新論 / 形勢
變動不居天地之常道也、而萬國之在兩間、形勢之變、豈有窮乎哉、夫地之在大洋、其大者二、一則 中國及海西諸國南海諸島是也、〈其地東起 京師以東二十五度地、西至 京師以西七十五度地、或稱曰亞細亞亞弗利加歐羅巴者、西夷所私呼、而非宇内之公名、且非 天朝所命之名、故今不言、〉一則海東諸國是也、〈西起 京師以東五十度之地、東至九十五度之地、或稱曰南亞墨利加北亞墨利加者、亦西夷之所名也、〉而其中各分區域、自相保聚者、即所謂萬國也、
新字:変動不居天地之常道也、而万国之在両間、形勢之変、豈有窮乎哉、夫地之在大洋、其大者二、一則 中国及海西諸国南海諸島是也、〈其地東起 京師以東二十五度地、西至 京師以西七十五度地、或称曰亜細亜亜弗利加欧羅巴者、西夷所私呼、而非宇内之公名、且非 天朝所命之名、故今不言、〉一則海東諸国是也、〈西起 京師以東五十度之地、東至九十五度之地、或称曰南亜墨利加北亜墨利加者、亦西夷之所名也、〉而其中各分区域、自相保聚者、即所謂万国也、
書き下し
変動して居らざるは天地の常道なり。而して万国の両間に在る、形勢の変、豈に窮まり有らんや。夫れ地の大洋に在る、其の大なる者二つ。一は則ち中国及び海西の諸国・南海の諸島是なり(其の地、東は京師以東二十五度の地より起こり、西は京師以西七十五度の地に至る。或いは称して亜細亜・亜弗利加・欧羅巴と曰ふ者は、西夷の私に呼ぶ所にして、宇内の公名に非ず、且つ天朝の命ずる所の名に非ず、故に今言はず)。一は則ち海東の諸国是なり(西は京師以東五十度の地より起こり、東は九十五度の地に至る。或いは称して南亜墨利加・北亜墨利加と曰ふ者も、亦西夷の名づくる所なり)。而して其の中各々区域を分かち、自ら相保ち聚まる者、即ち所謂万国なり。
現代語訳
移り変わってとどまらないのが天地の常の道である。万国が天地の間にあって、その形勢の変化にどうして終わりがあろうか。そもそも大洋の中にある陸地のうち、大きなものは二つある。一つはわが国(中国)と海の西の諸国、南海の諸島である(その地は東は京都の東二十五度から、西は京都の西七十五度に及ぶ。これをアジア・アフリカ・ヨーロッパと呼ぶのは西洋人が勝手に呼ぶ名で、世界共通の名ではなく、また朝廷が定めた名でもないので、ここでは用いない)。もう一つは海の東の諸国である(西は京都の東五十度から、東は九十五度に及ぶ。南アメリカ・北アメリカと呼ぶのも、やはり西洋人が名づけたものである)。その中でそれぞれ区域を分け、みずから寄り集まって保っているものが、いわゆる万国である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之五古人以為へらく、地は東南に満たず、と。且つ謂ふ、先天の位、艮は山と為りて西北に居る。故に西北に山多し。兌は沢と為りて東南に居る。故に東南に水多し、と。又曰く、百川皆東海に朝宗す、と。皆是れ中夏の地勢を以て之を言ふ。天下を通論するに非ざるなり。夫れ中夏は崑崙の東に在り。故に地勢西北高くして、東南卑下なり。百川東海に流れ入る。只嶺南の諸州のみ、其の水南海に入る者有り。外国の四方に散在する者は、其の地勢各同じからず。先儒の中夏の地勢を以て天下の通論と為す者は、何ぞや。
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『慎思録』巻之二禹の九州を別つは、高山大川の限る所に因りて、之が区別を為すのみ。古昔本邦の諸州を別つ者も、大率ね暗に此の法に合ふ。山川に循ひて限りと為す。故に山を隔て川を踰ゆれば、其の州を異にし、則ち民俗同じからず、言語も亦た殊なり。分州の迹、昭晰として見るべし。然れども其の間亦た尽くは然らざる者有り。蓋し平壌相連接して、区別を為し叵く、其の界限分明ならざる者多し。疑ふらくは是れ初めて州を分つ者、郡県の広狭に拘りて、山川を以て限りと為すこと能はざるか。
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孫子・始計篇地とは、高下・遠近・険易・広狭・死生なり。
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『茶の本』第三章 道教と禅道・揚子江と黄河まず第一に記憶すべきは、道教はその正統の継承者禅道と同じく、南方シナ精神の個人的傾向を表わしていて、儒教という姿で現われている北方シナの社会的思想とは対比的に相違があるということである。中国はその広漠たることヨーロッパに比すべく、これを貫流する二大水系によって分かたれた固有の特質を備えている。揚子江と黄河はそれぞれ地中海とバルト海である。幾世紀の統一を経た今日でも、南方シナはその思想、信仰が北方の同胞と異なること、ラテン民族がチュートン民族とこれを異にすると同様である。古代交通が今日よりもなおいっそう困難であった時代、特に封建時代においては、思想上のこの差異はことに著しいものであった。一方の美術、詩歌の表わす気分は他方のものと全く異なったものである。老子とその徒および揚子江畔自然詩人の先駆者屈原の思想は、同時代北方作家の無趣味な道徳思想とは全く相容れない一種の理想主義である。老子は西暦紀元前四世紀の人である。
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