新論 / 虜情
夫西夷並立爲戰國、同奉一神、見利則相連和、以濟其欲、分其利、害則各保疆場、固是其常、故西方有難、則東方無事、難平則各略地四方、東方於是乎不得寧、如鄂羅、亦既平西荒、乃東收止百里、潛入黑龍江、而滿淸尚強、未能得志、轉而略蝦夷地、欲先取其易取者然後爭其難者、是秦司馬錯取蜀之策也、
新字:夫西夷並立為戦国、同奉一神、見利則相連和、以済其欲、分其利、害則各保疆場、固是其常、故西方有難、則東方無事、難平則各略地四方、東方於是乎不得寧、如鄂羅、亦既平西荒、乃東収止百里、潜入黒竜江、而満清尚強、未能得志、転而略蝦夷地、欲先取其易取者然後争其難者、是秦司馬錯取蜀之策也、
書き下し
夫れ西夷並び立ちて戦国と為り、同じく一神を奉じ、利を見れば則ち相連和して、以て其の欲を済し、其の利を分かち、害あれば則ち各々疆場を保つ、固より是れ其の常なり。故に西方に難有れば、則ち東方事無く、難平らげば則ち各々地を四方に略し、東方是に於いてか寧きを得ず。鄂羅の如きも、亦既に西荒を平らげ、乃ち東のかた止百里を収め、潜かに黒龍江に入る。而して満清尚強く、未だ志を得ること能はず、転じて蝦夷の地を略し、先づ其の取り易き者を取りて然る後に其の難き者を争はんと欲す。是れ秦の司馬錯の蜀を取るの策なり。
現代語訳
そもそも西洋人は並び立って戦国となっているが、同じ一つの神を奉じており、利益があると見れば手を結んで欲望を遂げ、その利益を分け合い、害があればそれぞれ自分の国境を守る。これがもとより彼らの常である。だから西方で騒乱があれば東方は無事であり、騒乱が収まればそれぞれ四方に領土を奪いに出るので、東方はそこで安らかでいられなくなる。ロシアもまた、すでに西の辺境を平らげると、東へシベリア(止百里)を収め、ひそかに黒龍江(アムール川)に入った。しかし清はなお強く、思いを遂げることができなかったので、方向を転じて蝦夷の地を攻め取り、まず取りやすいものを取り、そのあとで難しいものを争おうとしている。これは秦の司馬錯が蜀を取った策である。
解説
この章句が説くこと
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『新論』長計後中国多故に属して、遠人至らず、廟堂遠大の略無く、土疆日に蹙まりて、神聖の天下を経営する所以の意熄む。近世の若きに至りては、則ち夷狄強梁にして、亦大勢に見る有り、素定の略を挟みて、以て其の呑噬を逞しくすること三百余年、傲然として敢へて糠を神州に舐め、神聖の夷狄を御する所以の略を倒用して、反つて以て中国を謀らんと欲す。而して中国未だ一定の策を画せず、朝野の論、一是一非、因循苟且にして、以て姑息の慮を為すを免れず。赫赫たる神明の邦を以てして、坐して腥羶の異類をして我が辺陲に陸梁せしむ、亦羞づべからずや。夫れ億兆に君師たる、其の気世を蓋ふに足り、胸臆四海を容るるに足り、従容として天下の事に処して余り有る者は、人を制する者なり。見る所目前の利害に過ぎざる者は、事多く思慮の外に出で、天下を胸中に運らすこと能はず、人に制せらるる者なり。海外の事、目の未だ嘗て見ざる所、故に黠虜以て吾が思慮の未だ及ばざる所を以て之を侮弄するを得。亦怪しむに足らざるなり。
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『韓非子』初見秦第一且つ臣之を聞く、曰く、「株を削りて根を遺す無く、禍と隣する無ければ、禍乃ち存せず」と。
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論語・子罕篇子、匡に畏る。曰く、「文王既に没するも、文茲に在らずや。天の将に斯の文を喪ぼさんとするや、後死の者、斯の文に与かるを得ざるなり。天の未だ斯の文を喪ぼさざるや、匡人其れ予を如何せん。」
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風憲忠告・臨難苐九夫れ人臣にして國家言責の任に當れば、刑辱の事、敢えてその無き有るを必とせず、要は順って處り靜かに伺い、理を以てこれを□するに在るのみ。若し乃ち哀を求め憐れみを乞い、惴讋(ずいしょう)して所無ければ、巳に先ず撓(たわ)む、何を以てか自ら眀(あき)らかにせん。夫れ已の職を盡くし、國の爲民の爲にして罪を得るは、君子は以て辱と為さず、以て榮と為す。縲紲(るいせつ)せらると雖も、荊楚せらると雖も、斧鉞せらると雖も、庸(なん)ぞ愧(は)ずること何かあらんや。歷(あまね)く自古(いにしえよ)り禍患に處して亂れざる者を觀るに、三代よりの下、子路の纓(えい)を結ぶが如き、宜僚(ぎりょう)の色を正すが如き、王景文の客と碁を弈(う)つが如き、劉禕(りゅうい)の自ら謝表を書すが如き、魏元忠の赦を聞きて動ぜざるが如き、是れ皆真に義命の在る所を知る有るを以てなり、區區(くく)たる人力の得て移す所に非ざるなり。然れども士君子平昔(へいせき)飬う所、其の情と偽と、焉(ここ)に於いて以て見るべし。李斯刑に臨みて父子相泣き、楊子雲(揚子雲)收(とら)えられて□閣ほとんど死せんとし、王坦之謝安と名を齊しくするも、桓溫朝に來たるや倒(さかしま)に手板を執り、崔浩自ら子房に比するも、史事を辨ずるが為に聲嘶(か)れ股栗(こりつ)し、便溺(べんでき)隱すこと能わず。此れ彼れ惟だ名を事とするのみにして、聖賢性命の學に於いては實に未だ甞て諸(これ)を心に淂(え)ざりしを見るべし。善いかな、韓文公の言に曰く、「儒者の患難に於けるや、苟しくも其れ自らこれを取るに非ざれば、其の拒みて懷に受けざるや、河堤を築きて以て屋霤(おくりゅう)を障(ふせ)ぐが若し。其の容れてこれを消すや、水の海に於ける、氷の夏日に於けるが若し。其の玩びてこれを文辭を以て忘るるや、金石を奏でて以て蟋蟀(しっしゅつ)の鳴くを破るが若し」と。故に君子の學は、理を眀らかにし自ら信ずるを以て貴しと為す。
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論語・子張篇子張曰く、士は危うきを見ては命を致し、得るを見ては義を思い、祭には敬を思い、喪には哀を思う。其れ可なるのみ。
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