新論 / 形勢
夫古者夷狄爲邊患者、熊襲也、隼人也、蝦夷蝦狄也、及其馴服、而海外脩貢者三韓也、肅愼渤海諸國也、其爲寇賊者女眞蒙古、〈女眞既破契丹、將侵宋、寛仁中寇筑紫、世稱爲刀伊賊、後二百餘年、蒙古強盛、稱雄西北、將併宋、亦寇筑紫、是其爲寇害者、皆在彼圖南之時也、〉而阻狂瀾怒濤、卒不能爲深患、當是之時、神州四面皆海、號爲天險、今西夷駕巨艦大舶、電奔數萬里、駛如風飈、視大洋爲坦路、數萬里之外、直爲隣境、四面皆海、則無所不備、向者所謂天險者、乃今之所謂賊衝也、而保疆安邊者、豈得執疇昔之跡以論今日之勢哉、
新字:夫古者夷狄為辺患者、熊襲也、隼人也、蝦夷蝦狄也、及其馴服、而海外脩貢者三韓也、粛慎渤海諸国也、其為寇賊者女真蒙古、〈女真既破契丹、将侵宋、寛仁中寇筑紫、世称為刀伊賊、後二百余年、蒙古強盛、称雄西北、将併宋、亦寇筑紫、是其為寇害者、皆在彼図南之時也、〉而阻狂瀾怒濤、卒不能為深患、当是之時、神州四面皆海、号為天険、今西夷駕巨艦大舶、電奔数万里、駛如風飈、視大洋為坦路、数万里之外、直為隣境、四面皆海、則無所不備、向者所謂天険者、乃今之所謂賊衝也、而保疆安辺者、豈得執疇昔之跡以論今日之勢哉、
書き下し
夫れ古夷狄の辺患を為す者は、熊襲なり、隼人なり、蝦夷・蝦狄なり。其の馴服するに及びて、海外より貢を脩むる者は三韓なり、粛慎・渤海の諸国なり。其の寇賊を為す者は女真・蒙古なり(女真既に契丹を破り、将に宋を侵さんとして、寛仁中に筑紫に寇す。世称して刀伊の賊と為す。後二百余年、蒙古強盛にして、雄を西北に称し、将に宋を併せんとして、亦筑紫に寇す。是れ其の寇害を為す者、皆彼の南を図るの時に在るなり)。而して狂瀾怒濤に阻まれ、卒に深患を為すこと能はず。是の時に当たりて、神州四面皆海、号して天険と為す。今西夷巨艦大舶に駕し、数万里を電奔し、駛きこと風飈の如く、大洋を視ること坦路と為す。数万里の外も、直ちに隣境と為る。四面皆海なれば、則ち備へざる所無し。向者の所謂天険なる者は、乃ち今の所謂賊衝なり。而して疆を保ち辺を安んずる者、豈に疇昔の跡を執りて以て今日の勢を論ずることを得んや。
現代語訳
昔、辺境の患いとなった異民族は熊襲・隼人・蝦夷であった。それらが服従してからは、海外から貢ぎ物をおさめたのは三韓(朝鮮半島の国々)や粛慎・渤海の諸国であった。攻め寄せて害をなしたのは女真と蒙古である(女真は契丹を破って宋を侵そうとしたころ、寛仁年間に筑紫を襲った。世に刀伊の入寇という。その二百余年後、蒙古が強大となって西北に覇を唱え、宋を併合しようとしたころ、やはり筑紫を襲った。つまり彼らが害をなしたのは、みな南へ勢力を広げようとしていた時期なのである)。しかし荒波に阻まれて、ついに深い患いとはならなかった。その時代には、神州は四方が海であることから天然の要害とされた。いま西洋人は巨大な船に乗り、数万里を稲妻のように走り、その速さは疾風のようで、大洋を平らな道のように見ている。数万里の彼方も、たちまち隣の国境となる。四方が海であるということは、どこもかしこも備えなければならないということである。かつて天然の要害といわれたものは、いまや敵の攻め口となった。国境を守り辺境を安んじる者が、どうして昔のやり方にこだわって今日の情勢を論じてよいものか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
風憲忠告・臨難苐九夫れ人臣にして國家言責の任に當れば、刑辱の事、敢えてその無き有るを必とせず、要は順って處り靜かに伺い、理を以てこれを□するに在るのみ。若し乃ち哀を求め憐れみを乞い、惴讋(ずいしょう)して所無ければ、巳に先ず撓(たわ)む、何を以てか自ら眀(あき)らかにせん。夫れ已の職を盡くし、國の爲民の爲にして罪を得るは、君子は以て辱と為さず、以て榮と為す。縲紲(るいせつ)せらると雖も、荊楚せらると雖も、斧鉞せらると雖も、庸(なん)ぞ愧(は)ずること何かあらんや。歷(あまね)く自古(いにしえよ)り禍患に處して亂れざる者を觀るに、三代よりの下、子路の纓(えい)を結ぶが如き、宜僚(ぎりょう)の色を正すが如き、王景文の客と碁を弈(う)つが如き、劉禕(りゅうい)の自ら謝表を書すが如き、魏元忠の赦を聞きて動ぜざるが如き、是れ皆真に義命の在る所を知る有るを以てなり、區區(くく)たる人力の得て移す所に非ざるなり。然れども士君子平昔(へいせき)飬う所、其の情と偽と、焉(ここ)に於いて以て見るべし。李斯刑に臨みて父子相泣き、楊子雲(揚子雲)收(とら)えられて□閣ほとんど死せんとし、王坦之謝安と名を齊しくするも、桓溫朝に來たるや倒(さかしま)に手板を執り、崔浩自ら子房に比するも、史事を辨ずるが為に聲嘶(か)れ股栗(こりつ)し、便溺(べんでき)隱すこと能わず。此れ彼れ惟だ名を事とするのみにして、聖賢性命の學に於いては實に未だ甞て諸(これ)を心に淂(え)ざりしを見るべし。善いかな、韓文公の言に曰く、「儒者の患難に於けるや、苟しくも其れ自らこれを取るに非ざれば、其の拒みて懷に受けざるや、河堤を築きて以て屋霤(おくりゅう)を障(ふせ)ぐが若し。其の容れてこれを消すや、水の海に於ける、氷の夏日に於けるが若し。其の玩びてこれを文辭を以て忘るるや、金石を奏でて以て蟋蟀(しっしゅつ)の鳴くを破るが若し」と。故に君子の學は、理を眀らかにし自ら信ずるを以て貴しと為す。
-
『墨子』七患子墨子曰く、國に七患有り。七患なる者は何ぞ。城郭溝池、守る可からずして、宫室を治む、一の患なり。邊寇、境に至るも、四鄰救う莫し、二の患なり。先ず民力を無用の功に盡くし、無能の人に賞賜し、民力、無用に盡き、財寳、侍客に虚し、三の患なり。仕うる者は祿を待ち、游ぶ者は反るを思い、君は法を脩めて臣を討ち、臣は懾れて敢えて拂らわず、四の患なり。君、自ら以て聖智と為して事を問わず、自ら以て安彊と為して守備無く、四鄰、之を謀るも戒を知らず、五の患なり。言う所は忠ならず、忠とする所は信ならず、六の患なり。畜え種うる菽粟、以て之を食らわすに足らず、大臣、事を治むるに足らず、賞賜は喜ばしむる能わず、誅罰は威らしむる能わず、七の患なり。七患を以て國に居らば、必ず社稷無からん。七患を以て城を守らば、敵至りて國傾かん。七患の當たる所、國に必ず殃有り。
-
論語・子張篇子張曰く、士は危うきを見ては命を致し、得るを見ては義を思い、祭には敬を思い、喪には哀を思う。其れ可なるのみ。
-
葉隠・聞書第一大難大変(だいなんたいへん)に逢うても動転せぬといふは、まだしきなり。大変に逢うては歓喜踊躍(かんきゆやく)して勇み進むべきなり。一関(いっかん)越えたる所なり。「水増されば船高し。」といふが如し。
-
論語・子罕篇子、匡に畏る。曰く、「文王既に没するも、文茲に在らずや。天の将に斯の文を喪ぼさんとするや、後死の者、斯の文に与かるを得ざるなり。天の未だ斯の文を喪ぼさざるや、匡人其れ予を如何せん。」
-
『墨子』兼愛下然らば即ち敢えて問う。今、嵗に癘疫有り、萬民、多く勤苦凍餒有りて、溝壑の中に轉死する者、既已に衆し。識らず、將に之の二君を擇ばんとするに、將に何にか從わんとするや。我れ以て其の此に於けるに當たりては、天下に愚夫愚婦無く、兼君を非とすと雖も、必ず兼君に從うを是と為さん。言いて兼を非とし、擇びては即ち此れ言行の拂うなり。識らず、天下の皆な兼を聞きて之を非とする所以の者は、其の故、何ぞや。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る