新論 / 國體上
夫方今去古雖遠、而所仰之 至尊則儼然 天祖之正胤也、所治之蒼生、則依然 天祖所愛養之裔孫也、苟能因人心之不可磨滅者、而設之敎條、原於 神聖所以淬礪天下之意、事天祀先報本反始、因以正君臣之義、敦父子之親、槖籥萬民、以爲一心、豈甚難爲哉、此乃千載之一時、必不可失之機也、臣是以欲審弊之所由生、不得不眷眷於邪説之害也、夫英雄通變神化、無不可爲之時、無不可爲之事、而 帝王所恃以保四海者、天人之大道、其文可變、其義不可易、則 神聖所以經緯天地使億兆皆親其上而不忍離之意、雖今日亦無不可復行者焉、今時勢之變也、邪説之害也、雖天下不勝其弊、而欲更張作新之、顧所以處之之方何如耳、
新字:夫方今去古雖遠、而所仰之 至尊則儼然 天祖之正胤也、所治之蒼生、則依然 天祖所愛養之裔孫也、苟能因人心之不可磨滅者、而設之教条、原於 神聖所以淬礪天下之意、事天祀先報本反始、因以正君臣之義、敦父子之親、槖籥万民、以為一心、豈甚難為哉、此乃千載之一時、必不可失之機也、臣是以欲審弊之所由生、不得不眷眷於邪説之害也、夫英雄通変神化、無不可為之時、無不可為之事、而 帝王所恃以保四海者、天人之大道、其文可変、其義不可易、則 神聖所以経緯天地使億兆皆親其上而不忍離之意、雖今日亦無不可復行者焉、今時勢之変也、邪説之害也、雖天下不勝其弊、而欲更張作新之、顧所以処之之方何如耳、
書き下し
夫れ方今古を去ること遠しと雖も、仰ぐ所の至尊は則ち儼然として天祖の正胤なり。治むる所の蒼生は、則ち依然として天祖の愛養したまふ所の裔孫なり。苟も能く人心の磨滅すべからざる者に因りて、之が教条を設け、神聖の天下を淬礪したまふ所以の意に原づき、天に事へ先を祀り本に報い始めに反り、因りて以て君臣の義を正し、父子の親を敦くし、万民を槖籥して、以て一心と為さば、豈に甚だ為し難からんや。此れ乃ち千載の一時、必ず失ふべからざるの機なり。臣是を以て弊の由りて生ずる所を審らかにせんと欲し、邪説の害に眷眷たらざるを得ざるなり。夫れ英雄は通変神化し、為すべからざるの時無く、為すべからざるの事無し。而して帝王の恃みて以て四海を保つ所の者は、天人の大道なり。其の文は変ずべきも、其の義は易ふべからず。則ち神聖の天地を経緯し億兆をして皆其の上に親しみて離るるに忍びざらしむる所以の意は、今日と雖も亦復た行ふべからざる者無し。今時勢の変なり、邪説の害なり、天下其の弊に勝へずと雖も、而も之を更張作新せんと欲すれば、顧ふに之を処する所以の方何如なるのみ。
現代語訳
いまは古からはるかに隔たっているが、仰ぎ奉る天皇は厳として天祖(天照大神)の正しい血筋であり、治められる民もまた、天祖が慈しみ養われた子孫である。もし消し去ることのできない人心を土台として教えの条目を設け、神聖が天下を磨き励まされた意図に基づいて、天に仕え祖先を祀り、根本に報い始まりに立ち返り、それによって君臣の義を正し、父子の親しみを厚くし、万民をふいごで風を送るように一つにまとめて一心とするならば、どうしてそれほど難しいことがあろうか。これこそ千年に一度の好機であり、決して逃してはならない時である。私はそれゆえ弊害の生じるもとを明らかにしたいと願い、邪説の害について繰り返し論じずにはいられなかったのである。そもそも英雄は変化に通じて自在に働き、なしえない時もなしえない事もない。帝王が四海を保つよりどころとするのは天と人を貫く大道であり、その形式は変えてよいが、その本義は変えてはならない。だから神聖が天地を治め整え、万民が皆その上に親しんで離れるに忍びないようにさせた意図は、今日でも再び行えないものではない。いまの時勢の変化といい邪説の害といい、天下はその弊害に堪えないほどであるが、これを改め新たにしようとするならば、問題はそれにどう対処するかの方策にかかっているだけである。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・倫理・福を求むるは已に君子の心に非ず郊社は、天地生成の大德に報ゆるなり。然れども災沴には禳有り、順成には祈有り。君の私田を為すは則ち仁、民の公田を為すは則ち忠なり。福を求むるを嫌はず、禍を免るるを嫌はず。子孫の先祖を祭るは、追養繼孝を以てなり。我が祖父母より此の身有るなり。曰く、「先人の澤に賴りて、以て其の餘慶を享く」と。曰く、「吾朝夕奉養して歡を承けしに、一旦復た杯棬を獻ぜず、心悲思して寄する無し、故に祭薦して以て吾が情を伸ぶるなり」と。曰く、「吾貧賤にして菽水を供するに足らず、今鼎食するも親逮ばず、心悲思して及ぶ莫し、故に祭薦して以て吾が悔いを志すなり」と。豈に其の遊魂虛位の能く我を福せんが為に之を求めんや。福を求むるは已に君子の心に非ず。而して一飯の設、數拜の勤を以て、福を先人に求む、仁孝誠敬の心果たして是くのごとくならんや。利を謀らず、報を責めず、其の感激を望まず。他人に在りてすら猶ほ然り、而るに況んや我が先人をや。『詩』の祭は必ず福を言ふ、而して『楚茨』の諸詩を尤も甚だしと為す、豈に訓と為す可けんや。吾獨り『采蘩』『采蘋』の二詩に取る有り。物を盡くし志を盡くし、以て吾が子孫の誠敬を達するのみ、他は及ばざるなり。此の道に明らかならば、則ち天下の萬事萬物皆我の當に為すべき所を盡くし、禍福利害は皆其の自ら至るに聽す。人事脩まりて外慕の心息み、道に向かふこと專らにして作輟の念忘れん。何者ぞ。性分に明らかにして冀悻する所無ければなり。
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『呻吟語』外篇・品藻・古人の笑ふ所宋儒は古に泥み、更に古昔の真偽、今世の是非を考へず。只だ祭祀一節の如し。古人は席地にして飲食に便ならず。故に簠簋籩豆を尚び、其の器は皆な高し。今古人を祭るに之を用ふるは、其の時に從ふなり。子孫の祖考を祭るは、只だ祖考の常に用ひし所の宜しきを用ふ可し。而るに簠簋籩豆是れ設くるは可ならんや。諸の此の類の如きは甚だ多く、皆な古人の笑ふ所なり。古人をして今に生まれしめば、舉動必ず此の如くならざらん。
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論語・八佾篇子曰く、『禘は既に灌より往くもの、吾これを観るを欲せざるなり。』
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『墨子』明鬼下今、無鬼を執る者曰く、意うに親の利に忠ならずして、孝子を害するを為さんか、と。子墨子曰く、古今の鬼を為すは、他に非ざるなり。天鬼有り、亦た山川鬼神なる者有り、亦た人、死して鬼と為る者有り。今、子の其の父に先んじて死し、弟の其の兄に先んじて死する者有り。意うに死すること然りと雖も、然り而して天下の陳物、曰く、先に生まるる者は先に死す、と。是くの若くんば、則ち先に死する者は父に非ざれば則ち母、兄に非ざれば而ち姒なり。今、潔く酒醴粢盛を為りて、以て敬み慎みて祭祀す。若し鬼神をして誠に有らしめば、是れ其の父母姒兄を得て之に飲食せしむるなり。豈に厚利に非ざらんや。
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『呻吟語』内篇・談道・鑿ちて求む可からず、道破す可からず鬼神を敬事するは、聖人の世教を維持する大端なり。其の義は深く、其の功は大なり。但だ自ら鑿ちて求む可からず、道破す可からざるのみ。
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