福沢諭吉小品集 / 旧藩情・第18段
地理書を見れば、中津の外に日本あり、日本の外に西洋諸国あるを知るべし。なお進て、天文地質の論を聞けば、大空の茫々、日月星辰の運転に定則あるを知るべし。地皮の層々、幾千万年の天工に成りて、その物質の位置に順序の紊れざるを知るべし。歴史を読めば、中津藩もまたただ徳川時代三百藩の一のみ。徳川はただ日本一島の政権を執りし者のみ。日本の外には亜細亜諸国、西洋諸洲の歴史もほとんど無数にして、その間には古今英雄豪傑の事跡を見るべし。歴山王、ナポレオンの功業を察し、ニウトン、ワット、アダム・スミスの学識を想像すれば、海外に豊太閤なきに非ず、物徂徠も誠に東海の一小先生のみ。わずかに地理歴史の初歩を読むも、その心事はすでに旧套を脱却して高尚ならざるを得ず。いわんや彼の西洋諸大家の理論書を窺い、有形の物理より無形の人事に至るまで、逐一これを比較分解して、事々物々の原因と結果とを探索するにおいてをや。読てその奥に至れば、心事恍爾としてほとんど天外に在るの思をなすべし。この一段に至て、かえりみて世上の事相を観れば、政府も人事の一小区のみ、戦争も群児の戯に異ならず、中津旧藩のごとき、何ぞこれを歯牙に止るに足らん。
書き下し
地理書を見れば、中津の外に日本あり、日本の外に西洋諸国あるを知るべし。なお進て、天文地質の論を聞けば、大空の茫々、日月星辰の運転に定則あるを知るべし。地皮の層々、幾千万年の天工に成りて、その物質の位置に順序の紊れざるを知るべし。歴史を読めば、中津藩もまたただ徳川時代三百藩の一のみ。徳川はただ日本一島の政権を執りし者のみ。日本の外には亜細亜諸国、西洋諸洲の歴史もほとんど無数にして、その間には古今英雄豪傑の事跡を見るべし。歴山王、ナポレオンの功業を察し、ニウトン、ワット、アダム・スミスの学識を想像すれば、海外に豊太閤なきに非ず、物徂徠も誠に東海の一小先生のみ。わずかに地理歴史の初歩を読むも、その心事はすでに旧套を脱却して高尚ならざるを得ず。いわんや彼の西洋諸大家の理論書を窺い、有形の物理より無形の人事に至るまで、逐一これを比較分解して、事々物々の原因と結果とを探索するにおいてをや。読てその奥に至れば、心事恍爾としてほとんど天外に在るの思をなすべし。この一段に至て、かえりみて世上の事相を観れば、政府も人事の一小区のみ、戦争も群児の戯に異ならず、中津旧藩のごとき、何ぞこれを歯牙に止るに足らん。
現代語訳
地理の本を見れば、中津の外に日本があり、日本の外に西洋の諸国があることが分かるでしょう。さらに進んで天文や地質の論を聞けば、大空は果てしなく、太陽や月や星の運行に定まった法則があることが分かります。地表の層が幾千万年もの自然の営みによってできあがり、その物質の位置に順序の乱れがないことも分かります。歴史を読めば、中津藩もまた徳川時代三百藩の一つにすぎず、徳川はただ日本という一つの島の政権を握った者にすぎません。日本の外には、アジア諸国や西洋諸州の歴史もほとんど無数にあり、その間に古今の英雄豪傑の事跡を見ることができます。アレクサンダー大王やナポレオンの功業を考え、ニュートンやワット、アダム・スミスの学識を想像すれば、海外に豊臣秀吉のような人物がいないわけではなく、荻生徂徠も本当に東の海の小さな先生にすぎません。わずかに地理や歴史の初歩を読むだけでも、その心の持ちようは古い型を脱して、高尚にならざるをえません。まして西洋の諸大家の理論書をのぞき、形のある物理から形のない人事に至るまで、一つ一つ比較し分解して、物事の原因と結果を探索するならなおさらです。読んでその奥に至れば、心はうっとりとして、ほとんど天の外にいるような思いがするでしょう。この段階に至って振り返り、世の中の様子を見ると、政府も人事の小さな一区画にすぎず、戦争も子供たちの戯れと変わりません。中津の旧藩のごときは、取り上げるにも足りません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之五古人以為へらく、地は東南に満たず、と。且つ謂ふ、先天の位、艮は山と為りて西北に居る。故に西北に山多し。兌は沢と為りて東南に居る。故に東南に水多し、と。又曰く、百川皆東海に朝宗す、と。皆是れ中夏の地勢を以て之を言ふ。天下を通論するに非ざるなり。夫れ中夏は崑崙の東に在り。故に地勢西北高くして、東南卑下なり。百川東海に流れ入る。只嶺南の諸州のみ、其の水南海に入る者有り。外国の四方に散在する者は、其の地勢各同じからず。先儒の中夏の地勢を以て天下の通論と為す者は、何ぞや。
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孫子・始計篇地とは、高下・遠近・険易・広狭・死生なり。
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孫子・行軍篇故に兵は益々多きを貴ぶに非ざるなり。惟だ武進する無く、以て力を併せ、敵を料り、人を取るに足るのみ。夫れ惟だ慮り無くして敵を易る者は、必ず人に擒らわる。
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孫子・地形篇我出でて不利、彼出でて不利なるを、支と曰う。支形は、敵我を利すと雖も、我出づる無きなり。引きて之を去り、敵をして半ば出でしめて之を撃てば、利あり。
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『慎思録』巻之二禹の九州を別つは、高山大川の限る所に因りて、之が区別を為すのみ。古昔本邦の諸州を別つ者も、大率ね暗に此の法に合ふ。山川に循ひて限りと為す。故に山を隔て川を踰ゆれば、其の州を異にし、則ち民俗同じからず、言語も亦た殊なり。分州の迹、昭晰として見るべし。然れども其の間亦た尽くは然らざる者有り。蓋し平壌相連接して、区別を為し叵く、其の界限分明ならざる者多し。疑ふらくは是れ初めて州を分つ者、郡県の広狭に拘りて、山川を以て限りと為すこと能はざるか。
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『茶の本』第三章 道教と禅道・揚子江と黄河まず第一に記憶すべきは、道教はその正統の継承者禅道と同じく、南方シナ精神の個人的傾向を表わしていて、儒教という姿で現われている北方シナの社会的思想とは対比的に相違があるということである。中国はその広漠たることヨーロッパに比すべく、これを貫流する二大水系によって分かたれた固有の特質を備えている。揚子江と黄河はそれぞれ地中海とバルト海である。幾世紀の統一を経た今日でも、南方シナはその思想、信仰が北方の同胞と異なること、ラテン民族がチュートン民族とこれを異にすると同様である。古代交通が今日よりもなおいっそう困難であった時代、特に封建時代においては、思想上のこの差異はことに著しいものであった。一方の美術、詩歌の表わす気分は他方のものと全く異なったものである。老子とその徒および揚子江畔自然詩人の先駆者屈原の思想は、同時代北方作家の無趣味な道徳思想とは全く相容れない一種の理想主義である。老子は西暦紀元前四世紀の人である。
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