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新論 / 國體下

夫米穀也者 帝王之所甚重、雖 天子之尊、必報祭 天神、然後敢用之、所以受之天以養民者、固宜如是矣、今擧天下糴糶之權、一委之賈豎、王公大人俯伏聽命、不得有所問、天下民命、專係市人之手、凶荒無備、兵行無糧、海内空虚、而不爲怪、拱手環視、徒患米穀之多、何其惑也、天祖之重民命也、遺澤所及、傳至今日、今其所食之粟、即 天祖所頒之種也、而世不知重嗇之、方且患海内虚耗之未極、甚者或至欲擧而與蠻夷市、必棄之海外而後已、生而在於瑞穗之國、而不知瑞穗之爲重、投畀犬羊、而以爲得計、豈臣民所以報 天祖之心哉、

新字:夫米穀也者 帝王之所甚重、雖 天子之尊、必報祭 天神、然後敢用之、所以受之天以養民者、固宜如是矣、今挙天下糴糶之権、一委之賈豎、王公大人俯伏聴命、不得有所問、天下民命、専係市人之手、凶荒無備、兵行無糧、海内空虚、而不為怪、拱手環視、徒患米穀之多、何其惑也、天祖之重民命也、遺沢所及、伝至今日、今其所食之粟、即 天祖所頒之種也、而世不知重嗇之、方且患海内虚耗之未極、甚者或至欲挙而与蠻夷市、必棄之海外而後已、生而在於瑞穂之国、而不知瑞穂之為重、投畀犬羊、而以為得計、豈臣民所以報 天祖之心哉、

書き下し

夫れ米穀なる者は帝王の甚だ重んずる所、天子の尊きと雖も、必ず天神に報祭して、然る後に敢へて之を用ふ。之を天に受けて以て民を養ふ所以の者、固より宜しく是くの如くなるべし。今、天下糴糶の権を挙げて、一に之を賈豎に委ね、王公大人俯伏して命を聴き、問ふ所有るを得ず、天下の民命、専ら市人の手に係る。凶荒に備へ無く、兵行くに糧無く、海内空虚にして、怪しと為さず、手を拱きて環視し、徒らに米穀の多きを患ふ、何ぞ其れ惑へるや。天祖の民命を重んずるや、遺沢の及ぶ所、伝へて今日に至る。今其の食ふ所の粟は、即ち天祖の頒ちたまふ所の種なり。而るに世之を重んじ嗇しむことを知らず、方に且に海内虚耗の未だ極まらざるを患へ、甚だしき者は或いは挙げて蛮夷と市せんと欲し、必ず之を海外に棄てて後已まんとするに至る。生まれて瑞穂の国に在りて、瑞穂の重きを為すを知らず、犬羊に投げ畀へて、以て計を得たりと為す、豈に臣民の天祖に報ゆる所以の心ならんや。

現代語訳

そもそも米穀は帝王がきわめて重んじるもので、天子の尊さをもってしても、必ず天神に感謝の祭り(新嘗祭)をささげてから、はじめてこれを口にする。天から受けて民を養うものである以上、当然そうあるべきなのである。ところが今は、天下の米の売り買いの権をすべて商人に委ね、王公・大名は平伏してその言いなりになり、口出しすることもできず、天下の民の命はもっぱら市井の商人の手に握られている。凶作への備えもなく、出兵しても兵糧がなく、国中が空っぽであるのに怪しみもせず、手をこまねいて眺めるばかりで、ただ米が余ることを心配している。なんと惑っていることか。天祖(天照大神)が民の命を重んじられたその恵みは、今日まで伝わっている。いま人々が食べている穀物は、天祖が分け与えられた種なのである。それなのに世の人はこれを大切にし惜しむことを知らず、国中の疲弊がまだ足りないとでもいうような心配をし、ひどい者は米をこぞって蛮夷に売ろうとし、海外に捨てなければ気がすまないほどである。瑞穂の国に生まれながら瑞穂の重さを知らず、犬や羊のような者に投げ与えて、うまい計略だと思っている。これがどうして臣民が天祖の恩に報いる心であろうか。

解説

國體下の結びに近いこの章で、正志斎は米穀を「天から受けて民を養うもの」と位置づけ、米価の決定権を大坂などの商人に委ねた当時の経済を批判する。新嘗祭の祭祀と、天照大神が稲穂を授けたという神話を根拠に、米を外国との交易品にする議論を退けると説く。文政八年(1825)の上呈当時、米価の低落と武士の困窮、異国船の来航が重なっていた。正志斎の主張は神話に立つ独自のものだが、食料や基幹物資の備えを市場任せにせず、非常時の備えを政治の責任とみる視点は、今日の食料安全保障や事業継続の議論にも通じる。

この章句が説くこと

米穀民命備蓄祭祀国体富国

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