新論 / 形勢
夫方今擧宇内列爲七雄、而與周末所謂七雄者、小大雖異、其勢亦有絶相似者焉、鄂羅度爾土廣兵強、接壤爭雄者、秦楚之勢也、滿淸富強在東方者齊也、莫臥兒及百兒亞在其中間者韓魏也、熱馬則雖以名位爲諸蕃所尊奉、其實則與佛郎察伊斯把諳厄利諸國相伯仲、大者韓魏、小者宋衛中山耳、〈熱馬自西洋諸蕃視之、則有似東周之勢者、然自宇内大觀之、則非有宗周之尊、故云爾〉而 神州在滿淸東、猶燕之蔽於齊趙、然今四邊皆賊衝、則亦不能如燕之獨不受兵、而有如周之在韓魏之郊者也、且如佛郎察伊斯把諳厄利諸國、其所奉法皆與鄂羅同、〈或云、諳厄利所奉、與伊斯把等異、然皆同宗別派、非有大異、而至其假法敎以逞呑併則一矣、〉則其動與相合、必然之勢也、
新字:夫方今挙宇内列為七雄、而与周末所謂七雄者、小大雖異、其勢亦有絶相似者焉、鄂羅度爾土広兵強、接壤争雄者、秦楚之勢也、満清富強在東方者斉也、莫臥児及百児亜在其中間者韓魏也、熱馬則雖以名位為諸蕃所尊奉、其実則与仏郎察伊斯把諳厄利諸国相伯仲、大者韓魏、小者宋衛中山耳、〈熱馬自西洋諸蕃視之、則有似東周之勢者、然自宇内大観之、則非有宗周之尊、故云爾〉而 神州在満清東、猶燕之蔽於斉趙、然今四辺皆賊衝、則亦不能如燕之独不受兵、而有如周之在韓魏之郊者也、且如仏郎察伊斯把諳厄利諸国、其所奉法皆与鄂羅同、〈或云、諳厄利所奉、与伊斯把等異、然皆同宗別派、非有大異、而至其仮法教以逞呑併則一矣、〉則其動与相合、必然之勢也、
書き下し
夫れ方今宇内を挙げて列して七雄と為る。而して周末の所謂七雄なる者と、小大異なりと雖も、其の勢亦絶だ相似たる者有り。鄂羅・度爾の土広く兵強く、壌を接して雄を争ふ者は、秦楚の勢なり。満清の富強にして東方に在る者は斉なり。莫臥児及び百児亜の其の中間に在る者は韓魏なり。熱馬は則ち名位を以て諸蕃の尊奉する所と為ると雖も、其の実は則ち仏郎察・伊斯把・諳厄利諸国と相伯仲す。大なる者は韓魏、小なる者は宋・衛・中山のみ(熱馬は西洋諸蕃より之を視れば、則ち東周の勢に似たる者有り。然れども宇内より大いに之を観れば、則ち宗周の尊有るに非ず、故に爾云ふ)。而して神州は満清の東に在り、猶燕の斉趙に蔽はるるがごとし。然れども今四辺皆賊衝なれば、則ち亦燕の独り兵を受けざるが如くなること能はずして、周の韓魏の郊に在るが如き者有るなり。且つ仏郎察・伊斯把・諳厄利諸国の如きは、其の奉ずる所の法皆鄂羅と同じ(或いは云ふ、諳厄利の奉ずる所は伊斯把等と異なると。然れども皆同宗の別派にして、大いに異なる有るに非ず。而して其の法教を仮りて以て呑併を逞しうするに至りては則ち一なり)。則ち其の動きて相合ふは、必然の勢なり。
現代語訳
いま世界全体が並んで七雄となっているが、周の末のいわゆる七雄と比べると、大小の違いはあっても、その形勢にはきわめてよく似たところがある。ロシアとトルコは領土が広く兵が強く、国境を接して覇を争っている点で、秦と楚の形勢である。清は富強で東方にある点で斉である。ムガルとペルシアはその中間にある点で韓・魏である。ドイツは名目上の地位によって諸国に尊ばれてはいるが、実際にはフランス・スペイン・イギリスなどの国々と同程度で、大きいものは韓・魏、小さいものは宋・衛・中山にあたるにすぎない(ドイツは西洋諸国から見れば東周のような立場に似ているが、世界全体から大きく見れば宗周(周王室)のような尊さはないので、このように言う)。そして神州は清の東にあって、燕が斉・趙にさえぎられて守られていたのに似ている。しかし今は四方がみな敵の攻め口なので、燕のように一国だけ戦火を受けずにすむことはできず、むしろ周が韓・魏の郊外に置かれていたような立場にある。しかもフランス・スペイン・イギリスなどの国々は、奉じる教えがみなロシアと同じである(イギリスの奉じる教えはスペインなどと異なるという説もある。しかしみな同じ宗旨の別派であって大きな違いはなく、教えを借りて併呑をほしいままにする点では一つである)。だから彼らが動けば手を結ぶのは、必然の勢いである。
解説
この章句が説くこと
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史記 楚世家対へて曰く、「小臣の好んで鶀鴈・羅鸗を射るは、小矢の発なり。何ぞ大王の為に道ふに足らん。且つ楚の大を称し、大王の賢に因らば、弋する所は直だ此のみに非ざるなり。昔者三王は弋を以て道徳し、五覇は弋を以て戦国す。故に秦・魏・燕・趙は、鶀鴈なり。斉・魯・韓・衛は、青首なり。騶・費・郯・邳は、羅鸗なり。外の其の余は則ち射るに足らざる者なり。鳥の六双を見る。王を以て何をか取らん。王何ぞ聖人を以て弓と為し、勇士を以て繳と為し、時に張りて之を射ざる。此の六双の者は、得て囊載すべきなり。其の楽しみは特だ朝昔の楽しみのみに非ず。其の獲は特だ鳧鴈の実のみに非ざるなり。王朝に弓を張りて魏の大梁の南を射、其の右臂に加へて径ちに之を韓に属せば、則ち中国の路絶えて上蔡の郡壊れん。還りて圉の東を射、魏の左肘を解きて外に定陶を撃たば、則ち魏の東外棄てられて大宋・方与の二郡挙がらん。且つ魏二臂を断たば、顛越せん。膺に郯国を撃たば、大梁得て有つべきなり。王繳を蘭台に綪(まと)ひ、馬に西河に飲ましめ、魏の大梁を定む。此れ一発の楽しみなり。若し王の弋に於けるや誠に好みて厭かずんば、則ち宝弓を出だし、新繳を碆(はさ)み、噣鳥を東海に射、還りて長城を蓋ひて以て防と為し、朝に東莒を射、夕に浿丘を発し、夜即墨に加へ、顧みて午道に拠らば、則ち長城の東収まりて太山の北挙がらん。西のかた境を趙に結びて北のかた燕に達し、三国鶴を布かば、則ち従は約を待たずして成るべきなり。北のかた目を燕の遼東に遊ばしめて南のかた登りて越の会稽を望む。此れ再発の楽しみなり。若し夫れ泗上の十二諸侯は、左に縈ひ右に払ひて、一旦にして尽くすべきなり。
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史記 田敬仲完世家諸侯之を聞き、敢へて兵を斉に致すもの莫きこと二十余年。騶忌子琴を鼓するを以て威王に見ゆ。威王説びて之を右室に舎らしむ。須臾にして、王琴を鼓す。騶忌子戸を推して入りて曰く、「善いかな琴を鼓すること」と。王勃然として説ばず、琴を去りて剣を按じて曰く、「夫子容を見て未だ察せず。何を以てか其の善きを知る」と。騶忌子曰く、「夫れ大絃の濁りて以て春のごとく温かなるは、君なり。小絃の廉折にして以て清きは、相なり。之を攫むこと深く、之を醳つこと愉なるは、政令なり。鈞諧して以て鳴り、大小相益し、回邪して相害せざるは、四時なり。吾是を以て其の善きを知る」と。王曰く、「善く音を語る」と。騶忌子曰く、「何ぞ独り音を語るのみならん。夫れ国家を治めて人民を弭むること皆其の中に在り」と。王又勃然として説ばずして曰く、「夫の五音の紀を語るが若きは、信に未だ夫子の如き者有らざるなり。夫の国家を治めて人民を弭むるが若きは、又何為れぞ糸桐の閒に乎てせん」と。騶忌子曰く、「夫れ大絃の濁りて以て春のごとく温かなるは、君なり。小絃の廉折にして以て清きは、相なり。之を攫むこと深くして之を捨つること愉なるは、政令なり。鈞諧して以て鳴り、大小相益し、回邪して相害せざるは、四時なり。夫れ復して乱れざる者は、治昌なる所以なり。連なりて径なる者は、亡を存する所以なり。故に曰く琴音調ひて天下治まると。夫れ国家を治めて人民を弭むる者は、五音に若くは無し」と。王曰く、「善し」と。騶忌子見えて三月にして相印を受く。淳于髡之に見えて曰く、「善く説くかな。髡に愚志有り、願はくは諸を前に陳べん」と。騶忌子曰く、「謹んで教へを受けん」と。淳于髡曰く、「全きを得れば全く昌え、全きを失へば全く亡ぶ」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで前を離るる毋からん」と。淳于髡曰く、「狶膏棘軸は、滑らかと為す所以なり。然れども方穿を運らすこと能はず」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで左右に事へん」と。
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戦国策・謂公叔曰乘舟公叔に謂いて曰く、「舟に乘るに、舟漏れて塞がざれば、則ち舟沈まん。漏舟を塞ぎて、陽侯の波を輕んずれば、則ち舟覆らん。今公自ら薛公に辯ずるを以て秦を輕んずるは、是れ漏舟を塞ぎて陽侯の波を輕んずるなり、願わくは公之を察せよ。」
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説苑・善說客梁王に謂いて曰く、「惠子の事を言うや譬を善くす。王をして譬うる無からしめば、則ち言うこと能わじ。」王曰く、「諾。」明日見えて惠子に謂いて曰く、「願わくは先生の事を言うは則ち直言せよ、譬うる無かれ。」惠子曰く、「今此こに人有りて彈を知らざるに、『彈の狀は何の若きか』と曰わば、應えて『彈の狀は彈の如し』と曰わば、諭らんか。」王曰く、「未だ諭らざるなり。」「是に於て更に應えて『彈の狀は弓の如くにして竹を以て弦と爲す』と曰わば、則ち知らんか。」王曰く、「知るべし。」惠子曰く、「夫れ說く者は固より其の知る所を以て、其の知らざる所を諭し、人をして之を知らしむ。今王『譬うる無かれ』と曰わば、則ち不可なり。」王曰く、「善し。」
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人物志・九徵猶ほ火日の外を照らして、內を見る能はず、金水の內に映じて、外に光る能はざるがごとし。
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史記 田敬仲完世家淳于髡曰く、「弓膠昔干は、合を為す所以なり。然れども疎罅を傅合すること能はず」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで自ら万民に附かん」と。淳于髡曰く、「狐裘は敝ると雖も、補ふに黄狗の皮を以てすべからず」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで君子を択び、小人を其の閒に雑ふる毋からん」と。淳于髡曰く、「大車も較せずんば、其の常任を載すること能はず。琴瑟も較せずんば、其の五音を成すこと能はず」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで法律を修めて姦吏を督さん」と。淳于髡説き畢はり、趨りて出で、門に至りて、其の仆に面して曰く、「是の人は、吾之に微言五を語る。其の我に応ずること響の声に応ずるが若し。是の人必ず封ぜらるること久しからざらん」と。朞に居りて、封ずるに下邳を以てし、号して成侯と曰ふ。威王二十三年、趙王と平陸に会す。二十四年、魏王と郊に会して田す。
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