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新論 / 國體中

凡此皆非所以養兵之道、古人所謂所養非所用者、而弱態備矣、祿兵士者、素所以養從卒、而驕奢淫佚、自致困弊、不得有所養、約皆雇市井之間民、以充騶從、一旦有事、則厚祿之士亦無異匹夫、而天下之兵幾何也、民既出過陪之税、以養兵士、不可復點爲兵、而其爲民者、亦畏懦自棄、不能或奮勵、不可以役之干戈、則通邑大都、世臣及公卒之外、天下無復有所謂兵者、而遐陬僻壤、將何兵以守之、今夫兵皆聚處都城、日學撃刺、就都城中視之、則似衆似強、而自天下視之、地之有守者無幾、其爲寡弱也極矣、

新字:凡此皆非所以養兵之道、古人所謂所養非所用者、而弱態備矣、禄兵士者、素所以養従卒、而驕奢淫佚、自致困弊、不得有所養、約皆雇市井之間民、以充騶従、一旦有事、則厚禄之士亦無異匹夫、而天下之兵幾何也、民既出過陪之税、以養兵士、不可復点為兵、而其為民者、亦畏懦自棄、不能或奮励、不可以役之干戈、則通邑大都、世臣及公卒之外、天下無復有所謂兵者、而遐陬僻壤、将何兵以守之、今夫兵皆聚処都城、日学撃刺、就都城中視之、則似衆似強、而自天下視之、地之有守者無幾、其為寡弱也極矣、

書き下し

凡そ此れ皆兵を養ふ所以の道に非ず。古人の所謂養ふ所は用ゐる所に非ずといふ者にして、弱態備はれり。兵士に禄するは、素従卒を養ふ所以なり。而るに驕奢淫佚、自ら困弊を致し、養ふ所有るを得ず。約ね皆市井の間民を雇ひて、以て騶従に充つ。一旦事有らば、則ち厚禄の士も亦匹夫に異なる無し。而して天下の兵幾何ぞや。民既に過陪の税を出だして、以て兵士を養ふ。復た点じて兵と為すべからず。而して其の民為る者も、亦畏懦自棄して、或いは奮励する能はず、以て之を干戈に役すべからず。則ち通邑大都、世臣及び公卒の外、天下に復た所謂兵なる者有る無し。而して遐陬僻壌、将た何の兵を以て之を守らんとするか。今夫れ兵皆都城に聚処し、日に撃刺を学ぶ。都城中に就きて之を視れば、則ち衆きに似強きに似たるも、天下より之を視れば、地の守り有る者幾ばくも無し。其の寡弱為るや極まれり。

現代語訳

これらはどれも兵を養う道ではない。古人のいう「養っている者は用いる者ではない」というものであって、弱さの姿がすっかり揃っている。兵士に禄を与えるのは、もともと従卒を養わせるためである。ところが驕りとぜいたくと放蕩によって自ら困窮し、従卒を養うことができない。おおむね町中の暇な民を雇って供回りに充てている。ひとたび事が起これば、厚い禄を受ける武士でさえ一人の凡夫と変わらない。それでは天下の兵はどれほどいるというのか。民はすでに過重な税を出して兵士を養っているので、さらに召し出して兵とするわけにはいかない。しかも民であるその者たちも臆病で自らをあきらめ、奮い立つことができず、戦に使うことはできない。そうなると大きな都市にいる譜代の臣と公の兵卒のほかには、天下にもはや兵と呼べる者はいない。では辺鄙な土地は、いったいどの兵で守るつもりなのか。いま兵はみな城下に集まり住み、日々剣や槍を学んでいる。城下の中から見れば多く強いように見えるが、天下全体から見れば、守りのある土地はいくらもない。その少なさ弱さは極まっている。

解説

「養ふ所は用ゐる所に非ず」は『韓非子』五蠹篇の言葉で、平時に養う者と有事に役立つ者が食い違う弊を言う。正志斎は、禄を受ける武士が困窮して従卒を養えず、町の雇い人で供回りを済ませている実態を挙げ、有事には厚禄の士も凡夫に等しいと断じる。民は重税で兵を養っているから兵に取れず、城下の外にはほとんど守り手がいない。城下から見れば強そうでも、全国から見れば寡弱を極める、という視点の転換が鋭い。現代でも、本部の人数や研修の盛況だけを見て、現場の守りの薄さを見落としていないかを問う一節である。

この章句が説くこと

兵制人材寡弱有事防衛韓非子

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