新論 / 國體下
而天下所糶、歳減二百五十萬石、且邦君及大夫士、亦各有所儲蓄、則欲穀之不貴可得乎、穀貴則民不多鬻、而其用可給、鬻之益寡、則都會之地、不至甚狼戻、天下適患穀之不多耳、輸穀愈寡、而天下之穀愈多者、盈虚之勢乃然也、天下之穀愈多、而人不困者、散而藏之民間也、故欲藏穀者、海内自有其所、何必棄之海外、而後見天下之不困乎、今欲使民藏之、其措置之方、制度之宜、固不一而足、苟能知穀之宜藏海内、然後擧而行之、措置制度之所以適事機者、可得而施也、穀有所藏而民不困、則民有恒心、民有恒心、然後可以使之畏天命、盡地力因天地之富而同受 天祖之賜也、
新字:而天下所糶、歳減二百五十万石、且邦君及大夫士、亦各有所儲蓄、則欲穀之不貴可得乎、穀貴則民不多鬻、而其用可給、鬻之益寡、則都会之地、不至甚狼戻、天下適患穀之不多耳、輸穀愈寡、而天下之穀愈多者、盈虚之勢乃然也、天下之穀愈多、而人不困者、散而蔵之民間也、故欲蔵穀者、海内自有其所、何必棄之海外、而後見天下之不困乎、今欲使民蔵之、其措置之方、制度之宜、固不一而足、苟能知穀之宜蔵海内、然後挙而行之、措置制度之所以適事機者、可得而施也、穀有所蔵而民不困、則民有恒心、民有恒心、然後可以使之畏天命、尽地力因天地之富而同受 天祖之賜也、
書き下し
而して天下の糶る所、歳ごとに二百五十万石を減じ、且つ邦君及び大夫士も、亦各々儲蓄する所有らば、則ち穀の貴からざらんことを欲すとも得べけんや。穀貴ければ則ち民多く鬻がずして、其の用給るべし。之を鬻ぐこと益々寡ければ、則ち都会の地、甚だ狼戻するに至らず。天下適に穀の多からざるを患ふるのみ。穀を輸すこと愈々寡くして、天下の穀愈々多き者は、盈虚の勢乃ち然るなり。天下の穀愈々多くして、人困しまざる者は、散じて之を民間に蔵すればなり。故に穀を蔵せんと欲する者、海内自ら其の所有り、何ぞ必ずしも之を海外に棄てて、而る後に天下の困しまざるを見んや。今、民をして之を蔵せしめんと欲せば、其の措置の方、制度の宜、固より一にして足らず。苟も能く穀の宜しく海内に蔵すべきを知り、然る後に挙げて之を行はば、措置制度の事機に適ふ所以の者、得て施すべきなり。穀蔵する所有りて民困しまざれば、則ち民恒心有り。民恒心有りて、然る後に以て之をして天命を畏れ、地力を尽くし、天地の富に因りて同じく天祖の賜を受けしむべきなり。
現代語訳
そうなれば天下で売りに出される米は毎年二百五十万石減り、さらに大名や家臣たちもそれぞれ蓄えをもてば、米の値を安くしようとしても安くはならない。米の値が上がれば民はあまり売らず、自分の必要はまかなえる。売る量がいっそう減れば、都市に米があふれて投げ売りされることもなくなる。天下はむしろ米が多くないことを心配するようになるだけである。市場に運ぶ米が少なくなるほど天下の米がかえって多くなるのは、満ち欠けの勢いがそうさせるのである。天下の米が多くなっても人が困らないのは、それが民間に分散して蓄えられているからである。だから米を蓄えたいなら、国内にもともとその場所がある。どうして海外に捨てなければ天下が困らないなどということがあろうか。いま民に米を蓄えさせようとすれば、その手立てや制度のあり方は一つではない。もし米は国内に蓄えるべきだということがわかったうえで実行に移せば、時機にかなった手立てや制度は施すことができる。米が蓄えられていて民が困らなければ、民には変わらぬ心(恒心)が生まれる。民に恒心があってこそ、天命を畏れ、地の力を尽くし、天地の富によってともに天祖の賜物を受けさせることができるのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『新論』國體下夫れ海内の穀は、宜しく海内に蔵すべくして、当に之を海外に棄つべからざるは、理の知り易き者なり。今、五畿七道、其の田無慮二千五百万石、上農下農を通じて、大約田を受くること家ごとに十石なれば、則ち農たる者二百五十万家なり。一家、見今蔵する所の外に糧を儲へ、更に一石の米を蔵せば、米二百五十万石と為る。今、大坂の終歳糴糶する所、大率二百万石に過ぎず(天明の初め、大坂の商賈其の糴糶する所の数を記す。宝暦癸未より安永庚子に至るまで、載する所の糴糶の数、大約二百万石以内なり。而して其の見に大坂に在るもの、寡き者は三四十万石、多き者も亦百万石に過ぎず。然れども商賈の事、未だ其の詳を知らず、之を商賈に問ひて可なり)。其の他の都会の地も、亦推して知るべきなり。
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『新論』國體下夫れ天下の米穀未だ嘗て多からざるなり。而して甚だ多きが如き者は、其の勢之をして然らしむるのみ。凡そ物散じて之を各所に蔵すれば、其の数多しと雖も、未だ其の甚だ多きを見ること有らず。聚めて之を一所に陳ぬれば、寡しと雖も亦猶多きがごとし。是れ自然の勢なり。故に一石の米を家に蔵するは、未だ以て多しと為すに足らざるも、万家にして之を鬻ぎ、万石を市に陳ぬれば、未だ嘗て視て以て夥しと為さずんばあらず。而して武士都城に聚処し、終歳の俸を尽くして、以て口腹に奉じ婦女を悦ばしめ、甲兵を繕ひ徒卒を養ふを得ず。故に米穀家に蔵せず、挙げて之を市に鬻ぐ。農民困乏して奢惰なるも、亦歳収を挙げて之を鬻ぐ。鬻ぐ所愈々多ければ、則ち米価愈々賤し。賤しければ則ち其の鬻ぐこと多からざるを得ず。之を鬻ぐこと愈々多くして、直を得ること旧に益さず。是を以て民流亡して地余り有り。地余り有りて租賦減ぜず。其の税其の鬻、一家の産を傾くと雖も、猶且つ足らず。故に之を鬻ぐこと日に多くして、天下の穀日に耗る。天下の穀日に耗りて、都会の穀日に盈つ。都会の盈つるを見れば、則ち天下の虚知るべきなり。
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『新論』守禦常平の倉・平準の署の如き、其の斟酌して以て今に行ふべき者有らば、以て其の制を講ぜざるべからざるなり。軽重其の権を得、米価其の平を得、姦商猾賈をして利柄を専操すること無く、販夫販婦をして独り其の業を失ふこと無からしめ、善く利を導きて之を上下に布かば、則ち邦君以て士民に及ぶまで、其の穀多く蔵すべくして、経費も亦以て給すべし。士民倶に富めば、則ち商賈も亦随ひて其の利を受け、糶糴制有りて、上下倶に便なり。利を導く所以の者周ければなり。官府及び民間の取予貿易する所、多く米穀を用ゐて、金帛と相参ふれば、則ち米穀人間に流通して、一方に腐陳せざるなり。義社の倉に本づき、因りて以て陳を取り農に食はしむるの制と為さば、則ち細民乏しからずして、其の穀新旧相換ふべきなり。
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『新論』國體下夫れ米穀なる者は帝王の甚だ重んずる所、天子の尊きと雖も、必ず天神に報祭して、然る後に敢へて之を用ふ。之を天に受けて以て民を養ふ所以の者、固より宜しく是くの如くなるべし。今、天下糴糶の権を挙げて、一に之を賈豎に委ね、王公大人俯伏して命を聴き、問ふ所有るを得ず、天下の民命、専ら市人の手に係る。凶荒に備へ無く、兵行くに糧無く、海内空虚にして、怪しと為さず、手を拱きて環視し、徒らに米穀の多きを患ふ、何ぞ其れ惑へるや。天祖の民命を重んずるや、遺沢の及ぶ所、伝へて今日に至る。今其の食ふ所の粟は、即ち天祖の頒ちたまふ所の種なり。而るに世之を重んじ嗇しむことを知らず、方に且に海内虚耗の未だ極まらざるを患へ、甚だしき者は或いは挙げて蛮夷と市せんと欲し、必ず之を海外に棄てて後已まんとするに至る。生まれて瑞穂の国に在りて、瑞穂の重きを為すを知らず、犬羊に投げ畀へて、以て計を得たりと為す、豈に臣民の天祖に報ゆる所以の心ならんや。
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『新論』國體下且つ夫れ都会も亦多く無用の穀を儲ふる能はず。故に都会の穀と雖も、亦以て都会の人を食はしめて稍余り有るに過ぎざるのみ。其の実は甚だしくは多からざるなり。凡そ盈縮の数、其の実は甚だしくは相遠からずして、其の勢は相霄壌たるが如き者有り。之を啖ひて飽く者に譬ふ。既に腹に充つれば、稍一分を多くすれば、則ち甚だ余り有るが如し。未だ飽くに及ばざれば、一分を少なくすれば、則ち大いに足らざるが如し。是れ其の過不及の差為ること眇少なるのみ。然れども其の足らざる者を取りて、之を余り有る者に比すれば、盈虚の相去ること、大いに相懸たるが如き者は勢なり。故に曰く、天下の穀未だ嘗て多からず、而して都会の穀も亦未だ甚だしくは多からざるなりと。
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『新論』守禦米穀に至りては、則ち民命の係る所にして、軍旅に在りても糧食より重きは莫し。今其の都会に狼戻する者は、以て浮冗佚楽の奉に充つべくして、兵行不資の糧に給すべからざるなり。故に糧食を峙へんと欲せば、其の本業を務め米穀を貴び、之を民に蔵し之を国に儲ふるは、固より論ずる亡し。(説は国体篇に見ゆ。)而して浮冗の民は、以て漸く農に帰せしめざるべからず。酒・餅餌・麪の穀を銷す者、茶・蔫・紅茜の農を妨ぐる者は、以て稍其の節を制せざるべからず。
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