言志四録 / 言志晩録 第百十八条 崎人の話
余往年遊於崎。聞崎人之話。曰。漢土有不逞之徒。多出奔於滿州。自滿再投於蕃舶。故蕃舶中往往有漢人。爲之耳目。可憎之甚。今漢滿一家。關門不嚴。不可奈何。此話非可徒聞。
新字:余往年遊於崎。聞崎人之話。曰。漢土有不逞之徒。多出奔於満州。自満再投於蕃舶。故蕃舶中往往有漢人。為之耳目。可憎之甚。今漢満一家。関門不厳。不可奈何。此話非可徒聞。
書き下し
余往年崎に遊び、崎人の話を聞く。曰く、「漢土に不逞の徒有り、多く満州に出奔し、満より再び蕃舶に投ず。故に蕃舶の中往往漢人有りて、之が耳目と為る。憎むべきの甚しきなり。今漢満一家にして、関門厳ならず。奈何ともすべからず」と。此の話徒に聞くべきに非ず。
現代語訳
私は以前長崎に遊んだとき、長崎の人の話を聞いた。その人が言うには、「中国には不逞の輩がいて、その多くが満州に逃げ、満州からさらに西洋の船に身を投じる。そのため西洋の船の中にはしばしば漢人がいて、彼らの耳目(情報提供者・案内役)となっている。まことに憎むべきことである。今は漢と満州が一つの国となっていて、関所の取り締まりが厳しくない。どうすることもできない」ということであった。この話は聞き流してよいものではない。
解説
かつて長崎を訪れた折に聞いた話を書き留めた条です。清国の不逞の者が満州へ逃れ、そこから西洋の船に乗り込み、その耳目、つまり案内役や情報源になっている。清は漢と満が一つの国となり関門が緩いため防ぎようがない、という内容です。長崎は当時、海外の情報が入る唯一の窓口でした。一斎はこの話を「徒に聞くべきに非ず」と結び、西洋が現地の事情に通じた人を通じて情報を得ていることの意味を重く見ています。海防を論じる一連の条の中で、軍備だけでなく情報という面に目を向けているのが特徴です。外部の相手がどこから自分たちの情報を得ているのか、情報の流れに注意を払う大切さを示す一条です。
この章句が説くこと
情報海防長崎警戒見聞
関連する章句
-
『墨子』尚同下子墨子言いて曰く、「知者の事は、必ず國家百姓の治まる所以の者を計りて之を為し、必ず國家百姓の亂るる所以の者を計りて之を辟く。然らば國家百姓の治まる所以の者を計るに何ぞや。上の政を為すや、下の情を得れば則ち治まり、下の情を得ざれば則ち亂る。何を以て其の然るを知るや。上の政を為すや、下の情を得れば、則ち是れ民の善非に明らかなり。茍くも民の善非に明らかなるが若くんば、則ち善人を得て之を賞し、暴人を得て之を罰するなり。善人賞せられて暴人罰せらるれば、則ち國必ず治まる。上の政を為すや、下の情を得ざれば、則ち是れ民の善非に明らかならず。若し茍くも民の善非に明らかならずんば、則ち是れ善人を得て之を賞せず、暴人を得て之を罰せず。善人賞せられずして暴人罰せられず、政を為すこと此くの若くんば、國衆必ず亂る。故に賞は下の情を得ざれば、而ち察せざる可からざる者なり」と。
-
『墨子』尚同中故に古者、聖王は唯だ壹に尚同を以て正長と為す。是れ上下、請謁して通を為す。上に隠事遺利有れば、下、得て之を利し、下に蓄怨積害有れば、上、得て之を除く。是を以て數千萬里の外に善を為す者有れば、其の室人未だ徧く知らず、鄉里未だ徧く聞かざるに、天子、得て之を賞す。數千萬里の外に不善を為す者有れば、其の室人未だ徧く知らず、郷里未だ徧く聞かざるに、天子、得て之を罰す。是を以て天下の人を舉げて皆な恐懼振動惕慄して、敢えて淫暴を為さず、曰く、「天子の視聴や神なり」と。先王の言に曰く、「神に非ざるなり。夫れ唯だ能く人の耳目をして己が視聴を助けしめ、人の吻をして己が言談を助けしめ、人の心をして己が思慮を助けしめ、人の股肱をして己が動作を助けしむればなり」と。之を視聴するを助くる者衆ければ、則ち其の聞見する所の者は逺し。之を言談するを助くる者衆ければ、則ち其の徳音の撫循する所の者は博し。之を思慮するを助くる者衆ければ、則ち其の謀慮は速やかに得らる。之を動作するを助くる者衆ければ、則ち其の事を舉ぐること速やかに成る。
-
孫子・九地篇能く士卒の耳目を愚にして、之をして知ること無からしむ。其の事を易え、其の謀を革めて、人をして識ること無からしむ。其の居を易え、其の途を迂にして、人をして慮ることを得ざらしむ。
-
孫子・用間篇相守ること数年、以て一日の勝を争う。而るに爵禄百金を愛しみて、敵の情を知らざる者は、不仁の至りなり。人の将に非ざるなり、主の佐に非ざるなり、勝の主に非ざるなり。
-
孫子・用間篇先知は、鬼神に取るべからず、事に象るべからず、度に験すべからず、必ず人に取り、敵の情を知る者なり。
-
『墨子』尚同下是の故に古の聖王の天下を治むるや、千里の外に賢人有り、其の鄉里の人、皆な未だ之を均しく聞き見ざるに、聖王、得て之を賞す。千里の外に暴人有り、其の鄉里、未だ之を均しく見ざるに、聖王、得て之を罰す。故に唯だ聖王を以て耳聡く目明らかなりと為す毋からんや。豈に能く一たび視て千里の外を通見せんや、一たび聴きて千里の外を通聞せんや。聖王は往きて視るにあらざるなり、就きて聴くにあらざるなり。然れども天下の冦亂盜賊を為す者をして、天下を周流するも足を重ぬる所無からしむるは、何ぞや。其の尚同を以て政を為すこと善ければなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る