入る毎に、烽火謹み、輒ち入りて収保し、敢へて戦はず。是くの如きこと数歳、また亡失せず。然れども匈奴は李牧を以て怯と為し、趙の辺兵と雖もまた以為へらく吾が将は怯なりと。趙王李牧を譲む、李牧故の如し。趙王怒り、これを召し、他人をして代はりて将たらしむ。歳余、匈奴来たる毎に、出でて戦ふ。出でて戦ひ、数々利あらず、失亡多く、辺は田畜するを得ず。また李牧に請ふ。牧、門を杜ぎて出でず、固く疾と称す。趙王乃ちまた彊ひて起たしめて兵を将ゐしむ。牧曰く、「王必ず臣を用ひば、臣前の如くせん、乃ち敢へて令を奉ぜん」と。王これを許す。李牧至り、故の約の如くす。匈奴数歳得る所無し。終に以て怯と為す。辺士日に賞賜を得れども用ひられず、皆一戦を原(ねが)ふ。是に於いて乃ち選車を具へて千三百乗を得、選騎万三千匹を得、百金の士五万人、彀者十万人、悉く勒して戦ひを習はしむ。大いに畜牧を縦ち、人民野に満つ。匈奴小しく入る、詳りて北げて勝たず、数千人を以てこれに委ぬ。単于これを聞き、大いに衆を率ゐて来たり入る。李牧多く奇陳を為し、左右の翼を張りてこれを撃ち、大いに匈奴十余万騎を破り殺す。襜襤を滅ぼし、東胡を破り、林胡を降す、単于奔走す。その後十余歳、匈奴敢へて趙の辺城に近づかず。
-
『墨子』尚賢下是の故に古の聖王の天下を治むるや、其の富ます所、其の貴くする所は、未だ必ずしも王公大人の骨肉の親、故無くして富貴なる、面目美好なる者ならざるなり。是の故に昔者、舜は歴山に耕し、河瀕に陶し、雷澤に漁し、常陽に灰す。堯、之を服澤の陽に得て、立てて天子と為し、天下の政に接して天下の民を治めしむ。昔、伊尹は莘氏の女の師僕と為り、庖人と為らしめらる。湯、得て之を舉げ、立てて三公と為し、天下の政に接して天下の民を治めしむ。昔者、傅説は北海の洲、圜土の上に居り、褐を衣、索を帯び、傅巖の城に庸築す。武丁、得て之を舉げ、立てて三公と為し、之をして天下の政に接して天下の民を治めしむ。是の故に昔者、堯の舜を舉ぐるや、湯の伊尹を舉ぐるや、武丁の傅説を舉ぐるや、豈に骨肉の親、故無くして富貴なる、面目美好なる者を以て為さんや。唯だ其の言に法り、其の謀を用い、其の道を行い、上は以て天を利す可く、中は以て鬼を利す可く、下は以て人を利す可し。是の故に推して之を上せるなり。
-
『塩鉄論』憂邊篇文學曰く、夫れ民を安んじ國を富ますの道は、本に反るに在り、本立ちて道生ず。天の理に順い、地の利に因れば、即ち勞せずして功成る。夫れ其の源を修めずして其の流れを事とし、本以て之を統ぶる無ければ、精神を竭くし、思慮を盡くすと雖も、治に益無し。之を安んぜんと欲して適だ以て之を危うくするに足り、之を救わんと欲して適だ以て之を敗るに足る。夫れ治亂の端は、本末に在るのみ、其の心を勞するに至らずして道得べきなり。孔子曰く、『論に通ぜざる者は治を言い難し、道同じからざる者は、相い與に謀らず』と。今公卿の意に倚る所有り、故に文學の言は、用うべからざるなり。
-
孫子・地形篇卒を視ること嬰児の如し、故に之と深谿に赴くべし。卒を視ること愛子の如し、故に之と俱に死すべし。厚くして使う能わず、愛して令する能わず、乱れて治むる能わざれば、譬えば驕子の若く、用うべからざるなり。
-
『正法眼蔵随聞記』巻一亦云く、大衆不対の時、我れ南泉ならば、大衆既に道不得と云て、便ち猫児を放下してまじ、古人の云く、大用現前して軌則を存せずと、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る