新論 / 形勢
古者人文未開、夷蠻戎狄、若禽獸之相群、未足以論其沿革也、 中國舊建國造縣主、各守土疆、中變爲郡縣、又變而英雄割據、沿而又成封建之勢矣、而如虞夏商周之爲國、亦嘗封建諸侯、秦漢以後爲郡縣之制、世代相襲、小有沿革、虞夏商周治統於一、如春秋、則交相爲盟主、戰國則七雄交相攻伐、爾後變革不一、具見史書、
新字:古者人文未開、夷蠻戎狄、若禽獣之相群、未足以論其沿革也、 中国旧建国造県主、各守土疆、中変為郡県、又変而英雄割拠、沿而又成封建之勢矣、而如虞夏商周之為国、亦嘗封建諸侯、秦漢以後為郡県之制、世代相襲、小有沿革、虞夏商周治統於一、如春秋、則交相為盟主、戦国則七雄交相攻伐、爾後変革不一、具見史書、
書き下し
古は人文未だ開けず、夷蛮戎狄、禽獣の相群がるが若く、未だ以て其の沿革を論ずるに足らず。中国は旧国造・県主を建て、各々土疆を守り、中ごろ変じて郡県と為り、又変じて英雄割拠し、沿ひて又封建の勢を成せり。而して虞夏商周の国為る如きも、亦嘗て諸侯を封建し、秦漢以後は郡県の制を為し、世代相襲ひ、小しく沿革有り。虞夏商周は治一に統べ、春秋の如きは則ち交々相盟主と為り、戦国は則ち七雄交々相攻伐し、爾後変革一ならず、具に史書に見ゆ。
現代語訳
昔はまだ文明が開けず、周囲の異民族は鳥獣が群れているようなもので、その移り変わりを論じるほどのものではなかった。わが国(中国)は古くは国造・県主を置いてそれぞれが領地を守っていたが、中ごろ変わって郡県の制(律令制)となり、さらに変わって英雄が割拠し、それが続いてまた封建の形となった。中国大陸の虞・夏・殷・周の国々も、かつては諸侯を封建し、秦・漢以後は郡県の制をとり、代々受け継がれて少しずつ変化した。虞・夏・殷・周は統治が一つにまとまっていたが、春秋時代には諸侯がかわるがわる盟主となり、戦国時代には七雄がかわるがわる攻め合い、その後も変革はさまざまで、詳しくは歴史書に見える。
解説
この章句が説くこと
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『新論』形勢夫れ方今宇内を挙げて列して七雄と為る。而して周末の所謂七雄なる者と、小大異なりと雖も、其の勢亦絶だ相似たる者有り。鄂羅・度爾の土広く兵強く、壌を接して雄を争ふ者は、秦楚の勢なり。満清の富強にして東方に在る者は斉なり。莫臥児及び百児亜の其の中間に在る者は韓魏なり。熱馬は則ち名位を以て諸蕃の尊奉する所と為ると雖も、其の実は則ち仏郎察・伊斯把・諳厄利諸国と相伯仲す。大なる者は韓魏、小なる者は宋・衛・中山のみ(熱馬は西洋諸蕃より之を視れば、則ち東周の勢に似たる者有り。然れども宇内より大いに之を観れば、則ち宗周の尊有るに非ず、故に爾云ふ)。而して神州は満清の東に在り、猶燕の斉趙に蔽はるるがごとし。然れども今四辺皆賊衝なれば、則ち亦燕の独り兵を受けざるが如くなること能はずして、周の韓魏の郊に在るが如き者有るなり。且つ仏郎察・伊斯把・諳厄利諸国の如きは、其の奉ずる所の法皆鄂羅と同じ(或いは云ふ、諳厄利の奉ずる所は伊斯把等と異なると。然れども皆同宗の別派にして、大いに異なる有るに非ず。而して其の法教を仮りて以て呑併を逞しうするに至りては則ち一なり)。則ち其の動きて相合ふは、必然の勢なり。
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『新論』形勢而して古其の戎狄と称する所の者は、禽のごとく挙がり獣のごとく走り、時に寇害を為すに過ぎず。而るに玁狁の禍は虞夏の無き所、匈奴の若きは商周の未だ有らざる所、吐蕃・回紇は則ち秦漢未だ之有らず、契丹・女真・蒙古は則ち隋唐未だ有らず。而して西洋諸蕃の海を絶つこと万里にして相併呑するが如きに至りては、則ち亦宋元の未だ嘗て有らざる所なり。人文漸く開くれば、則ち夷狄も亦漸く条教を設け規制を立つることを知る。其の高城深池は古の究廬に非ず、鉅砲大艦は古の騎射に非ず、回回・邏馬の教法は古の威駆利誘して麕至鳥散する者に非ず。各々一方に雄拠し、合従連衡して、宇内を挙げて一教に帰せしめんと欲す、復た水草を逐ひて転移するの類に非ざるなり。
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『新論』形勢故に古は一区の中に就きて分かれて戦国と為り、今は則ち各区並び立ちて、交々戦国と為る。是を以て中国及び満清を除くの外、自ら至尊と号称する者、莫臥児と曰ひ、百児西と曰ひ、度爾格と曰ひ、熱馬と曰ひ、鄂羅と曰ふ。是れ宇内を挙げて列して七雄と為る、雄を一区に分かつの比に非ざるなり(蘭学家の説に、以上の七国、西夷皆称して帝国と為す。而して其の他、亜毘心域・馬邏古・暹羅及び瓜哇の瑪荅郎等の如きも、亦帝国と称す。然れども亜毘心域は特に其の地域の広大なるを以てし、馬羅古は特に回子の正系なるを以て自ら雄とす。然れども一は則ち黒人愚陋の俗、一は則ち衰乱削弱、而して暹羅は則ち其の国富むと雖も兵力劣弱、瑪荅郎は則ち諸蕃の要会なりと雖も国最も弱小、皆以て雄を争ふに足らず、故に論ぜざるなり。蘭学家の前の数国の王を謂ひて帝と為すは、即ち西夷の称する所の奚瑟爾なる者にして、原邏馬の先祖の名に出づ。蘭学家の訳して帝と為す者は、特に漢字を仮りて以て尊卑の等を分かつのみ。其の実は則ち我が所謂帝の義に非ず、故に今帝国等の字を用ひざるなり)。
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『新論』國體上何をか時勢の変と謂ふ。昔者、天祖肇めて天業を基し、蒼生を愛養し、天邑君を定めて、以て之を綏撫し、勇武を選びて以て下土を経略せしめ、而して民天朝を奉戴するを知る。然れども天造草昧にして、四方未だ平らかなるに底らず、土豪邑傑、所在に割拠し、数世を歴て未だ相統一せず。大祖神武天皇既に天下を定め、国造を封建し、人神を司牧せしめ、旧族世家、悉く之を維ぐに名位を以てし、而して土地人民悉く朝廷に帰し、天下大いに治まる。(孟子曰く、「諸侯の宝三つ、土地・人民・政事」と。周官、天官首めに六典を掌りて邦国を治むる者は、政事に於て統べざる所無きなり。地官首めに土地の図・人民の数を掌る者は、土地人民統べざる所無きなり。二官四時の官を経紀して、春秋二官の掌る所は、多く典礼政刑の事なり。夏官の軍を制する者は、人民を用ゐるなり。冬官の土を司空る者は、土地を治むるなり。孟子の土地人民を以て政事と並び称する者は、其の旨甚だ深し。而して古者土地人民を重んずる、其の意亦見るべし。)
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『新論』形勢変動して居らざるは天地の常道なり。而して万国の両間に在る、形勢の変、豈に窮まり有らんや。夫れ地の大洋に在る、其の大なる者二つ。一は則ち中国及び海西の諸国・南海の諸島是なり(其の地、東は京師以東二十五度の地より起こり、西は京師以西七十五度の地に至る。或いは称して亜細亜・亜弗利加・欧羅巴と曰ふ者は、西夷の私に呼ぶ所にして、宇内の公名に非ず、且つ天朝の命ずる所の名に非ず、故に今言はず)。一は則ち海東の諸国是なり(西は京師以東五十度の地より起こり、東は九十五度の地に至る。或いは称して南亜墨利加・北亜墨利加と曰ふ者も、亦西夷の名づくる所なり)。而して其の中各々区域を分かち、自ら相保ち聚まる者、即ち所謂万国なり。
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『新論』國體中然れども事の時を逐ひて変革するは、天下の常勢なり。兵制の如きは、其の変一ならず。古者来目・物部の兵を用ゐて、参ふるに民兵を以てし、国造・県主も亦各兵有りて、以て民社を保つ。国家制を立つるの初め、大約之の如し。而して一変して軍団と為り、再変して募兵と為る。是に於てか兵は皆世業にして、号して弓馬の家と為し、兵農の分、始めて此に起こる。天下戦国と為るに及び、英雄割拠し、遂に封建の勢を成し、兵制も亦随ひて変ず。此れ其の大略なり。兵制屡々変ずるも、如し其の大勢を論ぜば、則ち亦其の変ずる者三あり。
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