孫子 / 行軍篇
故兵非貴益多也,惟無武進,足以併力、料敵、取人而已。夫惟無慮而易敵者,必擒於人。
書き下し
故に兵は益々多きを貴ぶに非ざるなり。惟だ武進する無く、以て力を併せ、敵を料り、人を取るに足るのみ。夫れ惟だ慮り無くして敵を易る者は、必ず人に擒らわる。
現代語訳
兵力は、ただ多ければよいというものではない。むやみに進撃せず、戦力を集中し、敵情を見極め、人を得ることさえできれば、それで十分なのだ。深い考えもなく敵を甘く見る者は、かえって敵に捕らえられてしまう。
解説
行軍篇で、「数の多さ」への過信を戒めた一節です。孫子は、兵は多ければ勝てるわけではないと言います。大事なのは、無謀に突っ込まず、力を一点に集め、敵をよく見て、適切な人を得ること。そして最後に強く釘を刺します——考えなしに敵を甘く見る者は、必ず捕らえられる、と。過信こそ最大の敵なのです。ビジネスでも、資金や人員の量だけでは勝てません。むやみに拡大せず、リソースを集中し、市場や競合を冷静に読み、適切な人材を得る。そして何より、相手や状況を軽く見ない。「うちは大きいから大丈夫」という油断が、足をすくいます。規模より、集中と慎重さ。この一節は、量の過信への警告です。
この章句が説くこと
兵非貴益多地理情報優位量より集中勝敗油断の戒め
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