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新論 / 虜情

至豐臣氏、駈胡僧及愚民汚夷敎者、盡出諸海外、 東照宮興、設禁殊嚴、故雖有伊斯把諳厄利諸蕃相踵至、而卒不能以夷敎入、〈 東照宮嘗遣西宗眞者於西洋、三年而還、 臺德公亦遣揖斐某至西洋、七年而還、皆所以探偵虜情、蓋由此而得審識異言云、所以痛禁絶之也、 大猷公亦嘗遣譯官往天竺、視精舍、疑亦有深意也、〉寛永初、下令鑄胡神像、使愚民悔過歸正者足踏之、外夷亦自度不得脱、望長崎股栗、淸人或欲毀胡神堂、亦引之以爲言、〈西湖志臺灣志等所載、大約如此、〉國家之興隆天亦保佑之、故時有島原賊起、而聚天下邪徒於一城、一掃殲之、餘燼不得再燃、實由此也、

新字:至豊臣氏、駈胡僧及愚民汚夷教者、尽出諸海外、 東照宮興、設禁殊厳、故雖有伊斯把諳厄利諸蕃相踵至、而卒不能以夷教入、〈 東照宮嘗遣西宗真者於西洋、三年而還、 台徳公亦遣揖斐某至西洋、七年而還、皆所以探偵虜情、蓋由此而得審識異言云、所以痛禁絶之也、 大猷公亦嘗遣訳官往天竺、視精舎、疑亦有深意也、〉寛永初、下令鋳胡神像、使愚民悔過帰正者足踏之、外夷亦自度不得脱、望長崎股栗、清人或欲毀胡神堂、亦引之以為言、〈西湖志台湾志等所載、大約如此、〉国家之興隆天亦保佑之、故時有島原賊起、而聚天下邪徒於一城、一掃殲之、余燼不得再燃、実由此也、

書き下し

豊臣氏に至りて、胡僧及び愚民の夷教に汚るる者を駆りて、尽く諸を海外に出だす。東照宮興りて、禁を設くること殊に厳なり。故に伊斯把・諳厄利諸蕃の相踵いで至る有りと雖も、卒に夷教を以て入ること能はず(東照宮嘗て西宗真なる者を西洋に遣はし、三年にして還る。台徳公も亦揖斐某を遣はして西洋に至らしめ、七年にして還る。皆虜情を探偵する所以にして、蓋し此に由りて審らかに異言を識ると云ふ。痛く之を禁絶する所以なり。大猷公も亦嘗て訳官を遣はして天竺に往き、精舎を視しむ。疑ふらくは亦深意有らん)。寛永の初め、令を下して胡神の像を鋳、愚民の過ちを悔いて正に帰する者をして足もて之を踏ましむ。外夷も亦自ら脱するを得ざるを度り、長崎を望みて股栗す。清人の或いは胡神の堂を毀たんと欲するも、亦之を引きて以て言を為す(西湖志・台湾志等の載する所、大約此くの如し)。国家の興隆には天も亦之を保佑す。故に時に島原の賊起こりて、天下の邪徒を一城に聚め、一掃して之を殲す。余燼再び燃ゆることを得ざるは、実に此に由るなり。

現代語訳

豊臣氏の時代になると、宣教師と、異国の教えに染まった愚かな民を追い立てて、ことごとく海外に出した。東照宮(徳川家康)が興ると、禁令をとりわけ厳しくした。そのためスペイン・イギリスなどの国々が相次いでやって来ても、ついに異国の教えを持ちこむことはできなかった(東照宮はかつて西宗真という者を西洋に遣わし、三年で帰ってきた。台徳公(秀忠)もまた揖斐某を西洋に遣わし、七年で帰ってきた。いずれも西洋の事情を探るためで、これによってその異様な教えを詳しく知ったという。それが厳しく禁じた理由である。大猷公(家光)もまた通訳を天竺(インド)に遣わして寺院を見させた。これにもおそらく深い意図があったのだろう)。寛永の初め、命令を下して異国の神の像を鋳造させ、過ちを悔いて正しい道に帰る愚かな民にそれを足で踏ませた(踏絵)。西洋人もまた自分たちは逃れられないと考え、長崎を望んでは震えおののいた。清の人がキリスト教の堂を壊そうとしたときにも、この例を引き合いに出して論じた(『西湖志』『台湾志』などに載っているところは、おおよそこのとおりである)。国家が興隆するときには天もこれを守り助ける。だからそのころ島原の乱が起こり、天下の邪な信徒を一つの城に集めて一掃し、滅ぼし尽くした。燃え残りが二度と燃え上がらなかったのは、実にこのためである。

解説

正志斎は、豊臣秀吉による宣教師の追放から、徳川家康以後の禁教、寛永期の踏絵、島原の乱の鎮圧までを、国を守った成功の歴史として描く。割注には家康や秀忠が西洋に人を遣わして事情を探らせたという伝えを記すが、人物の特定などには確証のない部分もある。島原の乱を「天の保佑」とみる評価は、多くの犠牲者を出した事件に対する正志斎の立場からの見方であり、今日そのまま受け取ることはできない。ただ、相手を知るために情報を集め、そのうえで方針を定めて一貫させたことを重んじる点は、危機管理の要点として読みうる。

この章句が説くこと

虜情禁教情報危機防衛島原

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